お金とぼくの物語3
こんにちは。
『お金とぼくの物語3』です。
早速どうぞ。
そして、読んでくださった皆様、特に学生の方や20代の若い皆様は、この僕の経験を読んで、僕を反面教師にして、上手にお金とつき合いながら、上手にお金を使える大人になってくださいね。
独立後の苦悩から負債へ
資格や知識、コンテンツがお客様を運んできてくれる、ずっとそんな風に思い込んでいたのかも知れない。そして、そう信じたかったのかもしれない。自分のビジネス能力がないことを認めたくなかったから。
でも、その思い込みは間違っていることには薄々気づいていながらもどうしたら良いか分からない不甲斐ない自分と、「助けて!」と誰にも言えなかった孤独でプライドの高い自分がそこに居た。
2019年4月、初めて、銀行系のカードローンというものでお金を借りた。少しずつ借りてはいたが、返す当ては正直無いに等しかった。
国税時代も自治体時代も、カードで買い物することはあったが、”返す当てのない負債”だけはしないように意識してたし、それだけは嫌だった。税金回収の仕事で、嫌というほど負債で人生が予期せぬ、そして望まぬ方向に転がっていく人を見てきたからだ。
だから、給与や賞与で支払える範囲でしか絶対カードは使わなかったし、リボ払いもしないし、キャッシングで借りたりもしなかった(そもそもキャッシングの設定すらしていなかった)。
それが、だ。キャッシングに手を出し始めた。
負債が溜まるのは速い。ちょろちょろっとした売り上げで返済するもすぐに不足する。
だけど、周囲には平気なフリをしてイベントや飲み会にも顔を出しながら、セミナーなどにも参加していた。人と会い、インプットしていれば、いつか仕事はやってくる。売上も上がっていく、そんなアホな幻想を抱き続けていた。もしかしたら、どこか現実逃避していたのかもしれない。
さらにエエ格好をして、カードを使って、数万円単位のクラファンの支援をしたりもしていた。
ちょうど一年半ほど前の2019年夏頃から、最悪状態がさらに加速していく。
負債が嵩むばかりで自転車操業状態。
どうにかしなければ、と、また高額のコンサルやオンラインコンテンツ作成講座に手を出していた。
今度こそ取り返す!と、借金してギャンブルに突っ込むのと同じだった。
オンライン講座や複数のコンサルなど、総額150万円ほどの投資。
いや、結果的に浪費にしてしまった。
これらをカードの上限額いっぱいいっぱいまで使って、全てリボ払いにした。
すぐに我に返ったが、時すでに遅し。
気は焦ってるし、どれも手段に過ぎないので、結局は自分に信用や軸となる商品がないと簡単には収入には結びつかない。
その信用も商品も自分には無かった。
何をどうしたら良いか!?もう訳が分からなくなっていた。
オンラインコンテンツにするネタも結果的に定まらず、営業コンサルでは1件契約が取れたものの、自分には合わないゴリゴリ系の営業スタイルで、そのコンサルタントさんには合っていたかもしれないが自分には合わないやり方だった。
売上保証のコンサルも、「あなたが本気で取り組むことが条件です」と書かれていたにもかかわらず、自分が本気で取り組まず逃げ出してしまった。
「相手が悪い」と思った時期もあったが、全ては選んで申し込んで活かせなかった自分自身の責任だ。
西野さんが言っていた。
「状況が悪い時、例えばお金がなく底をついている時などは、視野(選択肢)が狭くなって、一発逆転の施策をやりがち。そうすると、結果、負けている時に負けが続くことになるんだよ」
まさに自分はそのとおりの道を辿っていた。
さらに、
「プロジェクトを立てた時は、負けない、死なないことが大切。だから、負けパターン(どうしたら失敗するか?)をリストアップして、それらを徹底的に潰すことが大切だよ」とも。
一瞬浮上して、また下降へ
2019年11月には、お世話になっている方とコラボで合宿を企画した。満員にはならなかったものの、数名の方に参加していただき実施できたが、個人的には反省点がいくつか残る結果となった。
そこからは無気力状態に陥った。
誰とも会いたくないし、どこにも行きたくないし、誰とも話したくもない。家を出る時は食事の買い出しと、カードローンでお金を借りるのに銀行に行く時だけ。そんな生活が1ヶ月以上続き、一人暮らしの部屋に引きこもった。
2020年に突入し、ついに決壊
メンタルもお金も最悪な状態のまま年末年始を迎え、何も無いような顔をして実家に帰省した。現状は全て隠したまま。
だけど、数日実家にいると、母が察知した。
「アンタ、なんかおかしいな」
最初は平静を装っていたが、問い詰められると母親には隠せなかった。
