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【活動レポート】「まちの終活対談」を開催しました!

みなさんこんにちは。ムラツムギ事務局です。
いつもムラツムギの活動を見守り下さりありがとうございます。
8月31日21時から、ポケットマルシェCEOの高橋博之氏と弊社代表理事の前田陽汰の対談イベントを行いました!


高橋さんは実はムラツムギがNPO法人になる前、任意団体としてのローンチイベントに足を運んでくださっていました。当時はムラツムギとして、何を目指しているのか、まだまだ抽象度の高い話をしておりましたが、少しずつ、目指すものの言語化やそれを形にした取り組みが生まれてきました。

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今回は弊社の理念を小さいながら形にした、「家史」のローンチイベントを兼ねまして、スペシャルゲストとして高橋さんをお招きして「まちの終活」について語り合いました。そのダイジェスト版をお届けします^^


ゲスト:高橋さんのご紹介

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ポケットマルシェCEO 高橋博之氏
新鮮な食材を生産者から直接に買えるポケマル創業者。食べる人と作る人の関係を、顔の見える個人同士として繋げ「都市と地方をかきまぜる」のが使命。地元の岩手で県議を2期、震災後は知事選にも出馬。その後、起業家に転身。食べ物付き情報誌「食べる通信」を創刊、地方創生大臣賞を受賞。生産者さんと会うために「寅さん暮らし」で全国行脚中。
著書:
『人口減少社会の未来学』
『だから、ぼくは農家をスターにする ―「食べる通信」の挑戦』
『都市と地方をかきまぜる ―「食べる通信」の奇跡』
『共感資本社会を生きる 共感が「お金」になる時代の新しい生き方』


ムラツムギ代表田中(以下、田中)
高橋さんは岩手沿岸250キロを徒歩で縦断する旅や、47caravanを通して生活者の声に耳を傾け、多くの地域の現状を肌で感じておられますよね。
そんな高橋さんからのお話、とても楽しみにしております。よろしくお願い致します。

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高橋さん
ツイッターで、山口の漁村を巡っている様子をつぶやいたら前田くんが絡んできてね。私は孤独感から解放された気持ちになったんですよ(笑)


ムラツムギ代表前田(以下、前田)
はい(笑)で、ツイッターの絡みでは収まらなくなって、今日のイベントに繋がったんですよね。今日はよろしくお願いします!

高橋さん
今日のイベントだって、タイトルが「まちの終活対談」でしょう?これってすごくセンセーショナルって印象を持たれそうだけど、本当は誰にでもすごく重要なことだと思うんだよね。
みんな忌み嫌うけど、死とか終わりとかをタブー視したままじゃいけないよね。

前田
そうですね。死とか終わりって、何にでも訪れることで。"無常"ってことじゃないですか。
僕、自分がやってる会社の名前も「むじょう」なんですけど(笑)

高橋さん
いや〜、やるなぁ!と思ったよ〜。

合理性の違い

高橋さん
最近、色々なところで水害があるでしょう。で、防潮堤とか作るじゃない。みんなリスクを0にしようとするんだよね。0リスクで自然との共生はふざけんじゃねぇよ、と思う。

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前田
山口弥一郎さんという方の言葉で、
「海に帰る人は、非合理であるが、客観的に非合理ではあっても、その人から見たら合理性がある」というものがあるのですが。

高橋さん
合理性は、ひとによって違う。
「またやられるところに住んで、それ、非合理じゃね?」という人が、今は多い。今一般的に言われる"合理性"とは、0リスクを目指すことが多い。
その極め付けが東京の一極集中なのではないか。
なぜ、こんな狭いところに住んでるの?と思うけど、その人たちには、何かある。住み続けていることの意味があるよね。

東京と田舎、お互いの合理性を理解できなくなることもあると思うんだけど、私はそれが怖いな。

あと、GDPを国の指標にするのって、どうなんだろうね。GDPが豊かさの指標とされたのは、世界恐慌の時代。当時はものがなかったけど、現在は、供給過剰。内閣府はメガシティとか言ってるけど、俺はそれしかないの?って思う。


前田
テクノロジーを全否定するつもりはないが、僕の問題意識は、一人ひとりのことから始まっている。それこそ、全体の合理性みたいなものは、考えてない。個人の合理性を追求していけば、全体の合理性になる、という考えですね。

高橋さん
行政からすると全体を考えなきゃいけない。合理性重視で。コンパクトシティとかそうだよね。

「ここの集落は維持が難しいので、山から降りて来てくださいよ。」という意見と、「70年生きて来た村で生きて、死にたい。」という意見。
そのひとを、無理やり山をおろさせるのかね?


前田
実は、国が敷いたルールで、居住の自由というものがあるんですよ。住む場所の自由。それを選ぶ自由。
それがあるので、「山に住みたい」とその人が言うのは、しっかり筋が通っているんです。


土の人と風の人


前田
そもそも地方って、根っから地域に根ざしている"土の人"と、そこへ流れ込んでくる"風の人"がいますよね。

高橋さん
私は全国回ってますけど、巷で言われている地域活性化のようなことを地元の人に言っても、全く噛み合わないんですよ。
にわかに湧いてきた"風の人"が色々言ったって、そこでずっと生まれ育って年月を重ねている"土の人"は、ピンと来てない。


前田
僕、出身は東京なんですけど、高校時代は釣りをしに島根県・海士町の島の高校に入学して、島に住んでいました(笑)

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釣りをよくしていたので、地元の人たちの輪に入らせてもらうことが多かったんです。その島、地域活性化の成功事例として有名なのですが、活性化系の取り組みをしているのは"風の人"が多くて。
「彼らの風の取り組みは、土は、望んでいる?」
「地元の人のためになっているかもしれないけど、本当に望んでいるの?」というのは、疑問に感じていました。

