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大浴場でどうしよう

同性の裸を前にすると、緊張してしまう癖がある。女子校、ないし女子の多い学校にしか通ったことがないのに、同性に裸を見られることを、特別なことと捉えている。風呂の入り方が変とか、なんか嘲笑されるんじゃないか。そんな恐怖が染みついていて、どうも自意識過剰になってしまうのである。

実は、友人と入っているときは、常に平気なふりをしている。男性の前では全然平気。だって彼らは目の前におっぱいが見えてたら、とりあえずそっちに気が散って、仕草やらなにやらなんて気にならないはずだ、などと勝手なことを考えていられるから。

こうなった原因は、もうわかっている。たしか、あれは中学校の修学旅行。生えはじめた下の毛や、膨らみだした乳房を同級生に見られることが、たまらなく恥ずかしかった自分は、よくテレビとかでやっているのをまねて(というか大人はそういうものだ、と思い込んでいて)バスタオルを体に巻いて浴室内に入ってしまった。だが入った瞬間、誰もが裸なのを見て、あれは、もしやテレビ上の演出だったのか、と気づいた。慌ててその辺にバスタオルをその辺に置き、何気ない顔をしてみんなの真似をして入浴した。

それを、のちに同級生に陰で笑われた。

みんなお風呂でどうしてる

思えば、父が温泉に興味のない人であるため、「家族で温泉旅行」に参加した記憶がない。

そう、自分は大浴場への場数を、あまりにも踏んでこなかったのである。10代では多分、修学旅行くらいでしか、大浴場に入ったことがないような気がする。

ふつうなら気にも留めない話だと思うが、お風呂は基本1人で入るものだから、他人がどうしているのかを知ることができない。それに自分の体は、自分でいうのも変なのだが、AVとかで見かけるようないわゆる細身で胸がある「典型的な」体型だから、ムチムチふわっとした質感の臀部をもつ、リアルな女子の裸を見慣れていないのだ。兄弟は弟が1人。姉妹はいない。そのため、同世代の女子の裸をとても生々しく感じた。

私が高校のころ、母が乳癌の手術をした。そのためちょっとした旅行では、個室の風呂がある宿を取るようにしていた。大浴場が苦手な自分にとって、旅行先でのそれはかえって都合がよかった。母と旅行先でお風呂に入ったのは、たまたま大きめのお風呂が貸切にできた場所があって、多分、たったその1回だけだったと思う。それがとても、気恥ずかしかったことを覚えている。

20代後半で夫の家族と温泉旅行に行き、義理の母、義理の姉2人と大浴場で一緒のタイミングになってしまい、1人だけ気まずい思いをしていた。フジロックでも、実はなるべく同室の人たちとはタイミングをズラすようにしている。被った場合は素知らぬ顔をしている。なんかごめん、と心の中でつぶやく。そのくらい、苦手。

30代になって、近所の銭湯に好奇心で行ってみた。浴室から出ると、脱衣所でおばさんに怒られた。身体がびしょぬれであると。浴室からは身体を拭いてから出ないといけないというルールがあることを、この歳で未だ知らなかったのだ。

大浴場は私にとって、とにかく苦く、萎縮するような思い出が多すぎる。

おそらく、大きなお風呂への緊張がちょっとずつほどけてきたのはごくつい最近のこと。今年の4〜6月、銀座の中銀カプセルタワー (風呂なし)に住んで、銀座近辺の銭湯をハシゴせざるを得なくなり、少しずつ慣れてきた。何よりも、知らない場所に行ってみたい気持ちが、羞恥心や躊躇いに優ったのだ。

つまり、やっと大浴場にも慣れてきた時期にサウナ旅行が決まったのは、心情的にも、かなりタイミングがよかったのである。やっと、私は誰の前でも裸になることを許された。



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