絶望立脚力
絶望から希望を見いだす。
期待値が高まりすぎていると、そのぶん絶望は多くなります。辛いと感じることが多くなります。そんなの嫌ですよね。
「人間とはどういうものなのか」、それに対して認識次第では期待値が高い状態になってしまうこともあるでしょう。
こうあるべきだ。なんでこうなっていないのか?なんでできないの?
そうすると人は辛いことが多くなります。
ですので、こう思うのはどうでしょうか。
「人間なんかいろんな人がいる」「人間なんか誰しもちょぼちょぼだ」、そういう認識で過ごすとストレスが少ない人生を送ることができると思っています。
一回、絶望するんです。期待値を下げるだけ下げるんです。
暗いところからのほうが光はよく見えます。 同じように、絶望から始まることで、絶望に立脚することで希望を見出すことができます。
数学に、定数・変数というものがありますよね。
例えば本来は定数のことを変数と思ってしまうと、これまた辛いことの始まりです。なので「これは定数なんだ、これは変えられないことなんだ」と残酷な現実を受け止める。変えられないものに、変える努力をしない。変えられるところに、変える努力を注ぐこと。
自己認識においても絶望が役立ちます。本当にコトを成したいならば、自分をよく見せようと取り繕わず、自分のできていなさ、弱さを受け止めることです。
そうすることで、「他者から力を借りるしかねぇな」といい意味で諦めがつき、現状を打開する美しいネクストアクションを起こすことができます。
自分の弱さを受け止めるとき、棘が刺さるように初めは痛いですが、だんだん自分のことを許せるようになれば、結果、コトをなせることにつながります。
プロモーションだって同じです。どこの馬の骨かもわからない会社、さっぱり知らんブランドですわ、こういう感じの認識をせずに自身のことをスーパースターブランドと同じように考えてその前提で施策を打っても響かないでしょう。
冷徹な現実を受け止める、ファクトフルネスに考える、そんな感じにも言い替えられるのかもしれません。
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