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映画『水俣曼荼羅』(原一男監督)を巡って

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【あらすじ】公式ホームページより転載

   日本四大公害病の一つとして知られる水俣病。1956年に公式確認され、今なお補償をめぐる裁判が続いている。ついに国の患者認定の医学的根拠が覆られたが、根本的解決には程遠い。そんな患者たちの戦いを原一男監督は20 年間、まなざしを注いできた。これは、さながら密教の曼荼羅のように、水俣で生きる人々の人生と物語を顕した壮大な叙事詩である。川上裁判により初めて国が患者認定制度の基準としてきた末梢神経説が否定され、脳の中枢神経説が新たに採用されたものの、それを実証した熊大医学部浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視。依然として患者切り捨ての方針は変わらない様子を映す『第1部 病像論を糾す』。小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に賭ける川上さんの最後の闘いなどを追う『第2部 時の堆積』。胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさと叶わぬ切なさ、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力、水俣病の患者に寄り添い、水俣の魂の再生を希求する作家・石牟礼道子さんなどを取り上げた『第3部 悶え神』。さながら密教の曼荼羅のように水俣で生きる人々の人生と物語を顕した、3部構成372分の一大叙事詩。

【公開劇場と公開予定日】

◎ 東京都 シアター・イメージフォーラム 03-5766-0114
2021年11月27日(土)~12月中旬
◎ 千葉県 キネマ旬報シアター 04-7141-7238 近日公開予定
◎ 神奈川 横浜シネマリン 045-341-3180 近日公開予定

【解説】朝日新聞から転載

「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」「ニッポン国VS泉南石綿村」などを世に送り出してきたドキュメンタリー映画の鬼才・原一男監督が20年の歳月をかけて製作し、3部構成・計6時間12分で描く水俣病についてのドキュメンタリー。日本4大公害病のひとつとして広く知られながらも、補償問題をめぐっていまだ根本的解決には遠い状況が続いている水俣病。その現実に20年間にわたりまなざしを注いだ原監督が、さながら密教の曼荼羅のように、水俣で生きる人々の人生と物語を紡いだ。川上裁判で国が患者認定制度の基準としてきた「末梢神経説」が否定され、「脳の中枢神経説」が新たに採用されたものの、それを実証した熊大医学部・浴野教授は孤立無援の立場に追いやられ、国も県も判決を無視して依然として患者切り捨ての方針を続ける様を映し出す「第1部 病像論を糾す」、小児性水俣病患者・生駒さん夫婦の差別を乗り越えて歩んできた道程や、胎児性水俣病患者とその家族の長年にわたる葛藤、90歳になってもなお権力との新たな裁判闘争に懸ける川上さんの闘いの顛末を記した「第2部 時の堆積」、胎児性水俣病患者・坂本しのぶさんの人恋しさとかなわぬ切なさを伝え、患者運動の最前線に立ちながらも生活者としての保身に揺れる生駒さん、長年の闘いの末に最高裁勝利を勝ち取った溝口さんの信じる庶民の力などを描き、水俣にとっての“許し”とはなにか、また、水俣病に関して多くの著作を残した作家・石牟礼道子の“悶え神”とはなにかを語る「第3部 悶え神」の全3部で構成される。

【映画の公式サイトに掲載されている原監督自身のコメント】

まだ、取材・撮影のために水俣に通っていたときのことだが、ある日、街角で「水俣病公式確認60周年記念」という行事のポスターを見て、私は唖然とした。この行事は、もちろん行政が主催するものだ。
今日に至るまで、水俣病の問題は決して解決していない。つまり、このポスターの意味は、行政には、解決する能力がない、あるいは解決する意思がない、ということを意味している。その行政が、何か、ご大層に、記念行事をするなんて変ではないか。変であることに気付かないところが、まさに正真正銘、“いびつ”で変なのであるが。 では、なぜ、そのような“いびつさ”が生じたのか? 結果としては、私(たち)は、15年かけて,その“いびつさ”を生むニッポン国と、水俣の風土を描くことになった。
私は、ドキュメンタリーを作ることの本義とは、「人間の感情を描くものである」と信じている。感情とは、喜怒哀楽、愛と憎しみであるが、感情を描くことで、それらの感情の中に私たちの自由を抑圧している体制のもつ非人間性や、権力側の非情さが露わになってくる。この作品において、私は極力、水俣病の患者である人たちや、その水俣病の解決のために戦っている人たちの感情のディティールを描くことに努めた。私自身が白黒をつけるという態度は極力避けたつもりだが、時に私が怒りをあらわにしたことがあるが、それは、まあ、愛嬌と思っていただきたい。
この作品で、何が困難だったかといえば、撮られる側の人たちが、必ずしも撮影することに全面的に協力して頂いたわけではないことだ。それは、マスコミに対する不信感が根強くあると思う。映画作りはマスコミの中には入らないと思っているが、取材される側は、そんなことはどうでも良いことだ。とは言え、撮られる側の人が心を開いてくれないと、訴求力のある映像は撮れない。撮る側は、撮られる側の人たちに心を開いて欲しい、といつも願っているが、撮られる側の人たちは、行政が真っ当に解決しようという姿勢がないが故に、水俣病問題の労苦と重圧に、日々の暮らしの中で戦わざるを得ないので、カメラを受け入れる余裕がない。苦しいからこそ、その実態を率直に語って欲しい、晒して欲しい、というのは撮る側の理屈だ。
完成作品は、6時間を超える超長尺になった。が、作品の中に入れたかったが、追求不足ゆえに割愛せざるを得ないエピソードがたくさんある。かろうじてシーンとして成立したものより、泣く泣く割愛したシーンの方が多いくらいなのだ。だが私たちは撮れた映像でしか構成の立てようがない。その撮れた映像だが、完成を待たずにあの世に旅立たれた人も、多い。
ともあれ、水俣病問題が意味するものは何か?
水俣病は、メチル水銀中毒である、と言われている。その水銀が、クジラやマグロの体内に取り込まれて今や地球全体を覆っているのだ。日本の小さな地方都市で発生した水俣病が、今や全世界の人間にとっての大きな問題になっている ― そのことの大きさを、強く強く訴えたいと思っています。

