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ブラッド・バード監督の「Mr.インクレディブル」レビュー「人がスーパーヒーローを見捨ててもスーパーヒーローは人を見捨てないのだ」。

世界の危機を何度も救ってきたスーパーヒーローたちが次々と告訴された。
罪状はビルから飛び降りて自殺しようとしていたのに
スーパーヒーローに阻止され骨折した。
列車の脱線事故をスーパーヒーローが阻止し結果として
列車を緊急停止させ乗客の多くに負傷者が出た…等々。
激しいバッシングの嵐が吹き荒れ政府は
「スーパーヒーロー保護プロクラム」に着手した。
その内容はスーパーヒーローの過去の「罪」は問われないが
二度とスーパーパワーを使わず
社会の一員として平凡に暮らすことを義務づけられるというものだ。

15年の歳月が流れ,保険会社の窓口業務を勤めるボブ(三浦友和)は,
かつてスーパーヒーローとして活躍していた頃の面影はなく
ブクブク太って顔は鬱屈のため常にしかめっ面となっている。
ボブはヘレン(黒木瞳)という女性と結婚していて3人の子供を設けている。
ヘレンもかつてはスーパーヒーローとして活躍していた「過去」がある。
しかし「過去は過去,今は今」と努めて割り切ろうとして生きている。
「普通」を受け入れようとしているのだ。
長女のヴァイオレット(綾瀬はるか)も
長男のダッシュもスーパーパワーを持っているが
ヴァイオレットは「普通」に生まれたかったと嘆き,
ダッシュは大好きなスポーツを禁じられている為,
悪戯に走り母親同伴で何度も校長室に呼ばれている。
今のところ「普通」と思えるのは赤子のジャック・ジャックだけだ。
赤子以外の家族には程度の差こそあれ本来の力を,
スーパーパワーを発揮できない鬱屈があるのだ。

そんなある日,謎の女性ミラージュからボブに
「遥か遠くの島の研究所でトラブルがあり貴方の「特別な力」が必要なの」とのメッセージが届く。
多額の報酬を約束されたことよりも
「スーパーヒーローは過去のものじゃない,だって貴方がいるんですもの」
と言われて心が揺れない訳がない。
ボブは依頼を受けジェットで遥か遠くの島に向かう。
勿論,そんなオイシイ話などある訳がなく,
当然ながら「裏」があり謎の男シンドローム(宮迫博之)が暗躍してるのだ…。

スーパーヒーローに対する三回転半捻りの愛情に溢れた本作品。
かつてボブにスーパーヒーローへの弟子入り志願し,
その場で断られたバディ少年はブラッド・バード監督そのものだ。
「復讐者」と化した監督は
「世界中の全ての人間に「スーパーヒーロー変身キット」を配給すれば
スーパーヒーローなんてもう必要ないんじゃね?」
と視聴者の心に激しく揺さぶりをかけてくる。

一方でボブの家族の鬱屈が順に解消され
本来の力を発揮できる歓びを描く構成の妙に唸る。
スーパーヒーローは何故必要なのか,
そもそもスーパーヒーローの存在意義って一体何なのかを問いかけながら
同時に自分らしく生きることとは一体何なのか
家族とは一体何なのかを問うているのだ。

スーパーヒーロー専門のスーツデザイナー,
エドナ・モードは監督自身が声優を務めている。
かつてのスーパーヒーローを元気付ける
立花藤兵衛・エドナもまた監督そのものなのだ。

本作品では直截な描写はないが
人間若しくはスーパーヒーローの「死」を描いている。
スーパーヒーローだって死ぬ。
死にたくないから必死に戦ってるのだ。
人間だって死ぬ。
救い様のないロクデナシは死んで償う他無いのだ。

本作品の山場で街を襲う
巨大ロボットの形状が球形をしている点は非常に興味深い。
合理主義を突き詰めると
二足歩行型ロボットよりも球形ロボットが勝るとの考えは
神は自分に似せて人を創造し人は自分に似せてロボットを創造した
神話の否定になっている。
神話は合理性によって否定されるのだ。
「論理的に考えて神なんている筈ないじゃん」
人が神を見捨てても神は人を見捨てない。
人がスーパーヒーローを見捨てても
スーパーヒーローは人を見捨てないのだ。

本作品を実際のスーパーヒーローたちが視聴したなら
皆口を揃えてこう言うだろう。
「マントはなし!」(NO CAPES!)

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