ムサビ授業12:真の意味でのサステイナブルとは?(fog,inc. 大山貴子さん)
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科 クリエイティブリーダシップコース クリエイティブリーダーシップ特論 第12回(2021/09/27)
ゲスト講師:大山 貴子さん
◆「クリエイティブリーダーシップ特論(=CL特論)」とは?
武蔵野美術大学 大学院造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースで開講されている授業の1つです。
「クリエイティブとビジネスを活用して実際に活躍されているゲスト講師を囲んで、参加者全員で議論を行う」を目的に、社会で活躍されている方の話を聞き、受講生が各自な視点から考えを深める講義となっております。
◆注記
この記事は、大学院の講義の一環として書かれたものです。学術目的で書き記すものであり、記載している内容はあくまでも個人的な見解であります。筆者が所属する組織・企業の見解を代表するものではございません。
ゲスト:fog,inc.代表 大山貴子さん
武蔵美は授業が始まり、プロジェクトを進めながら授業を受けるというハードな日々が続きます。
昨日はちょうど武蔵美CL学科の入試日だったようです。私は1年前にその入試を受けたのですが、面接では研究計画の発表が求められます。当時は全くデザインの知識がなかったので、一夜漬けのようにネットで知識を増やしていたを思い出します。
さて、コンサルという職業柄、当時はデザイン経営について興味があり、色んなweb記事を読み込みました。その中では、今回のCL特論の講演者である大山 貴子さんの記事(以下)もありました。
「資本主義の課題をビジネスで解決する」という一節があり、非常に共感したのを覚えています。
大山さんは現在fogという会社を立ち上げられ、企業や自治体に向けてサーキュラーエコノミーや循環型社会の構築に特化したコンサルティングを提供しています。昨今、「循環型経済」はバズワードのようになっていますが、日本において数少ない実践者と呼べるでしょう。
大山貴子さん
1987年仙台生まれ。米ボストンサフォーク大にてエルサルバドルでのゲリラ農村留学やウガンダの人道支援&平和構築に従事、卒業。ニューヨークにて新聞社、EdTechでの海外戦略、編集&ライティング業を経て、2015年に帰国。 日本における食の安全や環境面での取組みの必要性を感じ、100BANCH入居プロジェクトとしてフードロスを考える各種企画やワークショップ開発を実施後、株式会社fogを創設。人間中心ではなく、人間が自然の一部として暮らす循環型社会の実現を、プロセス設計、持続可能な食、行動分析、コレクティブインパクトを起こすコミュニティ開発などから行う。
社会に向け続ける眼差し
講演では高校時代からの話を織り交ぜながら、これまでの活動や社会的活動の原体験を語ってくれた大山さん。一貫しているのは「社会の一員として、モヤモヤを持ったら当事者として行動に移す」ということだと感じました。
人種差別や、帰還児童兵のPTSDの問題、ウガンダでの貧困問題、フードロス、サーキュラーエコノミー等々、課題意識と実践は多岐にわたっています。その根底にあるのは社会に対する意識かと思います。
例えば、最近クラウドファウンディングをされていたélabの取り組みはとても社会性に富む企画です。絵からも色んな場に循環の仕掛けが仕組まれていることがわかります。
活動自体が素晴らしいのはもちろんですが、大山さんの特徴は「社会貢献ぽい」に踏み込み、もっと本質的に「社会のためになるのはどういうことか?」を考えていることにあると思います。
循環型経済の文脈で「思考が停止されたまま、マーケティングの一部になってしまう」という発言がとても印象に残りました。
私自身も違和感を感じていることなのですが、企業活動において、「SDGs」や「ESG」にかこつけて、とりあえず「ぽい」ことを言っておけばいいという風潮がある気がしています。口では思想に共感していると言いつつも、経営も現場も「なぜその活動が必要か」が浸透しているかは疑問です。
私自身、スタートアップの社外取締役でもありますが、IPOが決まった時に証券会社がSDGsを謳った方がいいとアドバイスしてきたことがあります。業種によらず紋切り型で同じことを言っているらしく、それはつまり、単なる投資家(IR)対策であり、うわべのブランディングであり、商品を売るためのマーケティングでしかないと閉口してしましました。実態は今までと変わらないままで、社会善というパッケージで包んでアピールせよと言っているだけに聞こえたのです。
今でも「このやり方が企業利益につながるから」という論理で、社会善が語られることも多く、企業においてその根底にある常識をどう変えていくかは大きなテーマです。
共視を生み出すデザイン
大山さんが強調するのは地域の人に溶け込む重要性です。それができないといつまでも上から目線になってしまったり、既存のコミュニティから外部者扱いされたりすることになります。
「確かになー」と思ったのが、「共視(ともに見る)」という言葉です。
島根県雲南市でのプロジェクトでその言葉が出てきたのですが、雲南はもともと様々なチャレンジをしている町として有名だったそうです。ただ、蓋を開けてみれば、新興企業(Iターンで移住した人たち)がプロジェクトを進め、上手に外部に発信しているのが実情だったと言います。
