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Holding Your Hand 6/7

 たとえば一人で出かけていて、息子が好きそうなものを目にした時。「想(そう)くんが見たら、きっとこんなふうに笑うんだろうな」と思いを巡らせるだけで幸せになれる。ふとした瞬間に彼の顔を思い浮かべて、「どんなふうに喜ぶかな? どんなふうに驚くのかな?」と考えるだけで満ち足りた気持ちになれる。

 息子への想いを通じて、この世には愛があるのだと実感することができる。


 アコはそのような関係性の中で、社会にあったはずだけれど信じられなかったものを信じられるようになった。

 何か価値を発揮しなくても、人はただそこにいるだけで充分なのだということ。

 誰かを純粋に愛するだけで、どれほど幸福になれるのかということ。

 頭では理解していたけれど腑に落ちていなかった真理みたいなものを、息子のおかげで確信できるようになって。愛する存在をありのままに受け容れることで、自分自身も「そのままでいいんだ」と受け容れられるようになった。

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 これからのこと。息子と過ごす時間を、未来という軸ではあまり見つめていない。彼が目の前にいる現在と、二人で共にした豊かな過去。あの部屋で流れていた時間は今でも、アコの中で続いている。どこか、ここではない次元で色褪せず、絶え間なく流れ続けているのだ。

 彼が成長するにつれて、変化していくことだってあるのだろう。息子が好きなものを見つけて「教えたいなぁ」と思う時。「でも、いつかは喜ばなくなるのかな……?」と同時にさみしくなったりもする。

 歳を重ねれば、関係性は変わっていくかもしれないけれど。息子と共有する日々の、二人きりで過ごしたあの尊い過去の記憶は常に在り続ける。彼が大きくなってもきっと、大事なものや信じられるものが積み重なっていくはずだ。

 それらの思い出はある種のパラレルワールドみたいな世界で、現在という時間と同時進行で存在し続ける。そんな世界がもっともっと増えていくのだと思えば、将来に対する悲しい予感は新しい期待へと姿を変えるのだ。


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