『原作版リング』と『映画版リング』の違い①

序文

 昨日、私はある小説を読了した。鈴木光司の『リング』だ。
 言わずもがな、あのハリウッド映画化するほど一大ブームになったJホラーの火付け役、『リング』の原作だ。
 ただ、原作と言っても…
 昨日原作を読み終えた後に映画版『リング』を観て思ったのだが、映画版『リング』と原作版『リング』は全くの別物である。
 ※今からの文には『リング』の映画版。原作版の多大なネタバレを含みます。注意してください…

どこが違うのか?

 

冒頭シーン


 まず、冒頭から違う。
 映画版『リング』は女の子が呪いのビデオの噂話をしている場面から始まる。男の子が空きチャンネル録画をしてそれが呪いのビデオとなったという話は原作と同じだ。
 ただ、原作ではそれは主人公浅川が事件を推理していく中で気づく。
 後、あんな百合百合したシーンでは始まらない。
 女の子は最初から1人の状態で始まる。
 後、細かいところだが映画版ではペットボトル入りのお茶をコップについで飲んでいるが、原作では1.5L瓶のコーラ をコップについで飲んでいる。これは原作が1991年刊なので時代が違うからだろう。
 
 その後、映画では女学生の噂という形で話が進んでいくが、原作では冒頭シーンの後、バイクから倒れる専門学生をタクシー運転手が見つけ主人公浅川に伝えることから事件の推理パートが始まる。

主人公

 映画版の主人公は浅川 玲子という映画版オリジナルキャラクターで松嶋菜々子が演じている。職業はテレビ局のディレクターだ。
 一方、原作の主人公は浅川 和行で男性だ。新聞社に勤務する雑誌記者である。マスコミという点では一緒だが職業が異なる。
 浅川 玲子は原作の浅川 和行とその妻である静を合わせたキャラクターで、シングルマザーだ。原作の浅川 和行同様事件の推理をしていく。これは映画の尺の関係上、2キャラをフュージョンさせたのだと私は考えている。

相棒である高山 竜司
 
高山 竜司は映画版でも出てくる。ただし、原作と性格や設定が違う。
 原作では、医学部出身で大学の哲学科の講師で、主人公浅川の高校時代の同級生という設定だ。

 映画版では医学部出身で大学の講師という設定は一緒だが、学部がなぜか変わっている。(確か…理工学部になってたはず)そして、主人公を女性にしたので、その元旦那という設定になっている。

 原作の高山 竜司は、狂気に満ち溢れている。常に不気味に笑っている印象が強く、狂っているため7日後の死に対しての怯えがない。(これはそういうキャラを演じてただけかもしれないが…)。学生時代浅川に「強姦をした」と豪語していたが、終盤辺りの恋人の発言から実は童貞だったという疑惑が浮上する。ファッションクレイジーサイコ野郎だったわけだ。

 映画版の高山 竜司は童貞ではなく、元妻子持ちだ。映画版『らせん』では遺伝子を残したことを後悔していたという設定が語られている。貞子のようにサイキッカーでサイコメトラーの能力を持っている。(映画版では浅川も能力が芽生えたかのような描写があった)貞子の親戚のお爺さんの体を触れることで過去の映像を追体験し、貞子の死をもたらす能力を見た(ここも原作と全然違う。貞子の項目で語る)。頭もよく、原作と違って口数もそこまで多くなく、不気味な笑みも浮かべない、嘘もつかない、非常にカッコいい男になっている。

公開実験

 映画版では、貞子の母親である志津子のマスコミに対する公開実験は箱の中の紙の内容を当てるという実在した御船千鶴子の透視実験に近い内容になっている。『魍魎の匣』『トリック』でも出てきたあれである。
 原作では、鉛の容器に入ったサイコロの目を当てるというもので、多くの人が周りにいると能力をうまく発揮できないということで公開実験は中止になっている。マスコミがインチキと言ったのは映画版と同様だが、原作ではこの中止がその原因である。

