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ロバート・ゼメキス監督の映画「コンタクト」レビュー「父親と寝る娘」。

本作品のレビューを書くにあたって
僕の「信仰心の程度」について説明する。
僕は特定の信仰を持たない。
強いて言うなら仏教徒かな。
とは言え,散歩がてら「お地蔵さん」の前を通るとき
親指を包むように両手を握り息を止める程度。
それから朝夕,亡父の仏壇に線香をあげ合掌する。
まあ日本人としては「普通」の部類に入ると思う。
故に本作品を初めて視聴したとき大いに驚いた。

それは何故なのか。

宇宙に向けて電波を「発信」し,いつ来るか皆目分からない
「返信」を待ち続ける女性科学者エリー(ジョディ・フォスター)。
傍から見れば「閑職」としか思えない。
ところがある日,待ちに待った「返信」が届いた。
「返信」を解読すると転送装置の設計図であることが判明した。
転送開始地点は勿論地球上であるが問題は転送終了地点だ。

一体何処に転送されるのだ?

この転送装置の組み立て作業と並行しながら
「誰」がこの転送装置に搭乗するのかを協議する審査会が設立された。
知識,身体能力,強靭な意志,健康診断結果が
審査の議題となるのは当然だと思う。
しかし審査会は先の条件を全て満たしたエリーにこう質問した。

「貴方は神の存在を信じますか?」

彼女は僕と同じ様に特定の信仰を持っていなかった。
それに見たことも感じたこともない「神の存在」を
どう論理的に証明出来るのか?
彼女は科学者としての自分の良心に照らして

「その存在を論理的に証明出来ないものは信じません」

と返答した。
結果,彼女は,転送装置搭乗候補者から外されたのだ。
理由を問い質す彼女に審査委員のひとり・宗教学者マシュー・マコノヒーの抜かした「理由」が今でも到底忘れられぬわ。

「人類の95%が何らかの信仰を持っていて「神」の存在を信じてる。
神の存在を信じない君は「人類の代表」に相応しくない」

僕はこの映画を池袋の映画館で観ていたのだが
マシュー・マコノヒーのこの台詞を聴いて怒りで目の前が真っ赤になり
映画館を飛び出した。

「神の存在を信じていないと
地球から未知の世界に行くことは許されないのか?」

到底信じられない。
到底受け入れられない。
何だ,この映画!

後日再び映画館に行き「続き」を観た。
彼女は北海道で極秘裏に建造されていた
予備の転送装置の搭乗者に選ばれた。

なるほど。

日本では神の存在を信じるか否か
また信仰心の有無は問題視されないからな。
実に腑に落ちる展開である。
「日本」の描写に何ともいえない違和感と言うか
むず痒さを覚えたがまあそこは御愛敬である。

勿論,彼女の「転送先」は書かない。
しかし彼女は「転送先」から「何かを信じる心」…。
「信仰心」を持ち帰ってきた。

審査会に「「転送先」で起こった事」をありのままに証言した
彼女は「この嘘吐きめ!」と散々糾弾されたが微塵も怯まない。
なぜなら今や「信仰心」が彼女の心の支えとなっていたからだ。

僕は特定の信仰を持たないし神の存在を信じてはいない。
だが彼女の「何かを信じる心」を信じるものである。

そんな不思議な気持ちにさせられる不思議な映画である。

エリーはティーンの頃に最愛の父親(father)を失っている。
後年彼女は初対面のマシュー・マコノヒー神父(faher)と
その日のうちに寝ている。

「神の存在」よりもゼメキス監督の「父親観」に僕は強い関心を持った。
「父親と寝た娘」が転送先でアレと出会って信仰心を獲得する展開にね…。

エリーは…一生「父親」に支配され続け…。
未来永劫自立出来ないのだろうか…?

そう言やあ「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では
息子と母親が寝る直前まで描かれてるよね…。

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