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名前の知らない花

春になると、庭の片隅に白く可愛い花が咲く。
それは、スズランにも似ている花をしているが、葉っぱの形がそれとは異なる。
植えた覚えはないが毎年春になると同じ場所で花を咲かせるのだ。


母は花が大好きだ。
庭には、いくつもの種類の花が季節ごとに競い合うように色付き花開き私たち家族を楽しませ、癒してくれる。
桜に椿に木蘭、コブシ、梅、桃、金木犀…たくさんの花を咲かせる木々も風に揺れながら、自分の花が咲き誇れる季節を待っていた。
母は買い物に出かけると決まって花を見る。気に入った花があるとすぐに連れて帰ってくる。
種を買ったり苗を買ったり、桃なんて花桃の木を買ってきたかと思えば、次は白桃の木を買ってきて楽しそうに土を掘り、家の周りの空いているところに少しずつ花や苗木を増やしていったのだ。



そんな母が3年前から花を育てることが出来なくなってしまった。育てるどころか、可憐に咲き乱れている花を見ることすら出来なくなってしまったのだ。
もともとの持病が悪化して入院することになってしまった。
入院中も庭の花のことが気になるようだったので、私はケイタイで写真を撮り、面会に行くたびに絶賛咲き乱れ中の花の写真を母に見せた。
ケイタイをがしっと掴み、画面に顔を近づけて愛おしそうに眺めていた。

母の容態は思っていた以上に早いスピードで悪い方へ進んでいた。
入院していた病院が、家から車で1時間半かかる場所にあったので面会も週に1度が限界だった。
子供が幼稚園に行っている間に、面会を済ませて帰らなければ迎えに間に合わなくなる。
母は週に1度しか家族に会えないから、少しでも長くいて欲しかったのだろう。
そろそろ帰ると告げると、母は面白くなさそうな顔をして『もう帰っちゃうの?まだ大丈夫でしょう!』と引き止めようとする。
いつも面会に来ると同じことを言ってくるから、少し強めに言い返したこともあった。
母は寂しかったんだと思う。
分かっていたのに、そんなふうに強く返してしまうのは昔から変わらない私の悪いところだ。




季節は冬になった。
毎週花の写真を見せていたが、季節のせいで花の写真を見せてあげられなくなった頃、母はあまり話さなくなった。
ベッドを起こして座ってはいるものの、どこか虚ろで私が面会に行ってもあまり反応しなくなった。
会話も、こちらがなにか聞けば『うーん。』や『そう。』くらいは話すものの、前のように自分の気持ちを言ったりは出来なくなってしまったのだ。

そんな状態が半年くらい続いた。
半年経つ頃には、寝たきりになり面会に行っても眠っている時間の方が多くなった。
庭には母の大好きな花が、また目覚めるように咲き出した頃だった。
たまに目を開けている時があるから『お母さん、…』と呼びかけてみるが、またすぐに目を閉じて眠ってしまう。
先生には、そろそろ覚悟をしておいた方がいい、と伝えられた。
それでも、母はその後も生きた。
話は出来なくても、毎週顔を見に来た。

ある時、眠っていたと思った母から『今何時だい?』と急に聞かれたことがあった。
その頃には、私のことも娘だと認識できていなかった。
でも、その時は違っていて、普段通り話すみたいにはっきりした声で聞いてきたのだ。
私が驚きながらも『お昼の1時だよ』と返すと、母はふふっと笑って『何時だい?って…』と笑みを浮かべながらまた聞いてきたのだ。
私が再び答えている間に、母はまた眠ってしまった。


母と話せたのはこれが最後になってしまった。


数日後、病院から連絡が入る。
容態が悪化したので来てください、と。
私は車を走らせ母の元へ向かった。
病室の母は、まだ息をしていた。たくさんの線に繋がれながらも、懸命に心拍を表す針を動かしていた。
看護師さんによると、家が遠いから少しでも容態が悪くなったら家族に連絡することにしていたそうだ。
その日、容態は安定したので私は家に帰ることにした。





それから12時間後。
眠っていると、電話が鳴った。
母の病院からだ。
時計を見ると夜中の2時を回ったところだった。
容態が急変したのですぐに来てください、とのことだ。
その夜は雨だった。
幼稚園の息子を起こして説明すると、一緒に行くと言うので支度をさせ急いで病院へ向かった。


横になっている母の顔を触ると、まだほんのり温かかった。看取ってくれた看護師さんの話によれば、母は最後は苦しまずに穏やかに息を引き取ったと言う。
長い間、病と戦い続けた母に相応しい最期だった。
梅雨がまだ明けない、7月の12日のことだった。







秋が過ぎ、冬を超えて、新しい年を迎え、また母の大好きな花が咲き誇る春がやってきた。
庭にはあの花が咲いていた。スズランに似た花だ。
私はこの花が好きで、毎年花を咲かせるのを楽しみにしていた。

しかし、名前がわからないのだ。
庭にある花の殆どの名前が分かるのに、この花だけどうしても分からなかった。
ネットでも調べたと思うが、載っている花の名前と咲いている花の感じがしっくり合わず、答えが見つからないままになっていた。


ふと、誕生花を調べたくなり自分の誕生花や、子供や夫の誕生花を調べていた。
そういえばと思い、母の誕生日もみてみることにした。

花の画像を見た瞬間、私は涙で何も見えなくなってしまった。
涙を拭いた私の目に映ったのは、紛れもなく『あの花』だった。
あの花は、母の誕生花だったのだ。



**スノーフレーク**
白く可愛らしいフリルの様な花。
花言葉は『汚れなき心』
母にピッタリだと思ったら、また涙が溢れた。
母は絶対に生きることを諦めなかった。必ず病気を治して、また家に戻ることを望んでいた。
最後まで笑顔を絶やさなかった。
自分がいちばん辛いのに、母はいつも優しく笑ってくれた。
人が好きで、誰とでもすぐに仲良くなってしまう母は、子供のように純粋な心で人に接していた。だから、相手も気持ちが穏やかになって、まるでずっと前から友達のように初対面の人とでも仲良くなってしまう。
そんな母が大好きだ。


春が来る度、母が庭に遊びに来てくれる。
そんな気がした。
毎年、同じ場所で白く可愛らしい花を咲かせて。

母は大好きな花に囲まれて、きっと楽しそうに笑っているに違いない。
優しい風に吹かれながら……

#創作大賞2024  #エッセイ部門




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