実は、お金と仕事の問題とは別に、住んでいたマンションでちょっとした騒音トラブルに巻き込まれていた。クレーマー的な人から数回騒音のクレームを受けていた。完全に音を立てないわけではないが、どれだけ注意を払っても「眠れない」と翌日には部屋を訪問され、注意を受けていた。
管理人が日中在中しているマンションだったので、管理人には状況を伝え理解してもらったが、騒音の問題は最終的に当事者同士で解決してもらうことになる、と言われていた。
その状況とお金や仕事の状況を洗いざらい、母に伝えた。
「和歌山に帰ってきて、ゼロからやり直したら!?」
公務員をずっと続けて欲しかった母だったので、怒号も飛び、「だから辞めるなって言ったやろ!」とも言われ、泣かれわめかれもした。
100%、いや1,000%、ぼくが悪い。何も返せなかった。
結果、2020年の1月31日で大阪のマンションを引き払い、実家に戻ることになった。
もうアホで、バカな野郎だ。
2020年2月から復活。起死回生へ
2月1日に大阪市内のマンションを退去し、和歌山の実家に戻った。
「12年間住んで仕事をした大阪よ、有り難う!お世話になりました」と感謝しつつ、どこか寂しい気持ちで大阪を離れた。
和歌山に帰ってきた当初は、都落ちした気分になり落ち込むような気持ちもあったが、『やれることからやっていこう!』という気持ちが湧いてきた。
まず、大阪では全く乗らず、解体して押し入れにしまいっぱなしだったロードバイクを組み立てた。
お世話になっている方が、このロードバイクを『蘇り号』と名付けてくれた。
SNSで「せっかく組み立てたし、名前でも付けようかな」と投稿した。
そうしたら、ゼロから這い上がっていくぼくに、
「出雲大社のお守りの名前と同じ、蘇り号がいいですよ!」
と言ってくださり、そのままもらったのだ。
蘇り号で、ぼくはハローワークに行ったり、ネットで仕事を探し始めた。
もう一度生活を立て直すためとはいえ、急いで正社員をめざすのではなく、ひとまずパートや契約社員という形で収入を得ながら、両親と弟で経営している運送会社のサポートもすることになった。
だけど、書類選考で落ちたり、最終面接で落ちたり、仕事探しはあまりうまくいかなかった。
そんなタイミングで、コロナがやってきた。和歌山も感染者が出始めていた。自分は両親と同居していて、しかも運送会社の隣には90歳近い祖母も住んでいるため、外出は控えるようにした。
2月3月は、確定申告書を作成したり、ハローワークのネットサービスで仕事を探して、経験を活かせるものや自分の性格に合ってるものがあれば応募していた。
あとは、偶然見たホリエモンのYouTube動画をきっかけにホリエモンの本「ゼロ」という本を知った。ホリエモンが刑期を終えて出所した直後に出した本で、その時の自分にとってとても心に響いたし共感もして、他の本も片っ端から読み漁った。
すでに申し込んでいた求人への応募結果が出る3月末でいったん仕事探しは区切りをつけることにした。もし採用が決まって、副業ができないような会社なら廃業届も出すつもりだった。
そして3月末、自分の経験を活かせて、採用がほぼ確実だと思っていた応募先から不採用の通知が届いた。2名のうち1名に選ばれなかった。
不採用、コロナ禍での復活から挑戦へ
その時、「個人事業主でもう一度活動再開しよう」と決めた。その事業の一つが、家族が経営する運送会社の全面バックアップだった。
国税局で、新人時代に担当した滞納法人の社長さんの自死がぼくの活動の原点。
「あの社長さんみたいな人が二度と出ないように、お金の悩みを独りで抱え込んでいるような人を助ける仕事をしたい!」
代表を務める父、労務、総務や経理など事務全般を担う母は共に高齢になっていて、弟も運送関係の仕事はこなしているが、事務やパソコン操作があまり得意ではなく、ぼくが当たり前にできることで3人の負担を減らす役割は担える。
コロナ禍では、官公庁への申請をはじめ、取引先との契約や債権債務の履行などもオンライン化の波が加速的に押し寄せているため、うちの家族にはますます負担となっていた。
「両親であり、弟であり、そしてその運送会社で働く従業員さんやその家族など、一番身近な人たちを助けられなくて、なんで他人様を助けられるのか!?」
その運送会社は、元々、母親の父(ぼくの祖父)が興した会社だ。
ぼくが大好きだったおじいちゃん。すごい可愛がってもらった。優しかった。でもぼくが大学生の頃、病気で亡くなった。
今は父が代表。祖母も大切にしている会社だ。弟が活躍しているが、全てを担えるわけではない。ぼくにもその会社に存在する意味が出てきた。
そうやってこれからの方向が定まった矢先に、緊急事態宣言が国から発令された。
今までお世話になった方やお客様もほとんどが大阪にいるので会いにいくこともできなくなった。ぼくの実力や信用では、オンラインでの集客も望めなかった。
