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映画「BECKY ベッキー」レビュー「「人と人とは決して分かり合えない」って「本当の事」から何故目を逸らすんだ。」

母親が病没して1年しか経ってないのに
別荘に新しい女と連れ子を来て「結婚するから」と父親に言われて
娘ベッキーは秘密基地に閉じ籠って御立腹。
その別荘に脱獄囚4人組が押し入って来て
父親,新しい女,女の連れ子を監禁する。
脱獄囚達は「鍵」を探していて別荘に隠したと言う。
だが家探ししても鍵は見つからない。
本当の母親が生きていた頃,
別荘を探検したベッキーが秘密基地に隠していたのだ。
脱獄囚達は彼女が鍵を持っていると目星を付け,
父親を拷問して彼女を呼び出すが
父親が抵抗して彼女の眼前で父親を殺してしまう。
交渉は決裂した。
彼女のたったひとりの反撃が始まる…。

ベッキーが今何を考えてるのかが手に取る様に理解出来て,
脱獄囚達が何を考えてるのかも分かるし,
人質が何を考えてるのかもわかる。
登場人物が「次」に何を言い,どう行動するのかも分かる。

僕の頭がいい訳でもエスパーなのでもない。
登場人物が皆テンプレートな「分かり易い」行動しかしない上,
登場人物が皆「話せば分かる」と考えていて
常に「自分の考え」を言葉にして観客に「説明」してくれるからだ。

何だかねえ…一体何時から人間って
「人と人とは話せば必ず分かり合える」と考える様になったの?
一体何時から映画ってこんなに「分かり易く」なったの?

分かり易い脚本に基づく登場人物の分かり易い行動を観てると
人間ってこんなに分かり易くないよなあと僕は思いました。

人と人とは決して分かり合えないもんでしょう?
幾ら話し合っても決して話が通じる事はないでしょう?
登場人物が分かり易い行動しかしないもんだから,
「次」に何をするか分かり面白くも何ともないのである。
登場人物に葛藤が無いから微塵も感情移入出来ない。
現実では他人が「次」に何するか分かる訳ないじゃん!
この映画は!「現実離れ」してると言っているのである。

最近「推しの子」って漫画を読んだんですが,
この作品の主題は「ディスコミュニケーション(関係不全)」。
つまり分かり合おうと歩み寄りはするんですが
分かり合えず関係性を構築出来ない人達の話なんです。

だって親は自分の事を分かってくれないし
親は子供が何考えてるか分からない。
例え「分かり合えた」と思っても次の瞬間,射干玉の闇に変わる。
「大人は判ってくれない」とか「理由なき反抗」とか
「長距離ランナーの孤独」とか
「子供が反抗する理由は分からない」と
分かっていた事が分からなくなって「友達の様に仲のいい親子」とか
絵空事を描くから子供に「ウソだッ」とそっぽを向かれて
「本当の事」が描いてある「推しの子」を読むのである。

映画「BECKY ベッキー」には
「人と人とは話し合えば必ず分かり合える」って大ウソが描かれている。
人間はそんなに「物分かり良く」「分かり易く」作られてはいない。
幾ら話し合おうと決して理解し合う事など出来ない。
ベッキーは13歳の思春期なんでしょう?
彼女の心中は誰にも分からないし,
恐らく彼女自身もどうしようもない衝動に
突き動かされて行動していて自分を制御出来ない。

なんで「分からないもの」を「分かり易く」描くってウソを吐くの?
ウソツキは皆から見放されてボッチになる。

映画が「ボッチへの道」を自ら選択すると言うのなら,
僕も映画を見放すだけである。

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