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映画「ゼイ・コール・ハー・ワン・アイ」レビュー「「片目」と呼ばれる女(大幅加筆版)」。

少女フリッガ(クリスティーナ・リンドバーグ)は
近所の顔見知りのジジイに犯されたショックで口が利けなくなり
その心の傷を抱えたまま15年の歳月が流れた。
そのジジイは死ぬまで誰からも罰せられる事は無かった。

口の利けぬままフリッガは成人し,
ある日親切そうに見える男トニーに食事に誘われ,
彼の自宅で一服盛られ昏睡状態に陥った状況で
ヘロインを連続的に注射され,彼女は薬物中毒症に陥り
ヘロイン無しでは生きられない体にされた上,
軟禁され女郎として客を取らされる。

トニーは女を薬物中毒にして女郎に貶め客を取らせる女衒だったのだ。
フリッガは最初の客の顔を爪で裂いて抵抗した罰として
トニーにナイフで左眼球を抉り取られ「片目(one eye)」という
世にも有難い「源氏名」を与えられ客を取らされるのであった。

「片目」は常連客3名から得た金で武道家から柔道・空手を学び,
傭兵から格闘術を学び,狙撃兵から銃の扱い方を学び,
A級ドライバーから車の運転技術を学ぶ。

女は「黙ってる」と際限なく男に食い物にされる。
逆にオマエは「嫌だ」って言わなかったじゃないか責められる始末。

「片目」が口が利けず「黙ってる」からと言って
女衒にヘロイン中毒にされ
客を取らされる女郎にされたコトを
「何とも思ってない」ワケないだろう。

女が「黙ってる」ってコトは!
「男に何をされてもイイ」って
だらしなく股を広げる淫売に成り下がったって意味じゃないッ!

女衒を殺し!
常連客3人を殺すと!
「片目」の心中で既に「決定」が下されてるから「黙ってる」んだッ!

「殺す相手」に粋がったりカッコイイ決め台詞を言う必要なんてないッ!
「殺す」に当たって何が必要なのかを分析して行動してるだけだッ!
「殺す技術」を会得するには金が要る!
その金を「殺す相手」から得る永久機関が完成し!作動してるだけだッ!

「片目」は!
「殺す相手」に「殺してやるッ!」なんて言わない。
「殺す相手」に「地獄に落ちろッ!」なんて言わない。
相手を殺して「やったッ!」なんて言わない。

ポー・アルネ・ヴィベニウス監督は!
「ソレを安易に言わせない」為に「片目」の口を利けなくしたんだッ!

「片目」が「何も言わない」のは
「片目」が何も感じない不感症だからではないッ!

漫画やアニメや映画を観ていて
主人公が「今自分が考えてる事」を
そのまんまモノローグとかで垂れ流してる場面を観ると僕は眩暈がする。

自分が今何を思っているのかを
常に観客に「説明」する義務があると思い込んでいるのだ。

人間には本来人が何を考えてるのかを「察する」能力があり,
超能力などではなく「行間を読む」力が備わっているのだ。

しかし何でもかんでも「説明」する風潮が
「僕は今!怒ってるんだぞ!」
と解説されねば目の前の人物が「怒ってる」事が理解出来なくなった。

本作に於いて「片目」は一切「説明」しない。

「ワタシわあゼゲンのアイツにいい左眼えぐられてえ
ちょーっちムカついたからあ殺してやろうかなってカンジイ」

ってモノローグが一切無く,
ただ「片目」が女郎屋で得た金で武道を学び,戦闘術を学び,
精密狙撃術を学ぶ模様が淡々と描かれるのみだ。

行間が読める観客なら「片目」がそうしたスキルの鍛錬に励み始める描写で
「そうか…「片目」はアイツ等を「殺す」って決めている」
って察せられるけど「説明」に慣れた人は
「もっと分かり易い作劇にしてくれないと!」
って文句を言うんだろうね,きっと。

大体!人間の行動が都度説明ずくのワケないじゃん。
ある人が急にランニングを始めて,
その人が走りながら「ランニングを始めた理由」を説明すると思う?

