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サークルはにーめいぷるちきん(とりにくさん)の創作疑似実録漫画同人誌「とりにくちゃんの日記」レビュー「男が「夢」を投げ捨てられない以上,とりにくさんの「実録っぽいフィクションエロ絵」は未来永劫支え続けられると予想されるのである。」

実録っぽいフィクションエロ絵を
SNSにアップロードしているとりにくちゃん(女)は
とりにくちゃんに刺さる内容のエロ漫画を描いてる甘酢さん(男)が
2023年某日創作系同人誌即売会コミ○ィアで
同人誌を頒布するとの告知を受け
人生初コミ○ィアに一般参加しSNSのみの交流の
甘酢さんの個人サークルに挨拶に行き
新刊同人誌を無事手に入れ差し入れを手渡す事に成功する。

その後とりにくちゃんは甘酢さんに誘われ
居酒屋で新刊完売のささやかな打ち上げに参加して,
ふたりは熱心に話し込み,エロ漫画のお気に入りの描写・自分の性癖・
どういう前戯が好みか・どこをどう刺激されると達するのか…。
…と極めてプライベートな内容に踏み込んだ
非常に生々しい話となるも依然として意気投合する。

やがて甘酢さんからラブホで「休憩」しようと誘われるとりにくちゃんは
ラブホに行った男女が「休憩」だけして帰る訳ないじゃん,と思いつつも
これほど性癖の相性の良い相手との出会いはまたとなく
またここまで立ち入った話が出来たのは初めてで
とりにくちゃんとしても,この滅多にない機会を,このまま終わらせたくなく
「もっと話をしたい」点に於いて甘酢さんと意見が一致してる訳だから…。
と甘酢さんの誘いに応じるのであった…。

有体に言ってしまえば
同人作家がファンの女の子と
精神的な意味に於いても肉体的な意味に於いても
非常に懇意になる話で
具体的な描写が続くのだが
ふたりは成人していて双方の合意が徹底的に維持され
男が強引にコトに及ぶ描写は全くなく
常に「女の気持ち」が優先され尊重されて描かれているので
不快感は無いと思う。

本作品の主人公は「とりにくちゃん(架空の人物)」で
本書の執筆者が「とりにくさん(実在の人物)」。
そして本書は2024年2月25日開催のコミティア25で
頒布されたのが初出という
現実と妄想の区別が意図的に曖昧にされていて
実録っぽいフィクションエロ絵を描いてると言う
「とりにくちゃん」の「実録っぽいフィクション」が
「とりにくさん」によって実現されていると言う
非常に凝った構成となっている。

本作は「3段オチ」となっていて
最初に「妄想オチ」でいったん終わり
2度目のオチで
「こういう「妄想オチ」でどうでしょうか?」
ととりにくちゃんが甘酢さんに尋ね
本書の内容が「全て本当の事」であると描き
最後に「すべてフィクションです」と
「とりにくさん」の注意書きが付いてるのである。

いやあ~一筋縄ではいかぬ作風ですね。
こういう作風が受け入れられるのは
例えば「オタクに優しいギャル」なんて現実にはいる訳ないのだが
(だって!オタクの僕がギャルに優しくされた試しがないのである!)
「(とりにくちゃんみたいな女は)現実にはいなくとも架空にはいる…」
「ひょっしとたら現実にも(とりにくちゃんみたいな女が)いるかも!?」
という男の「夢見勝ちな性分」をガッと押さえている訳で
どうしても「夢」を投げ捨てられない男の弱みが見抜かれているのである。
ホントはね。
モテない男はジジイになってもモテないままで
死ぬまでモテないままなのが真実なんだけれど
「オマエは死ぬまで女にモテない」
なんて真実,受け入れられる訳ないんだよね。

と言う訳で本書は
「とりにくちゃんみたいな女がいたらいいな」
という男の「夢」によって支えられていると思うのである。
男が「夢」を投げ捨ててられない以上,
「とりにくさん」の「実録っぽいフィクションエロ絵」も
また未来永劫支え続けられるのである。

とりにくさんの「作風」は
とりにくちゃん(自分)が
「同じ」設定で
「同じ」男と
「同じ」前戯に悶え
「同じ」性技で喘ぎ
性行為の構図までも「同じ」で
延々「同じ」にイカされ続けると言うね…。
無限に続く快楽が無間地獄にしか見えない
漫画家の…拘りを超越した業の深さに震えるのである。


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