【原一男監督の経歴】

1945年、山口県宇部市出身。長沢炭鉱で育つ。東京綜合写真専門学校中退。障害児の問題に興味を抱き、世田谷区の光明養護学校の介助員となる。1969年には銀座ニコンサロンで、障害児たちをテーマにした写真展「馬鹿にすんな!」を行う。この時点までは写真家志望だったが、写真展を見にきた小林佐智子(シナリオライター志望だった)と知り合い、後に共同して映画を撮ることになる。
60年代後半~70年代初頭にかけて、東京12チャンネルで過激なドキュメンタリーを撮っていた田原総一朗(後、東京12チャンネル編成部長)の著書『青春 この狂気するもの』(三一新書 1969年刊行)を読み、大きな影響を受け、田原が製作する『ドキュメンタリー青春』シリーズを夢中で見るようになる。
1972年には小林佐智子と「疾走プロダクション」を結成。光明養護学校での勤務経験をもとに、脳性麻痺の障害者自立運動家横塚晃一ら神奈川青い芝の会のメンバーを描いた『さようならCP』。
奥崎謙三を追った『ゆきゆきて、神軍』(1987年)により、ベルリン国際映画祭にてカリガリ映画賞、パリ国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ受賞。1991年より文化庁新進芸術家在外研修員としてアメリカに留学。
1995年、次世代のドキュメンタリー作家の養成を目指し、自ら塾長となって「CINEMA塾」を開塾。1999年、「CINEMA塾」第1回作品『わたしの見島』を製作、劇場公開。その後も、何本もの映画を塾生たちが製作した。
2019年11月、新レーベル「風狂映画舎」の設立を発表。第1弾作品として、ドキュメンタリー「れいわ一揆」を公開(「風狂映画舎」では日本の“今”をいち早く世に問う作品に取り組むことをモットーとし、今後は2つのレーベルから新作を作り出していくという[7]。「れいわ一揆」は2021年2月に、毎日映画コンクールドキュメンタリー映画賞を受賞)。

              ※      ※

【武良コメント】
    2004年の秋、最高裁でチッソ水俣病関西訴訟の判決があり、「国と熊本県にも水俣病に責任がある」ということが、その日初めて確定した。
   その判決日から、原監督とスタッフは水俣病を撮り始めている。
    カメラは、判決後の関西原告団の人々の姿を丁寧に追う。
    そこで医学像も問いつつ、続いて水俣現地での患者の暮らしや、継続する数々の訴訟をも描く。
     撮影期間20年、372分に及ぶドキュメンタリーは、「ゆきゆきて、神軍」に並ぶ原一男監督の代表作となろう。
      撮影時から世界中が完成を待望し、故・土本典昭監督に捧げる大作として、世界中の映画祭から上映のオファーが相次ぎ、ロッテルダム国際映画祭、ニューヨーク近代美術館(MoMA)、シェフィールド国際ドキュメンタリー映画祭、上海国際映画祭、香港国際映画祭、釜山国際映画祭、東京フィルメックスなどでも話題になった。