貞子

 貞子の設定はかなり異なっている。

①貞子の能力の被害者
 映画版では志津子の公開実験の際に記者の一人を殺しているが、原作で殺したのは貞子を襲おうと企んでいた貞子が入っていた劇団の関係者だ。
 
②貞子の死因
 
映画版では、何故か貞子を父親が井戸に投げ入れたことになっている。
 原作では、貞子の父親が入所している南箱根療養所の医師である長尾が貞子殺しの犯人だ。貞子の胸を見て発情し強姦し、首をしめたうえ井戸に放り投げた。長尾は日本最後の天然痘患者とされている。

③貞子の性別
 
映画版『リング』では描写されていないが、貞子は半陰陽といって女性と男性の特徴をあわせもった者である。
 そのため、生殖能力はない。
 彼女は子供を産むことはできないが、能力によって「呪い」を生み出すことができる。そして、彼女の「呪い」は増殖する。これは『らせん』で活かされていく設定だ。

④貞子の登場シーン
 
貞子は原作では回想描写以外に登場しない。なので、髪の毛が顔を覆い隠すというのは映画版オリジナル設定だ。なので、同時公開の『らせん』では顔がもろ出ている。顔はかなりの美人として設定されている。
 だから、貞子がテレビから出てくるのも映画版オリジナルの展開である。ビデオの中から現実世界に出現し逃げ場がないという設定はおもしろい。

⑤貞子の性格
 
貞子の性格は引っ込み思案である。変な子と言われていたという点では原作、映画版ともに一緒だ。原作版の貞子は引っ込み思案だった描写がかなり多くあるので、映画版みたいにテレビから飛び出す様子がちょっと浮かばない。

呪いのビデオ

 呪いのビデオの内容がかなり異なる。
 映画版の呪いのビデオは不気味な映像でとても怖いのだが、謎解き要素の難易度はかなり簡単である。新聞を念写してわかりやすく視聴者に伝えてくれる貞子のやさしさがあふれている。
 原作版の呪いのビデオは、6p程にわたって描写がある。
 ざっと述べると、
 文字の映像、赤い色の映像、三原山、三原山の噴火の映像、「山」の文字、サイコロの映像、方言で話す老婆の映像、赤ん坊の映像、無数の顔の映像、古いテレビの映像(「貞」という文字)、男の顔と出血の映像、呪いのテロップの映像
 という感じだ。(抜けがあったらすいません…)
 映像だけでなく、赤ん坊を持っている感覚や実際に話しかけられているような感覚も与えており、今でいう4D映像になっている。
 貞子の視点の映像を念写した部分も多くあり、VR映像ともいえる。
 ちなみに、原作版の貞子も優しく「この映像を見た者が一週間後に死ぬこと」をテロップで教えてくれる。しかも、「呪いの解き方(ビデオのダビング)」もテロップで教えようとしてくれていた。
 (実は優しいというかビデオのダビング機能を使って自身の「呪い」を増殖しようとしていたわけなのだが…)
 原作では貞子の呪いのビデオを見ると「呪い」という潜在的なウイルスに感染することが示唆されているのだが、尺の都合か映画版ではウイルス要素をバッサリカットしているため、続編の映画版『らせん』で急にその設定が出てきたように感じてしまう。そして『らせん』の内容が非常にわかりにくいことになっている。
(自分も今回、原作版『リング』を読んで映画版『らせん』の疑問がすべて解消した。)
 映画版『リング』に比べると映画版『らせん』の評価が低いのはこのためだろう。
 『リング』というタイトルは井戸の形だけでなく、顕微鏡で見ると輪のように見えるウイルスからも取られていると思うのでこの設定を省いたのは少しもったいないと思う。

終わりに

 今回の記事はここで終わろうと思う。
 映画版リングも原作版リングもどちらも傑作でありどちらも好きであるが、私は原作版リングの方がどっちかというと好きである。
 
 
 


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