誰かが「何か」を始めたなら周りの人間は「推察」する他ない。
その誰かが「正解」の解説を始める日なんて永久に来ない。

本作の原題のひとつが"They call her one eye"(「片目」と呼ばれる女)
だが邦題には「血まみれの天使」って副題が付いている。

僕は「片目」の魂の決着の物語を
「天使」などと呼ぶ輩の心中は未来永劫理解出来ない。

女は天使なんかじゃないよ。
オマエと同じ様に魂を侮辱され続ければ殺意を抱く人間なんだ。

クリスティーナ・リンドバーグの演技をコケにして
「結局皆彼女の胸元や脚の付け根を観に来てるワケだしい」
と抜かすヒヒジジイには「皆」と主語をデカくして
僕まで一緒くたにしようとする「雑」な考察しか出来ない。

「片目」が客を取って性器の結合場面が大写しになる場面が
本商品が「成人指定」となった理由なのだろう。
だが!注目すべきは大写しになった性器の結合場面ではない。

「片目」の残った右眼に「何も映ってない」事に注目すべきなんだ。
「片目」はもう…「人を殺す機械」となりかかってるんだ。
僕はそうした「片目」を見ても
少しも憐憫の情は感じないし微塵も悲しくない。
「片目」が自らの意思で進んで「そうなった」からである。
子供の頃,近所の顔見知りのジジイに犯されて
成人してからは女衒に騙されてヘロイン中毒の女郎にされ
「片目」の人生にはこれまで「選択の自由」が全く無かった。
だけど生まれて初めて「片目」は自らの選択で「人を殺す機械」になった。

だから僕は少しも悲しくない。
「片目」の為に泣く必要が全く無いからだ。

本作を「成人指定」にされたとき,
僕は映画「食人族」のコトを思い出した。
「食人族」は白人に踏み付けにされ
犯され家を焼かれた土人が猛反撃する映画だ。
白人は「食人族」の恐ろしさを知って
「食人族」は可愛そうな亀を殺す残酷な映画と誹謗中傷した。
「亀を殺す」行為は食事の光景であり,
日本で言えば魚を捌く行為と全く変わらない。
白人だってソレは分かってる。
白人は「食人族」はカワイソーな亀を殺す酷い映画であるが故に
「食人族」は評価に値しない映画と切って捨てる為に
「亀カワイソーキャンペーン」を展開し
「白人が土人に逆襲する」という
「食人族」の本当に恐れるべき点を封殺にかかったのだ。

本作を「成人指定」にする行為は,
「片目」の復讐も復讐の為の入念な準備も

「でも結局クリスティーナ・リンドバーグの
胸の谷間と脚の付け根だけが見所の成人映画だよね。」

と本作の価値を不当に貶めんが為の所業の一環であり,
それは「食人族」を「カワイソーな亀を殺す映画」と
映画の値打ちを不当に貶めんが為の所業と相似形を形成してるのだ。

本作は!断じて大写しの性器の結合場面が見所の映画ではない!
「片目」の魂の決着を淡々と追う人間の尊厳の回復を描いているが故に
途方もない感動を僕の心中に残すのである。

本作は一度ブルーレイ化の予定を妨げられ
発売予定無期延期にされる「嫌がらせ」を受けている。

「成人指定」にして大幅に観客対象を狭められて漸く販売を許可された。
「成人指定」=エロ映画と思われた方は
本作を観もしないで敬遠するだろう。
つまり!「成人指定」は明確な営業妨害であり明確な差別なのである。
女が!自分を嵌めた男達を皆殺しにする映画がそんなに「怖い」かねえ。

本作が成人指定され
若い人が「片目」の魂の決着を目撃する機会を強奪された事を遺憾に思う。女衒にヘロイン中毒にされ「片目」にされ女郎にされ客を取らされた女の!
踏み付けにされ強奪された自尊心の奪回の物語が!
何故「成人指定」が如き下らねえレッテルで貶められねばならぬ!?

クリスティーナ・リンドバーグの出演する映画は所謂ピンク映画と呼ばれ
本作のジャンルも「ハードコアポルノ」であって
個人輸入するしか入手方法がなく,
その個人輸入も難しかったが
今回初めて「合法的に高画質で」観られる様になったのである。

1973年の映画を観るのに斯くも多くの困難を乗り越えた関係各位の努力は
断じて「エロが観たい」からではないと信ずるものである。

日本で言えば小池一夫先生の劇画の世界を映画化した様な作風であり
その殺風景な作風に痺れた劇画ファン・時代劇ファンは数多くいる筈だ。
劇画では女が素っ裸になって男を片っ端から斬り殺してもお咎めなしなのに
な・ん・で「ゼイ・コール・ハー・ワン・アイ」は…ッ!
斯くも規制され日本に入る事を拒まれねばならぬ…ッ!
ホント…僕にはとんと分からないよ…。

ブックレットを拝読。
「自分の書く物」に命を懸けるか否かは指図出来ないけど
僕は氏家譲寿さんの抜き身の刀の様な殺意の虜だったんだ。
体よく鞘に納まってお給金貰うのは「キャラブレ」なんだと思う。
また山崎努みてえに刀振り回して僕を殺しに来て欲しいと思う。

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