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強い自己責任論に疑問を持った話

「自分の面倒は自分で見る」
「自分の生活費を稼げないなんて、自立ができていない証拠だ」

そうした考えが、当たり前だと思って生きてきた。

その感覚が変わったのは、ある一本の動画を見てからだった。

この動画は、皆で賞金の100ドルを貰うために、走ってレースをするという内容だ。ただスタートの前に、インストラクターからいくつかの質問を投げられる。インストラクターの質問に該当する度に、特別に2歩前に進めるというものだった。

「もし、父親(役)の人がいる家で育ったなら、2歩進んでください。」「もし、あなたの両親がまだ結婚しているなら、2歩進んでください。」「もし、携帯電話を止められる心配をしたことがなければ、2歩進んでください。」
前にいる君たちに、後ろを振り返って見てほしい。
僕が今述べた、全てのステートメントは、君たち自身がやってきたこととは全く無関係だ。
君たち自身の決断や、君たち自身の実績とは、全く関係がないことだ。
だけど、この100ドル札の競争において、前方にいる人たちが有利だということは、明らかにわかるだろう。
じゃあ、後ろにいる人たちは競争する権利がないのか?いや、そうじゃない。
自分がどれだけ機会 (Opportunities) を与えられてきたか、それに気づかないというのは馬鹿げていることだ。自分がどれだけヘッドスタート(有利なスタート)をもらえてきたか、認めたくないだけだ。でも、現実は、もらってきていたんだ。だから、言い訳は通用しない。彼らは彼らのレースを走らなければならないし、君は君のレースを走らなければならない。
だけど、誰がこの100ドル札を勝ち取ったとしても、それを、他人を理解するために有効に使わなければ、それも馬鹿げていると思わないか。

もしこれが本当にフェアなレースで、全員が一番後ろからスタートしていたとしたら、あの中にいる黒人男子たちは、君たちを一掃するに違いないだろう。
つまり、君たちは、このヘッドスタートがあるからこそ、『人生』という名の競争に勝てる可能性がある、それが現実だ。これが『人生』の縮図なんだよ、ladies and gentlemen。

途中からは、段々と顔が曇っていく人も現れて、見ていて少し辛くなった。

動画を見終えて、

「自分の面倒は自分で見る」
「人には迷惑をかけてはいけない」

という私の中にあった、強い自己責任論に疑問を抱くようになった。

なぜなら私たちの人生のスタートは、決して皆同じではないから。スタートの地点で既に前の地点にいる有利な人もいれば、そうでない人も大勢いる。

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多分これまで私は、
人生のレースのスタートラインは皆同じである、
そして心のどこかで、
スタート地点から今私がいる地点までの過程は、自分の努力だ
と思ってしまっていた気がする。

でも、今私が望んだ生活を送られていることは、私の力ではない。親や周りの人から沢山の機会をもらったからこそ、現在の環境があることを決して忘れてはいけないなと思った。

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