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僕がSNSで文章を書き続ける理由

 もう、六年以上前のことである。

 Twitterを通じて、心の通った友だちがいた。

「君はいつも、私と同じことを考えている」
 彼女はある時、そんなことを言ってくれた。
 僕は、彼女と分かり合えることが嬉しかった。

 ——もしもSNSがなかったら、
 彼女と分かり合えることもなかっただろう。
 僕は、SNSの存在に感謝した。

 やがて、僕は小説を書くようになった。Twitterでの彼女との温かいやりとりを通じて、言葉が縁を紡ぐ不思議と、素晴らしさを知った。その体験が、僕に小説を書くきっかけをくれたのだ。

 彼女は、僕の書く小説を楽しみに読んでくれた。


「君の小説はいつか、たくさんの人に読まれる」
「私には、それがわかる」
「だから、あきらめずに、書き続けるんだよ」


 しかし、ある日のこと。

 僕は当時、ひどい激務の仕事をしていて、とても心が荒んでいた。そして、Twitterに命を軽んずるようなことを書いてしまった。

「そんなことを言うもんじゃない」

 彼女から、すぐにリプライが届いた。
 そして、それから、ぱったりと連絡は途絶えた。
 アカウントはブロックされ、LINEも連絡がない。

 やがて、仲良くしていた彼女の周りの人たちとも疎遠になった。当時は、誰一人として、なぜそこまでひどく僕が嫌われてしまったのか、詳しい理由を教えてくれる人はいなかった。

 ただ一つだけわかったことは、僕は、たった一言のTwitterの発言で、全てを失ってしまったということだった。

 もしもSNSがなかったら、僕は大切な友だちを失うようなこともなかったはずだ。

 ——僕は絶望し、そして、SNSを呪った。

 僕にとって、彼女は大切な友だちであり、小説の理解者であり、「書く喜び」という、代え難い生きる意味を与えてくれた人だったのだ。

 その後、僕は会社員として、無感覚に出世を目指して働き続けた。

 僕は書く喜びを失っていた。




 真相がわかったのは、それから数年が経ってからのことだった。疎遠になっていた彼女の仲間と再会し、僕は当時の顛末を聞いた。

 ——僕が命を軽んずるような発言をTwitterで行った、まさにそのタイミングで、彼女の大切な仲間が命を落としていたというのだ。

 いつも分かり合えるような言葉のやりとりをしていたはずの僕が、いちばんの哀しみを背負っている彼女の世界に、Twitterを通じて、心ない無慈悲な言葉を投げ込んでしまっていたのである。

 僕は知らないうちに、言葉による暴力を振るっていたのだった。僕の疲弊した尖った言葉が、槍のように伸びて、彼女の心を傷つけたのだ。


 ——僕は後悔した。


 彼女に謝罪を伝えたかったけれど、
 その機会は与えられることはなかった。


 僕に大切な友だちを与えてくれたSNS。
 そして、大切な友だちを失ったSNS。


 僕にできることはたったひとつ。
 あきらめずに、書き続けること。




 僕は今、フリーランスライターになった。
 そして今でも、仕事の合間に小説を書いている。

「君の小説はいつか、たくさんの人に読まれる」
「私には、それがわかる」
「だから、あきらめずに、書き続けるんだよ」

 彼女がくれた言葉は、今でも僕の支えだ。

 今はもう、彼女のいないこの場所で、僕は今でも、過去への後悔を昇華するために、あてのない手紙を書くように、言葉を書き続けている。


 もしもSNSがなかったら——

 大切な人との出会いと別れを体験することもなかった。
 言葉が縁を紡ぐ不思議と素晴らしさを味わうこともなければ、言葉の残酷さを身をもって知ることもなかった。
 フリーランスライターの仕事をすることもなく、「書く喜び」を知って小説を書くことすらなかった。

 僕はこれからも、あきらめずに、書き続けるよ。


あとがき

 この投稿は、「#もしもSNSがなかったら」の公募作品です。

 iphoneのメモに書き込んだ内容を、改めてnoteにアップし直してみた。

 当時、大事な友達を失ったことは、僕にとってはかなりきつい出来事で、こうして文章にできるようになるまで、ずいぶんと長い時間が必要だった。

 しかしながら、未だに記憶の中に残る、しくしくと感じる傷みが、今の僕の「書くこと」にたいする原動力になっているような気がしてならない。

 時間は有限で、一度過ぎ去ってしまえば、もう二度と元に戻ることはない。

 ただ、「書くこと」によって、一方通行の時間軸になんらかの変化をもたらすことができるんじゃないかと感じている自分も、どこかにいるような気がする。

 文章を書くことは、言葉を紡ぎ、未来に残る何かを刻むことだ。

 こうして僕が残していく、あてのない手紙のような文章が、いつかどこかで、誰かの役に立ったり、心の琴線に触れたり、何かのきっかけになったりすることもあるかもしれない。

 最近では、そういう荒唐無稽にも思える、か細い光の糸のような希望が、「書くこと」においては、とても大事な気がしているのである。

サポートいただけたら、小躍りして喜びます。元気に頑張って書いていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。いつでも待っています。