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映画「悪魔の狂暴パニック」4Kレストア版BDレビュー「『普段の言動が気違い』が『禿げ頭の気違いの人殺し』の謎を追う!もしかしたら『普段の言動が気違い』は『禿げ頭の気違いの人殺し』かも知れない!この訳の分からなさが本作の魅力なのだッ!」

普段は温厚篤実な人間が突然発狂し周囲の人間を片っ端から殺し
自らも自殺する事件が同時多発的に発生し,
主人公ジェリー(ザルマン・キング)も親しい友人を招いての山荘での
パーティーの最中に友人フラニーが発狂し
同席していた友人を暖炉に突っ込んで燃やすのだった。
錯乱して逃亡するフラニーを追ったジェリーは揉み合っている最中に
フラニーが通りかかった車に跳ねられて即死。
運転手はジェリーがフラニーを執拗に追ったせいで死に至らしめたと証言し,
警察はフラニーの件ばかりか
山荘での惨殺事件の犯人がジェリーであると疑いを持つ。
ジェリーは逃亡し山荘に居合わせ彼の無実を知る
恋人のアリシア(デボラ・ウィンタース)の助けを借りながら
フラニーが突然発狂した原因を探り真相を究明し
身に覚えのない殺人犯の容疑を晴らすべく行動を開始する。
写真家だったフラニーの部屋には議員に立候補中で
将来は大統領も確実との評判の高いエドワード(マーク・ゴダード)の
写真が飾られ「ブルーサンシャイン」と題名が付いている。
「ブルーサンシャイン」とは一体何なのだろう…。
彼は先ず「写真の題名の謎」を究明する為にエドワードに接触を試みる…。

映画が始まると青く輝く月が大写しになって
やがて「BLUE SUNSHINE」とそっと原題が添えられる。
元々は「青く輝く月」という意味なのだ。

勿論意味はそれだけでは無く
突然温厚篤実な人間が発狂した原因に
「ブルーサンシャイン」が大きく関与しているのだ。

監督の音声解説によると頭髪が抜け,禿げ頭となり
顔色がゾンビの様に青い気違いの殺人鬼を
「青く輝く月」に見立てていると言う。
つまり…花札に於ける「坊主」の意味もあるのだ。

音声解説によるとヒッピーのアイデンティティとは
ドラッグと「女みたいな長い髪」であり
そのヒッピーの「女みたいな長い髪」を喪失させ
人間が突然発狂する原因を
監督が若い頃嗜んだLSDが中脳の遺伝子の設計図を狂わせ
10年後に深刻な後遺症が突然発症する現象と結び付けて設定し
ヒッピーのアイデンティティを強奪し発狂させ
殺人鬼に変貌させることにより
社会不安を醸成しようとしたと言う。

音声解説の監督の相手が
「月(LUNA)には頭をヘンにする(LUNATIC)作用があると言われてます」
「監督はそこまでお考えだったのでしょうか?」
と問いかけると
「流石の俺もそこまでは考えてはいなかったが」
「俺の天才的独創性が補強されるのなら」
「そういうことにしておいてやってもいい」
と監督が答えておられて
監督の自尊心を巧みにくすぐる進行の巧さに唸る。
世の東西を問わず「ヨイショ」の技能は円滑に議論を進めるのだ。

本作品に於ける「気違い」とは
「禿げ頭の気違い」の事だが
実は主人公のジェリーは「普段の言動が気違い」であって
「普段の言動が気違い」が「禿げ頭の気違い」の謎を追う話で
非常に紛らわしい。

勿論「紛らわしい」のは監督の創作意図で
ジェリーのヘアメイクは意図的にカツラに見える様にしたという。
つまり…ジェリーは確かに「普段の言動が気違い」だが
もしも彼がカツラの下に禿げ頭を隠していたとするなら
「禿げ頭の気違い」となる訳で
彼が「身に覚えのない殺人の嫌疑をかけられて官憲に追われている」のは
「彼がそう思っているだけ」で実際には
彼は「本当に殺人を繰り返してる気違い」である可能性があるのだ。