「病像論を糾す」
「時の堆積」
「悶え神」

    この3章ごとの主題と人物は時系列を無視し、複雑に絡みあう。
 映画の題名はその「曼荼羅模様世界」を象徴している。
    熊本大学医学部が実証した脳の中枢神経が侵されて難聴、味覚障害、視野狭窄、手足の痺れが生じる説を、国と国側の学者は認めなかった。
    原告が勝訴しても、被告の国と県が上訴すれば、判決は先延ばしにした。
    患者は認定を得られない。
「末端神経ではない。有機水銀が大脳皮質神経細胞に損傷を与えることが、原因だ」
    これまでの常識を覆す、あらたな水俣病像論が提出される。
    わずかな補償金で早急な解決を狙う、県と国。
    和解を承諾するなら訴訟は取り下げること、と行政は二者択一を迫る。
    時が過ぎれば、大臣、知事、担当者は代わり、重要書類は破棄される。
    本当の救済を目指すのか、目先の金で引き下がるのか。原告団に動揺が走る。   そして熊本県、国を相手取った戦いは続く……。

    水俣は日本ドキュメンタリー界の巨人・土本典昭が生涯をかけて記録してきた場所でもある。土本はスタッフと共に移住し、地元民と同じ魚を食べ、酒を酌み交わし、水俣の人々と暮らしながら世界的なドキュメンタリー映画を撮った。
    土本が『水俣 患者さんとその世界』(1971)で記録した反公害運動の熱狂はもうない。だが、被害者たちの苦しみは続いているのである。
 そこに再び新たな眼差しを向けることで原一男は本作で、土本典昭の遺志を継いだのだと言えよう。

   ひと月前に公開されたアメリカ 映画『MINAMATA』 は、水俣の何を描いたのか、と改めて思ったドキュメンタリー作品であった。
 エンタメ、フィクション映画の限界が露呈している映画だった。
 原一男監督の『水俣曼荼羅』は時間をかけてじっくり撮って、入念に編集処理されたドキュメンタリーなので、その「事実」の重みには訴求力がある。
「水俣闘争」が司法という裁判闘争、行政上の行政手続きの時代に入って、人々の関心は薄れ、その前の時期とはまた別の被害当事者の孤立感は深まっている。事件自身が「風化」し、忘れられがちな傾向を、この映画の事実の重みの提示によって、関心が高まることを期待したい。
 原監督の姿勢は自分が発見した事実の重みの提示によって、既存の視点の誤認、偏見を覆す力がある。
 だから、淡々と事実を述べるというよりも、被害者、弱者の側が本当に直面している困難、そのことで抱え込む、出口のない怒りを、鮮明に描き出す。
 これは石牟礼道子の作品で言えば、『苦海浄土ーわが水俣病』にもあった、根源的な怒り、哀しみ、絶望感の表現に近い。だが『苦海浄土』はそれだけの表現に終わっていない。「水俣病」の被害を被る前の、心身健全な時代の、漁師たちの暮しの姿を、自然に包まれている生きることの至福感とともに描きだし、事件とその後の事象の悲惨さ、加害者側の非人間性と並列して描いている。
 石牟礼道子はそこに留まることをしなかった。
 その地点から、チッソ・水俣病事件の告発調を超えて、普遍的な文明禍という視座に到達し、被害者自身が「私もチッソであった」「チッソを許す」という、反語的にも聞こえる「思想」を述べるにいたる境地に達しての、普遍的な文明論的な視座からの表現へと変化していった。
 
 第三章は「悶え神」という章題になっている。
 これは他人の苦しみを傍観などしていられない、基層民の共感力を表わす言動のことで、そのことを鮮明な「思想」のようなレベルで表現した石牟礼道子の「思想」であり、それに感化された被害者たちの視座でもあった。
 どんなに映画がそれを表現し得ても、観客にとって、「他人事」として「鑑賞」されてしまうのは仕方がないことだ。
 それを他人事にさせてしまわない言葉、表現、思想のレベルの問題として、最初に「悶え神」の精神があり、壊れた共同体についての祈りのような人間性の回復の思想へ、端的に言えば、文明禍は、現代に生きる私たち一人ひとりが、その加害的構成要素の、重要な一人でもある、という「わが事」に転換してゆく思想に辿り着いたのである。
 この問題を表現するとき、もっとも大切なことは、そのことである。
 加害企業チッソ、関係行政、中央官僚たちを批判していれば済む問題ではない。
    第三部に登場している、在りし日の石牟礼道子が語る「悶え神」の精神を私たちは噛みしめも自己変革してゆけるだろうか。
 それがもっとも大切な問題である。
 原監督は被害者正義という、ともすれば報道系のメディアが陥りがちな視座を注意深く排除し、補償金問題でゆれる被害者の現実を、否定的でも肯定的でもない、ありのままの姿として映し出している。
 ある新聞のインタビューで、ドキュメンタリーとしては土本監督が最初で、自分は中継ぎだと語っている。アンカーとなる監督がこの問題の行く末を見届けて欲しいとも。
 まだ終わっていない水俣病問題を、自分で整理しておきたかったとも言う。その言葉通り、三章に分けて苦心して課題を分類整理した構成力にも讃辞を送っておきたい。


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