家史について

高橋さん
そういえば、ムラツムギで、「家史」っていうの始めたよね。

「家史」とは
ー『記憶を記録に』をコンセプトに、お家とあなたが主人公のオーダーメイド書史制作サービスです。
「これから家をどうしよう」とお悩みの方のための、 お家の記憶を記録に残すオーダーメイド書史です。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000062692.html

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"まちのことについて"だと、思考停止になってしまいそうになるよね。だから、家を中心にするのはとてもいいと思う。
もっと言うと、個人のことも、記録されて、残されると思うといいと思う。

前田
家で生活して来た人に、家の暮らしを語ってもらう。内観とか、外観の写真。
子孫の断捨離で捨てられないようなハードカバーで。
家=ハードの家 +ソフトの家。それをどのように残していくか?という、社会実験的な取り組みです。

まちって、パブリックなものだから、イメージしづらいじゃないですか。それでよりパーソナルなものを考えたんです。「まちの終活」の1ステップ目となる事業と思っています。


高橋さん
よく言われる"孤独死"ってね、なにも引き継がれないと思うんだ。
非合理性の中でも、そこにずっと人が生きて来た事実。そこに人が住まなくなっても、そこにあった生活が、記録し、記憶されたらな、と思う。

"非合理的"に人間が生きることの意味やメッセージがあるよね。それを受け止める人がいたら、50年後の日本は変わると思う。 

自分の親父が死ぬ時、最後の1週間くらいは、家族と過ごして思ったんだ。
「人生の最後の時間って、記録し、記憶する時間なんだ」って

「活性化」の過渡期


高橋さん
そもそも、活性化とは、何なんだろうね。

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前田
今の地域活性化のものさしは「経済」だと思います。

高橋
じゃあそれって自治体の仕事ではなく、民間ですよね?
そしたら、自治体は安心・安全の維持。行政は、活性化が仕事じゃないんじゃないかな。
今の行政は維持するために、コンパクトシティー化を言ってるよね。しかし、彼らも苦しんでる。なぜなら、そこの人々の顔が見えるから。自分も住んでるし。結構、しんどいんじゃないかな。

だから、「まちの終活」に救われる人もいるのでは?活性化っていえばいうほど、そうじゃない現実は、罪になってしまうから。自治体も、本人も。

前田
そうですよね。

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「変化の過渡期」。そういう言葉が適切だと思う。
集落に住み続けたい、その思いと裏腹に、叶わない現実もある。そこに伴う伝統を絶やす罪悪感、将来に対する不安、寂しさ。それが募る中、どう折り合いをつけていくか。これは現時点ではすごく難しいです。
でも、活性化前提じゃなければ、それらの感情って否定されなくなるんじゃないか?と、そういう仮説で取り組んでいる。

高橋さん
結局、地方創生・活性化をいっているのは、都会の人じゃない?あと、企業。結局、供給過剰で余白がないので。農業も、まだ近代化してないから、儲かる余地として見てる気がする。地方の中に課題を探しているよね。課題ロスというか、惨事便乗資本主義というか。新自由主義の実験場になっているのと似ている。

テクノロジーって、なんのためにあるんだろう?
人が幸せになるためなら、賛成。しかし、人を振り回すような議論が散見されていて、それはおかしくない?と思う。

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「変化にもっとやさしく」


高橋さん
今後、ムラツムギや前田くんの描いている未来は?

前田
ムラツムギでは「変化にもっとやさしく」という理念を掲げていて、そんな社会に近づけばいいなと思ってます。今は、変化に抗っていて、やさしくないと感じています。

高橋さん
それって、日本人の中にもともとあった「無常感」に通ずると思うんだよね。
150年前に明治維新があっての今なんだけど、日本とか、東洋の考えもバランス良く持つべきだと思うんだよね。
西洋、自然を支配するような考え方だけじゃなく、日本が大事にしていたこと。DNAに刻まれているそれを、信じたいな。

最後に一言


田中
今日の話を聞きながら、このままでは日本はシンガポールみたいな都市国家になってしまうのではないか?それは嫌だなと思いました。
合理主義って、そもそも面白くないし、生きづらいと思う。

前田
僕は、ちゃんと伝わる言葉を永遠と考えている。
高橋さんは、ばしっと言える。それをぼくは紡ぎ出すのに、めちゃくちゃ時間がかかる。大先輩のなさることは、鋭い。感動した。ありがとうございました。

47都道府県を回るのやりたい。(高橋さんは6週目)
来年チャリ使ってやろうと思います!


高橋さん
若い人たちが「まちの終活」の話をするなんて、ぼくの時代では考えられない。
僕の時代は、高度経済成長が終わった年に生まれた。その波しぶきをくらいながら、大きくなった。まさに、閉じる、縮小は、ありえない。東京行って、会社人生して、が、当たり前だった。

いまの20代は波しぶきも終わった、冷静に見ているように見える。ぼくは頭でっかちで、頭で考えている。だからみなさんが、体で感じて活動しているのが印象的。タブーとされた来たことを扱っている人たちが出て来て、嬉しい。希望を感じる。

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21歳の時、ぼくはただ、田舎コンプレックスだった。みなさんは、大切な活動をしている。その種火を、広げてほしい。今の社会には希望がない。期待している。楽しみ。何かあったら、またおじさんのことを使ってください(笑)

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以上、「まちの終活対談」のダイジェスト版でした!この記事のほかにも議論が拡がったり、配信視聴者さんのコメントに答えたりと盛り沢山でした!もしよろしければ、配信の録画がYouTubeに上がっているのでぜひご覧ください(^^)


https://youtu.be/BfLsMbPWJ4k

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