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思い出のかけらに出会う。

「Snip!」そして思い出のかけら。

何やら旅行記であることはInstagramの投稿を見てわかっていたのだが、投稿される写真に登場する女性がいつも笑っているので、こういう人たちが作る本は、きっと楽しい本だろうと思っていた。そして、タイトルから創刊号は「ミャンマーにある少数民族の村を訪ねた記録」であることもわかっていた。
直接のきっかけは、投稿で「売り切れたと思っていた創刊号がひょっこりパッキンで出てきた」というようなことを知ったこと。あまり見ず知らずの人と交流するのは得意ではないが、旅好きに悪い人はいない(ほんまかいな)ので、気軽にメッセージでやり取りし、注文してみた。

僕は、旅が好きだが好きではない。
これまで国内も海外もひとり旅をしたが動機を思い返すと「日常から逃れてのんびりしたい」というようなものだったと思う。
テレビ番組の主題歌で「〽知らない街を歩いてみたい どこか遠くへ行きたい」というのがあるが、まさにそのような心境で旅に出るのだ。

旅先では普段の生活と変わらないペースで、朝食を食べて出かけ、散歩した先で適当な店に入り、本を読み、昼寝したり、日なたぼっこしたりして、宿に戻る。そんな数日を過ごして、旅から戻る。
なるほど知らない街では知らなかった名産物に舌鼓を打ったり、海に沈む夕陽や灰色の空や、路地裏の赤ちょうちんや草の匂いや虫なんかに心動かされたりすることがある。でも、特別贅沢な食事や買物をするわけでなく、また、観光名所を回ったりということにもあまり興味がないので、回りの友人たちがたまにやっている「トラベラーズノート」的なアルバムは物としては残らない。出会ったものは、いつまでも心の中に思い出のかけらとして漂っているだけのような気がしている。

そんな旅に意味があるのか、価値などないのではないかと人は問うかもしれない。もっとはっきりと、思い出し思い返せる旅にこそ価値があるのではないかと。

それでは思い出とは何なのか。心に漂う思い出のかけらたちにどんな意味があるか。

大阪の下町で、民家が並ぶ住宅街の一角で育った。
小学生がいない家もあわせて15世帯ほどの家で編成されていた登校班には、20人くらいの小学生がいた時代(いまでは同じ規模で2〜3人でもおかしくないだろう)。週に一度は豆腐屋が豆腐を売りに来て、母はボウルを抱えて買いに行っていたような、そんな町だった。
ファミリーコンピュータもお金持ちの家にはあったがまだまだ庶民のわが家にはなく、遊びといえば年上・年下の近所の友達と草野球をしたり、ベッタン(メンコ)をしたり、女の子はゴム飛びなんかをしたりしていた。

いまは東京に住んでいても下町なので、たまに会社帰りに人の家からサンマを焼いている匂いやカレーの匂いがすると、少年時代を思い出す。23区内の狭い路地が、大阪の下町に見えてくるし、角を曲がると若かった母が立っているような気がする。
実際には、穴蔵のような日当たりの悪いマンションが自分を迎えてくれるだけなのだけれど。

それと同じく、思いがけずふと感じる香りや音、ある人の肌の食感や、レストランのメニューの味に、あの日そのときどの場所を思い出すときがある。
それは少年時代のみならず、家庭を持つようになってからのこと、そして旅先でのあの風景、当時の自分の状況など・・・。
日々を生きるなかで触れたものに反応し、過去の楽しさや悲しみ、さみしさや喜びを思い、また、生きていく。そのために帰るべき過去を呼び覚ますきっかけとしての曖昧な「もの」こそが「思い出のかけら」だと思う。

Snip!のこと。

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(写真は無許可で私がページを撮影したものです・・・)

話を本題に戻そう。

まえがきにはこうある。
「Snip!には、チョキンと切り取る、という意味があります。私たちはどこかを旅して、切り取ってきたかけらのようなものをもとに、旅の本を作ろうと思います。そして、雑貨の買い付けに挑戦してみたい。(中略)そうして探し当てたのが、ミャンマーのシャン州にあるチャイントンという小さな街です。」

これを読んで、この本に出会った意味を感じつつ、本を読みすすめる。

以前にタイで出会った雑貨が忘れられず、ミャンマーを旅する作者ら。
行った先、出会う人々、いつの間にか行きつけになっていたカフェ、すべてのものに興味が湧き、頭の中でかけらとかけらをつなぎ合わせようとしていた。
僕好みの短い文章はシンプルで無駄がなく、写真は色鮮やかでコラージュなどの編集にもうなる。何よりも、登場人物の表情がたまらなく素敵だ。

細かく書くとネタバレになるのであまり内容には触れないが、作者らの若さ、それに起因するパワーと執念を感じて自分も突き動かされた一冊です。

もちろん、少数民族がくらす村々や、手でつくられる雑貨たちにも魅力があるのだが、「やりたいことはすぐにやってみる、そして、やり通す」こと、いつも狭い世界で生きがちだが、「世界は広い」ということを思い出さされた一冊。

いつまでも本棚の片隅に置いておきたくなる本だった。

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