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映画「ドラキュリアン」レビュー「「悪魔城ドラキュラ」や「ウィザードリィ 狂王の試練場」「ドラゴンクエスト2 悪霊の神々」を遊んでいた頃の記憶が甦ります!」

今から100年前ヴァン・ヘルシング教授と,その仲間達は,
吸血鬼ドラキュラ伯爵(ダンカン・レガー)の住まう悪魔城に乗り込み,
彼の力の源である魔除けの石(アミュレット)のスペシャルパワーを解放し,
現世と煉獄とを結ぶ回廊を作り出す事に成功するものの,
ドラキュラを煉獄に追い遣る迄には至らなかった。
スペシャルパワーを解放するには乙女の詠唱が必要なのだが,
詠唱が完成する直前に悪魔城が崩壊してしまい
アミュレットは時空の狭間に失われてしまったのだ。
教授はドラキュラとの闘いの記録を日記にしたためていたが,
その日記も行方知れずとなった。

現在になってガレージセールで二束三文で買った古書を,
母から譲り受けた
12歳のショーン少年(アンドレ・ゴウアー)は仲間たちと本の内容を解読し,
数日後に魔物たちが復活し,アミュレットのスペシャルパワーを
解放しないと暗黒の時代が到来する事を知る。
折しも警察では人間の男が狼男に変身し大暴れし,
エジプト博では古代のミイラが立って歩き始めた。
ドラキュラは歴史の彼方に消えた教授の日記が見出された事を察知し,
腹心のフランケンシュタインの怪物(トム・ヌーナン)に
日記の強奪を厳命する。
伯爵は邪魔する者が居たら殺しても構わないと付け加えた。
少年たちはモンスター・スクワッド(魔物討伐隊)を
結成してドラキュラ率いる魔物軍団に対抗する。
両者の対決の時が迫っている…。

悪の一味が悪を働こうとする一方で,
その一味の中に,オツムは弱いが心の清い大男が居て,
悪の一味に対抗する少年たちに協力する…。
と言えば本作(1987年)の2年前に公開された
「グーニーズ」(1985年)を思い出す。
本作に於けるスロースに相当するのがフランケンシュタインの怪物で,
モンスター・スクワッドに女子である事を理由に入れて貰えない,
みそっかすのショーンの妹とフランケンシュタインの怪物とが
水辺で出会う場面は,
「フランケンシュタイン」の名場面そのもので,
「フランケンシュタイン」では少女を殺し,
民衆の敵となったフランケンシュタインの怪物が,
本作では少女を殺さず友達となりモンスター・スクワッドの仲間となった。
彼にとっての運命の明暗を分ける「ルート分岐」として,
この場面が描かれたのだ。

本作が公開当初は左程人気が出なかったのは,ひとつは「グーニーズ」に
人物配置が似過ぎていて,もうひとつは「オツムは弱いが心の清い男」が
重要な役割を果たすと言う,民話的・おとぎ話的構造が
敬遠されたのではないかと愚考するが,本邦でも本作のVHSビデオを
擦り切れる程繰り返し観て,今回のDVD/BD化をずっと待ち続けていた
コアなファンが居た様に,米国に於いても,そうしたコアなファンが居て
本作を支え続けた事が特典映像を観ると良く分かる。

おとぎ話が何故何百年も語り継がれて来たか。
それは物語としての構造が堅固で普遍性があり,
一時の流行り廃りでは消し去る事が出来ないからだと思う。

加えてアミュレットやスペシャルパワーなどは極めてRPG的な概念であって,
1987年当時にファミコンで「ドラクエ2悪霊の神々」や
「ウィザードリィ 狂王の試練場」が大人気を博した事も忘れてはならない。
RPGではないが勿論「悪魔城ドラキュラ」(1986年)もね。
恐らくではあるが当時RPGに熱狂したTVゲーム好きの少年少女たちは,
「悪魔城ドラキュラ」や「ドラクエ2」や「ウィザードリィ」を
プレイする傍ら映画館にやって来て,コントローラーを操作する手つきを
しながら本作を視聴したに違いないのだ。

そうした物語の構造,TVゲームの空前のブームの背景を知らんと,
本作品を正しく評価する事は出来ないと思う。
構造や背景を知らんと,せいぜい星3つ評価となるが,
当時TVゲームに夢中になっていた,
あの頃を思い出せる少年少女たちなら星は5つでも足りないのだ。

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