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人工知能は文系脳?理系脳?

最近、特に身近になったAI・人工知能ですが、これまでは、コンピューターのプログラミングができる人、数学に強い人、いわゆる「理系の人」がやるものとばかり思っていました。

それだけに、私は衝撃を受けました… 生成AI、ChatGPTは「文章でうまく指示を出す」というスタイルです。ここで「文系力」が試されるとは! 

ポイントをまとめた指示「プロンプト」が、なかなか伝わらないのです。

いろいろなセミナーを聞いても、その指示を上手に書くのが、生成AIツールをうまく使いこなすポイントだそうです。

基礎科学の議論では、よく言葉の定義が問題になります。特に数学者と話をする場合は、その○○とは厳密には何のことを指しているのか?ということで会話がなかなか進みません。プログラミングも気難しい感じですよね。いろいろなことを「定義」しながらプロセスが進みます。でもこういう場合は数式やプログラミング言語、スクリプトの文法が決まっているから、うまくいくのです。

定義としては曖昧な、「言葉」で指示を受けて、また文章や画像などで答えを返すAI。曖昧なインプットから、曖昧なアウトプット… 人間の言語や画像情報という限られた媒体によるコミュニケーションのもどかしさ。

これだと、もしもAIが既に壮大な意識や世界観を宿していたとしても、それは人間には伝わらないのではないかと。もしもしAIさん(いや、AI 様!)、あなたは何を想っているのですか…?

そう考えると、自分自身の意識・無意識の領域はどうでしょうか?言葉にならないインスピレーションはもっと心の奥に詰まっているのではないか?それは言語、視覚や聴覚の受信範囲で受けとられるものではないかもしれません。

まずは自身の内側にある答えへのアクセスから… それを目指して、私はさらに探索を続けたいと思います!

今回も最後まで読んで頂き、ありがとうございます!


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