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映画「ソルジャーブルー」レビュー「キャンディス・バーゲンが「魔界と人間界の架け橋になりたい魔女っ子」を演じた結果」。

シャイアン族の酋長・斑狼の元に嫁ぐものの生活様式や考え方・文化の
余りの違いに嫌気が差して彼の元を離れ騎兵隊の庇護を求めた
男勝りのじゃじゃ馬白人娘・クレスタ(キャンディス・バーゲン)は
騎兵隊の小隊と共に護送中にシャイア族の襲撃を受け
新米騎兵ホーナス(ピーター・ストラウス)と彼女を除き小隊は皆殺しにされ,ふたりは何百キロも先にある砦を目指して歩き始める。
クレスタの余りのじゃじゃ馬ぶりに
辟易するホーナスであったが旅を続ける内に次第に彼女に惹かれて行く。
長い旅の果てに騎兵隊の本隊に合流したふたりは
シャイアン族への意趣返しに
部族を絶滅させんとする計画を知り,斑狼の元に向かうが…。

本作において僕が好感を持ったのは
1.「歴史の無い国アメリカにおいて
西部劇で『大河ドラマ』を作ろう」という心意気。
2.1860年代に男と同じ様に汚い口をきき,男と同じ様に大股を広げて座り,
男と同じ様に下卑にガハハと笑うクレスタのキャラ造形。
共に旅する(騎兵隊の)青服の兵隊さん(=ソルジャー・ブルー)こと,
ホーナスがちっとも凛々しくなく
泣き虫でセンチメンタルなのとの対照も良い。
3.クレスタとホーナスの長いロードムービー部分。
4.ウーッっと撃たれた場所を押さえて倒れるだけの
従来の西部劇の作法を覆して
「脳天に弾が当たったら頭はこう吹き飛び,
脳漿はこう飛び散り,血はこう噴き出します」
って「本当のところ」をつぶさに見せてくれるところ。
の3点であって特に項番4は大健闘してると思う。

僕が残念に思うのはキャンディス・バーゲンに,
これ以上の役割を背負わせたこと。
「シャイアン族の酋長の嫁の経験があって彼等の言葉や文化が分かり
白人とネイティブ・アメリカンとの架け橋になり得る存在」
とかさあ,そんな
「歴史には記されていないが新選組の中に女性隊士がいた」とか
「魔界と人間界の架け橋になりたい魔女っ子」とか
悪い意味で漫画やアニメみたいな突飛な設定は
リアリティに欠ける事甚だしいんじゃ。

岸辺露伴だって漫画で一番大事なのは「リアリティ」って言ってて,
それが欠けると途端に嘘っぽくなるって言ってるじゃん。

そもそもの設定が嘘っぽいからクレスタの存在が嘘っぽくなり,
いざ騎兵隊のシャイアン族への猛攻撃が始まると,
クレスタとホーナスはただもう棒立ちになって
「止めろよ~」「争いは止めろよ~」「虐殺は止めろよ~」
しか言えないオウムになるんじゃい。
奇しくも普段車座に座り込みしてピースしたり
フォークソング歌ったりしてる
戦争を漫画的にしか理解出来ないヒッピーが
戦争抑止の糞の役にも立ってない「現状」を良く表してると思う。

ヒッピーは極私的なロードムービーは得意だが
世論を変えたり戦争を止めたりするのは不得意だって
当たり前の特徴がそのまま本作の特徴となってて
長所短所もそのまま引き継いでいるのである。

「アメリカン・ニューシネマの正体見たり」が僕の感想の総てである。

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