先に述べた通り監督が本作で描きたかったのは「不安の醸成」であり
その「不安」には「ひょっとしたら主人公が真犯人なのかも知れない」
も含まれているのだ。
監督はジェリーだけでなく
怪しい登場人物を片っ端から「カツラみたいに」ヘアメイクしたと言う。
「目の前にいる人間はひょっとしたら気違いの人殺しなのでは…?」
つまり…サスペンス映画で真犯人がアイシャドウ塗ってたら
怪しい奴に片っ端からアイシャドウ塗って
「誰が真犯人なのか分からなくする」でしょう?
本作は多分にサスペンスの要素を含んでいるのだ。

「真相」は映画を観ていただく他ないが,
最後の最後の最後まで手に汗を握る事は保障する。

本作にはヌードシーンも過度に残酷なシーンもない。
コレもまた監督の創作意図で
ゴカイが大暴れする映画「スクワーム」で年齢制限を掛けられた反省から
過度な残酷描写は勿論,ジェリーが恋人のアリシアと濡れ場に及んだり
彼女を「アバズレ」と罵る場面も無いのはTV放映を意図しての事だと言う。

その代わりに監督が前面に押し立てたのが「不安」なのだ。
何故なら!
「「不安」には年齢制限をかけられない」
からだ。
子供が抱く「親に捨てられるかも知れない」不安。
大人が抱く「職を失うかもしれない」不安。
監督はソコに
「脱法ドラッグにより深刻な健康被害・精神被害が及ぶかも知れない」
不安を付加したのだ。
監督が描きたいのはあくまでも「不安」であり
「ドラッグ被害を糾弾する」社会的意図は無いと言う。

「「ゴジラ」を反戦映画と思ってる人が多くてウンザリするね」
「「ゴジラ」はエンターテインメントとして素晴らしいんだ」
「反戦をエンターテインメントに昇華した事がね」
「俺もLSDの被害をエンターテインメントに昇華しただけ」
「社会的意図なんぞを考えると映画がマズくなる」

本円盤の特典映像に
短篇映画「リンガー」が収録されている。
鼻輪(リンガー)を若者に流行らせ,
その過程で若者にドラッグを売りつけようとするマーケティングの話。
マーケティング戦略が当たり若者は皆鼻輪を付けドラッグに溺れる。
仕掛人が「こんな鼻輪を付けてる奴はバカだ」と高笑いして話は閉じる。
若者はKID(ガキ)と呼ばれ
「ガキに「鼻輪を付ける事」を「自分で選択した」と
思わせる事がマーケティングの神髄」
とプレゼンする仕掛人達が裁かれる事はない。
「裁く」のは社会正義の実現にかぶれた映画のする事で
マーケティングに狂奔する大人,
マーケティングに翻弄されるガキを描く事が監督の創作意図なのだ。

「悪魔の狂暴パニック」本編もまた「裁く」映画ではなく
不安を醸成するだけ醸成してブツッと「終わる」のだ。
従って爽快感はゼロどころかマイナス値。
まあ何ですな。
映画に「カタルシス」を求める方には向かねえ映画って事ですね。

特典映像でもうひとつ特記したいのは
「LSDドキュメンタリー映画」で
コレは恐らく政府の作成したLSDを悪者にして
糾弾するプロパガンダ映像と思われる。

監督は次の様に語る。
「俺は政府の「放射能がミュータントを産む」って
プロパガンダ映像を見て育ったんだ」
「それが…今度はLSDが悪者に取って代わっている」
「俺は!政府のプロパガンダで上からああしろこうしろ言われるのが嫌だ」
「その反感が「ブルーサンシャイン(悪魔の狂暴パニック)」を生んだんだ」

「悪魔の狂暴パニック」は
一時は「悪魔の凶暴パニック」と改題されていた。
勿論「狂」の字をこの世から消し去る為だ。

あのな。
本作は禿げ頭の気違いの人殺しが!
片っ端から人を殺して回る映画なんだよ!
作中狂人(MADMAN)って表現が100万遍登場する。
「狂」の字を封じたら本作の創作意図は死ぬんだよ!

本円盤では邦題が「悪魔の狂暴パニック」に戻ったのといい
裏面の「悪魔の幻覚剤が私を狂わせる」の謳い文句といい
MADMANを堂々と「狂人」と訳すのといい
絶対「狂」から逃げないニューラインを無限に称賛する。
「凶暴」じゃなく「狂暴」だって「本名」を名乗るだけなのに
今や大変な困難を伴う昨今である。

本作といい「スクワーム」といい
まったく…ジェフ・リーバーマン監督は
「ロクでもない映画製造マシン」だよ…。
こんなん…一生付いてくしかないじゃん…。



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