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救われるコンテンツ

救われるコンテンツって誰しもあると思います。

そもそも、救われるコンテンツってなんなんでしょう。なぜ人間はコンテンツという人間でもないものに対して「救われた」という感情を抱くのでしょうか。

それは「今のあなたのままでいいんだよ」と自身を肯定されたから。または「今はこうでも、こういう未来とかモデルケースもあるから絶望し続けなくてもいいかもよ」と、膠着した現状に対して希望を見出せてたから。
こうして身の安全を感じることができ、生存本能に突き刺さったからなのだと思います。

「救われた」って言葉のとおり、危機からの救出なのでしょう。

危機とは生存を脅かすものですよね。だから本能としては生存欲求に突き刺さっている。

危機にも昔のようなマジで虎に襲われちゃいそうだとかの肉体的な危機もあるが、現代ではそういう危機の場面は少ないはずで、多くは精神的な危機のはずだ。

多くの現代人は、精神的な危機に直面しまくっていると思います。

・なんで身近な知り合いのあの子はインスタでウェイウェイした生活を送れているんだろう。どうして自分はこんなに惨めな思いをしてるんだろう。と比較してしまう。

・自分は友達がいない。だから誰からも必要とされていないんだ。生きてる価値なんかないんだ。

・周りの友達は誕生日もクリスマスも豪華にお祝いするのに、どうしてうちは貧乏な感じなのか。

・やりたいことが見つからない。周りはやりたいことに向かって頑張っている。目標がない私はいけないのかもしてない。

・自分はこのままずっとモテないのかな。

・ほんとはこういう可愛い服を着たいんだけど、周りの目を気にして着れない。私って変なのかな?


で、音楽だったり映画だったり漫画だったりゲームのワンシーンだったりで「今のあなたのままでいいんだよ」や「今はこうでも、こういう未来とかモデルケースもあるから絶望し続けなくてもいいかもよ」と伝えるようなメッセージと出会うと、ああ肯定された、救われたと感じて、特別な想いをコンテンツに抱くのでしょう。

色々あると思うんですよ。人間の幸せの形って。人それぞれではないですか?人間観、幸福観って。

コンテンツに出会う前の自分が持っていた少ない軸の世界の比較検討で惨めに思っていた中で、新しい軸を持ち込んでくれたヒーロー的存在なのかも知れません。「あ、いけんじゃん」「ちょっとだけ希望の光が見えたかも」って。


人生は壮大な暇つぶしです。楽しまなくちゃ損です。楽しめないような問題があればみんなでワーワーと解決しなきゃです。


そういうコンテンツっていいよね。素敵ですね。


この辺、超好きです。


あああ締め切りの原稿があるのにnoteを書いてしまった。現場に戻ります。

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