一方で、国や自治体の給付金や金融機関のコロナ特別融資など、様々な政策を片っ端から調べて、現状で給付や融資を受けられるところには申請した。
2月に黙々と確定申告の準備をし、申告期限が1ヶ月延長された中でも通常の期限内に申告していたことが功を奏し、給付や融資がスムーズに運んだ。
今は、細々とではあるが、両親の会社のバックアップをしてその対価を得ている。
負債もまだまだ残っているが、少しずつ返しながら徐々に減らしている。
40代半ばにして、アホさ全開、バカ極まりない男。
でも、生きている。生きてさえいれば誰かに助けてもらえるかもしれない。
大阪にいた時の仲間の専業主婦の方に勧められて、過去にも何度か書いた、キングコング西野さんのオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」に2020年5月のGW明けから入っていて、日々西野さんのメルマガ記事から、ビジネスやお金のことを学ばせてもらっている。
月々980円なので続けやすいのも有り難いが、西野さんの口ぐせ「サロンメンバーは全員救う。守る。勝たせる。」にどれだけぼくは救われたか。感動した。今も書きながらウルッときているが、勧めてくれた専業主婦の方にも感謝しかない。
西野さんの本は、2年以上前の公務員時代から何冊か読んでいた。『革命のファンファーレ』、『新世界』、そして、ホリエモンとの共著『バカとつき合うな』など。どの本も面白かったけど、オンラインサロンに入ろうという気持ちは当時はなかった。それだけ目の前のことしか見えていなかったのかもしれない。
サロン入会から約9ヶ月間で、すでにお金に関する最新のことを色々学ばせていただいたし、地元のサロンメンバーさん何人かともオフラインで会ったりして、少しずつご縁も広がりつつある。
そして、サロン記事の内容を意識して実際に日常のお金の使い方で意識し始めている。応援、支援という形で人にお金を使ってみたり。使い方の素敵な人のクラファンを支援させていただくのもそう。まだまだ練習中だ。
もう資格取得をめざしたり、心のお勉強はしない。終了。
「お金とぼくの物語」をとおして、人生を振り返ってみて・・・
今回、幼少期から自分の人生を改めて振り返ってみて、物欲にしても、資格にしても、ずっとベクトルが自分であり内側に向いてた。
「自分には足りないものばかり」という前提で、あれも足りないこれも足りないと感じて、アンテナにかかった物や資格で片っ端から埋めようとしていた。そこにお金がどんどん注ぎ込まれていく。結果、物でステータスやプライドは保てた時もあったかもしれないし、資格取得という形で埋まったものもあれば、途中で挫折してしまったものも数多くある。
もっと言えば、取得した資格ですら、活かせているものばかりではない。物は時が経つにつれ陳腐化する。
我ながら、とても滑稽だ。
ぼくにとってお金は、ずっとずっと“自分に無い”ものを埋めるための"何か"を手に入れるための道具だった。
でも、物や資格を手に入れても、自分自身の信用が増したり、ファンは増えない。
そして、今一番活かせているのは、過去の仕事で培ってきた“知識”と“経験”だ。皮肉なことに、いずれもお給料というお金をいただきながら得たものだ。
そして、自分の”個性”。HSPという個性やそれ以外の性格や信頼感など。全て自分が持っていて、ある意味当たり前にできてしまうことが、家族や運送会社にとっては希少価値となっていて、お金を生み出している。
今の段階で、お金の仕組みを全て理解してわけじゃない。まだまだ実践練習や西野さんのオンラインサロン情報や仲間からの吸収も必要だ。
過去記事でも書いているように、夢もある。必ず実現する。
一人では到底叶えられない夢。そして、叶えばぼくだけじゃなく周りのみんなが超ハッピーになるような夢に育てていく。
そして、自分は無力なので、周りの人に助けてもらうしかない。
前よりは「助けてください」を言えるようになった。
自分がまず挑戦し続ける。そして、挑戦する人を応援する自分にもなる。
負債もきれいにする。プライベートも充実させる。
どんなに小さなことでも、できることから一つずつやっていく。
そして、自分らしく生きる人生を、どんなに小さな歩幅ても一歩ずつ前に進めていく。
ぼくは不器用なので、真正面から向き合うしができない、誠実で真っ直ぐで素直なだけが取り柄な男。
乞うご期待です!
がんばります!
あるタイミングが来ましたら、この『ぼくとお金の物語』の続編を書きますので、それまでどうかお待ちください。
長文をここまで読んでいただき、本当に有り難うございました。
サポートしていただけるととても嬉しいです☺️✨どうぞよろしくお願いいたします🙇♂️サポートは、夢実現のため、大切な人の応援のために使わせていただきます‼️