地域の多数は「私たちはキラキラしていないから一緒に関わっていけない」「本当は思っているけど言えない」「受け入れるのが難しい」というのが本音だったとのこと。
本来の住民が置いてけぼりになり、彼らが不在の取り組みが対外的に評価されているような状態であり、地域内の分断は想像に難くありません。そのような状況を見て、大山さんたちメンバーは皆の声を聞くという取り組みを重視されたそうです。
根っこにある問題は「対話をすることが怖い」という心理的な障壁であり、活動は「対話のためのローカルマニュフェスト」を作ろうというものになりました。
これは本音で話すための指針書と言えますが、作ったきりで終わりではなく、「ベータ版」であり、これからも変更が加えられながら、いつでも思考のスタートになるものにしたいとのことです。
何も知らない人が読めば「ありがちのこと」とも思えてしまう言葉が並びますが、大事なのはこの10の言葉を紡ぎ出されたプロセスです。
これは地域のマニュフェストであり、そこで暮らす人達が自分で大切にしたいと思ったもの・ことなのだから、「自ら発した言葉」というのに意味があるのです。
この取り組みから言えるのは「共視」とは「押し付ける」の反対であり、「溶け込み目線を調整する」ということです。
外部の知見者が「教えてあげる」「ファシリテーションしてあげる」「調整してあげる」というスタンスでは、当事者意識は生まれません。
その人がいるときは良くても、いなくなったらシステムとして回らなくなるというのは、様々な場面で目にしてきました。コミュニティの一部となり、自律的な動きを生み出す「状況のデザイン」が必要なのだと思います。
外の立場からアドバイスをするという役割は色々な肩書きで語られます。ただ、デザイナーであれ、コンサルタントであれ、ファシリテーターであれ、主役に置き換わることなく、ワキで触媒となるというのが理想なのだと思います。
大山さんが大切にしていること
最後に、大山さんは「大切にしている4点」を挙げました。
ここに挙げられているものは、これに至った背後に行動があるという点で重みがあります。特に「脱サステイナブル」という言葉は、実践をしているからこそ出てくる言葉だと感じます。
事例がわかりやすかったのですが、あるとき飲食店の運営においてスタッフから割り箸をやめるべきではないか?という提案があったそうです。
「割り箸を止める」は一般的に良いことのように感じますが、サステイナブルとは何かを突き詰めていくと、日本の林業の林業の観点から国産の間伐材を使うという判断になるそうです。
自分の頭で「サステイナブル」を突き詰め、手段と目的は何かを考えること。本質的に「社会のためになるのはどういうことか?」を考えているからこそ柔軟な発想ができるのだと思いました。
印象的だった話(質疑応答)
Q.
雲南プロジェクトで、地域の方が「吹き出すようにしゃべりだした」経緯や理由を教えていただけないでしょうか?
A.
誰もが決めつけない場所にすること。発言に対してジャッジを下さないこと。マニュフェストはワークショップを通じてだいぶ変わった。話す機会がなかっただけで感じていることは暮らしている中でいっぱいある。話す時間は決めず、とにかく話させる。前提として場を作るということが重要。警戒心を解くために、Safe Placeと伝えるのが重要。
Q.
サーキュラーの概念を広める活動をする中で、あくまでも「すべき」である行動であるとは分かるものの、「したい」とは思えない、社会課題と自分との繋がりや接点が実感できないという意見をもらう。
A.
なるべく「サーキュラーエコノミー」という言葉は使わない。いかに心地よい未来を考えていくか、その行動について伝える。élabについてはそのための実践の場なので、レストランに来る方にそれを押し付けると、「押し付けのデザイン」になってしまう。料理が美味しい、ものがいい、と思ってもらうのが最初。
サーキュラーとかサステイナブルというのは手段。それ自体が目的になってしまうと、したいと思われない。トレンドだから選んじゃえと落とし込まれてしまう。行動設計を通じて、伝えなくても伝わるという状態を作る。
クリエイティブリーダシップとは?
〜綺麗事で正当化しない、バズワードにのらない〜
先述の通り、現状では社会的活動が企業のブランディングやマーケティングの材料に使われる場面を目にします。
それが偽善だなんだという話をするつもりはありませんが、「企業として成長する(利益を上げる)」という根底の意識はそのままに、社会的なことに取り組もうとするからこそ、ねじれの状態が起きているのだと解釈できます。
真に社会的な活動をするには、根底の意識を変える、即ち「社会のためになるのはどういうことか?」を突き詰めなければなりません。
当事者の1人として、この世の中をどうしていきたいのか?というのを自分たちの言葉や行動をもって考えるということが重要なのだと思います。言い換えると、綺麗事やバズワードに乗っかって「したつもりにならない」ということかもしれません。
CL特論では度々語られるテーマではありますが、改めて重要なことを思い出させてもらったような気がしました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?