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ドクトル・ビュルゲルの「運命」

カロッサ「ドクトル・ビュルゲルの運命」(岩波文庫).主人公の父親はある死病にたいする非常に効果のある治療法をつくりあげたのですが,志なかばにして亡くなり,その息子で青年医師の主人公がその治療を受けつぎます.

亡父により実際に実妹を病気から救ってもらったことのある聖職者の僧正は,大きな病院をつくる気があるのなら協力すると主人公に申し出ます.現状ではたいがいの場合もう見込みのなくなった患者のところばかりにあなたは呼ばれている.それではせっかくのあなたの治療がくもり濁されているのではないか,大きな病院をつくって治るみこみのある患者を国中からあつめ,そういった患者に治療を専念すべきだと説得しました.

それにたいして,「いっしょに悩みいっしょに希望をもってくれる親身の人々のいない病人,はっきりした貧困のしるしの見える貧困者,宿坊のない僧侶,妻や家や畠をもたない農夫たち」が自分のまわりにいて,そういった見はなされた人たちこそ診ていきたいと主人公は断るのです.

小説のなかのこの病気の症状をみると肺結核のようです.当時ではまさに死病といってもいいでしょう.自分のまわりの貧しいひとびとを見捨てて,大きな病院で治るみこみのある患者だけ集めて治療はできないということです.カロッサ自身も医師であり,地域で開業して働いていました.1900年代初頭のことですが,そのときの経験が反映しているといいでしょう.

これは100年以上のまえのことだったから生じた問題なのでしょうか.われわれは紹介されてきたさまざまな胎児疾患を診て,あるいは妊娠初期スクリーニングをおこないます.そのなかには出生直後からの集学的治療によって完治するものもあり,場合によっては胎児治療によって治るものもあります.しかし治療不可能で生命予後不良のものも多くあり,診断時期によっては選択的中絶されることもめずらしくありません.

小児病院にある産科だから,胎児診断や胎児スクリーニング,症例によっては胎児手術などをおこなうわけです.だから「治るみこみのある」胎児に周産期管理を集中させることが,有効な医療資源の活用でしょうか? 治らない胎児,予後不良な胎児は診ないで,紹介元に帰すべきなのでしょうか? そうかもしれませんし,そうでないかもしれません.

出生直後の児に愛護的なケアをおこなったり,ていねいな看取りをおこなうこと.選択的中絶にたいして母体に心からの配慮をもって介助すること.高度医療とか専門的医療とはなかなかいえないような,そういったケアに正面から真摯にとりくむことが,われわれの責務だとまちがいなく信じています.

ただしいまの現状では,主人公の青年医師がはからずも迎えざるをえなかった「運命」が,われわれの未来にもまちかまえているのではという漠然とした予感もあります.

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