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兼好と西行

小川剛生「兼好法師」(中公新書)を読みましたが,これが抜群におもしろかった.鎌倉時代後期に京都・吉田神社の神職である卜部家に生まれ,蔵人・左兵衛佐として朝廷につかえたあと出家して「徒然草」を著した,というよく知られた出自や経歴は,どうやら兼好没後に捏造されたものらしいです.

著者は,金沢文庫などに残された同時代史料をつぶさにあたって,鎌倉や京都に残る兼好の足跡をたどりながら,その正体をすこしずつ明らかにしていきます.論理の運びは非常に明晰です.兼好法師の生涯があきらかになることによって,「徒然草」の文章自体の再解釈がせまられるところなどたまらなくスリリングでした.

勅撰集によくでてくる「よみ人しらず」は,作者がわからないのではなく,低い身分であることを意味しています.六位以下の地下人はすべて「よみ人しらず」になってしまうのですが,ただし出家者だけは身分に関係なく法名で載せられるのだそうです.兼好の歌は勅撰集ではすべて「兼好法師」の名前で載せられているため,吉田兼好としての身分が五位の蔵人・左兵衛佐ということはありえない,というわけです.

そうしてこの本のおもしろさは,ときどき重要なことがさりげなく示唆されるところです.六位以下の身分であるひと(地下人)が,どうしても勅撰集に自分の名前を顕したいときは,そのためにあえて出家することもよくあったと.近代人が憧憬してきた「遁世」とは,実は多くの地下歌人にとっては世に知られるための手段だったのです.

著者は有名な西行法師を例にあげます.西行は俗名佐藤義清といい,北面の武士でその官位は六位でした.若くして歌人として名をなした佐藤義清でしたが,勅撰集のひとつである「詞花集」に一首入集したときは「よみ人しらず」でしかありませんでした.しかし出家することによって,「千載集」「新古今集」といった勅撰集にようやく西行法師と名前が載るようになったのです.当時こういった例はよくあったとのこと.

西行の歌には近代的な感情の陰影があって,今日でもその人気は高く,たとえば辻邦夫や瀬戸内寂聴,三田誠広といった小説家が,小説の主人公としてくりかえしとりあげています.高貴な女性との逢瀬とそのあとの失恋により世をはかなんで出家したと.しかし実際には世間に自分の名前を知らしめるための身も蓋もない手段だった可能性が高かった.

神奈川県立金沢文庫で,昨年「兼好法師と徒然草-いま解き明かす兼好法師の実像」という企画展がありました.近年,急速に進んだ徒然草と兼好法師研究の成果が展示され,非常に興味深くみてきました.受験勉強で覚えた「徒然草」の文章が,今日ではまったくちがう様相で迫ってくるのは非常に興が深かったです。

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