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やっぱり聞き上手はモテるよね。[新・群れラジオ#10]


こんにちは、群れ研究所です。

新・群れラジオ#9は12月9日に行われました。伊予柑さんと一緒に木曜の読書会スペシャルに向けて問いや感想を話し合おうという会でした。

議事録はらるさんがまとめてくれたので、この記事ではマイクとみさわが個人的に面白かったことや学んだことなどを切り抜いていこうと思います。

■YouTube

■みんなの問いと感想 議事録


めちゃモテ研究員による、めちゃモテ聞きぢから


■読んだひとに聞きたいこと
・自分はどんなコミュニティにいるか
・コミュニティに対してどういう関心があるか
・この本を読んでみて、面白かった、印象にのこった箇所
・この本の内容を「自分のコミュニティ」と照らし合わせるとどうか
・この本を読んだ他の人に聞いてみたいこと(問い)

あらかじめ問いを設定しておくことで、深く感想を掘り下げられるという手法でした。ラジオ#9では、参加者のみなさんに思い思いにお話ししていただき、らるさんが相槌を打ったり、さらに質問して相手から引き出していました。

これまでスラムでも「聞き手が大事」というようなお話しが度々ありましたが、今回はらるさんの聞き手力を通じて、こういうことなのか!と思いました。スピーカーの皆さんもとても気持ちよくお話しできたのではないでしょうか。問いを立てよう、問いをくれと言ってきましたが、やはりこういった一歩、問いをうむようなリードが大事なのだなと学びました。問いが問いをうむのですね。

俗なことをいうとすごく自然なリードだったため、あらゆるシーンでモテるだろうなあと思いました。かのプロ奢さんも奢られの現場で自分の聞きたいことを聞きながらリードしているからモテるのでしょうか。自分の聞きたいことがあらかじめわかっていると、聞きたいことを聞くための質問ができる=相手に関心を持てる=相手は話していて気持ちがいい=モテる=モテる



今後、群れ研究所が読書を通して活動するにあたり、吸収したい手法です。

つよつよマン問題について

端的にいうと、つよつよマンしか勝たんでは?という問題ですね。

これについて、伊予柑さんから補足がありました。

伊予柑さん:つよつよマン問題に関して僕の方から補足すると、この作者の人は、オープンソース界隈というコンピューターで巨大なものを作ろうぜというコミュニティにいます。なので、地域コミュニティ、草野球や草サッカー、そういったコミュニティではなく、そもそもゴールがある、商業的な大きなものをみんなで作ろうぜみたいなものを前提としてるんですよね。なので、つよつよマンにならないと死ぬよというので、あんまりよわよわマンのことは書かれていないってかんじです。

ケイナさん:これは遠くへ行きたい人が読む本ですもんね。

伊予柑さん:草野球って遠くに行く必要がないんだよね。

ケイナさん:多くの組織は大体現状維持か、ゆるい右肩上がりであればいいって感じですよね。

伊予柑さん:じゃあ弱い人は遠くを目指さないのかっていうのは論点になる。

ラジオの一場面


伊予柑:遠くとは現状とは違う状態だと思うんですね。現状と同じ状態って多分遠くじゃないと思うんですよ、つまりみんなで変わろうということだと思う。来週も同じ草野球がしたい。遠くを設定した上でマイルストーンを設定して、ゴリゴリやっていこうぜというのが後半の内容

ケイナさん:群れ研は現状に満足しているのかもしれない

ラジオの一場面「遠くってどこだろう」


群れ研究所はどうやって活動をしていくか?という問いは、結成目的がない自然発生的なコミュニティである群れ研究所にとって返答に詰まってしまうかもしれませんね。

個人的な見解ですが、私はどうやって活動していくか?というより、どのような価値を保存していきたいか?という問いが重要ではないかと思います。今回『遠くへ行きたければ、みんなで行け』を読むにあたり、コミュニティは価値保存装置であり、価値発生装置であると感じました。

私たちは自分の感じた価値を関係性の中に保存することができるのです。そして、それが他者に認められたときに、「社会関係資本」がうまれます。つい、社会関係資本の獲得に惹かれますが、重要なのは原動力となる「この価値を保存したい」という欲望ではないかと私は思います。

なので、群れ研究所の活動をどうするか?を考えるのは一旦やめにして、ここらでただ好きなものを語る回というのを一度やってみませんか。あらかじめ問いを用意しておいて、数分間のLT形式で・・・これは礼拝です。あとはそれをどうパッケージしていくか、リスナーさんも受け取れるようなパッケージにできれば・・・世界征服も夢じゃない・・?

人間の受け取れる総量はおおかた決まっているなら、自分の感じた価値をどれだけの人間に広められるかで価値の強度は変わるかもしれない!私はグラコロを毎年食べると決めているのですが、この冬もグラコロを食べたことのない人にセールスするのに成功しました。人間の胃袋に入る量は決まっている!「立って半畳、寝て一畳、天下取っても二合半」と誰かが言ってました。その二合半をどれだけグラコロにするか、これは戦争なんだ!

そんなことを思ったりしました。


これは余談ですが…後日、グラコロの食べ過ぎでアレルギーっぽくなってしまいました。うむ…やはり価値をひとりで抱え続けるのはむづかしい…


それではまた、
とみさわでした

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