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映画「セッション」レビュー「瞬く間に過ぎ去って行く,夢のような107分」。

本作品の冒頭で主人公ニーマン(マイルズ・テラー)が
彼の父親と映画館で一緒にレーズン入りのポップコーンをつまみながら
視聴してるのが「男の争い(あらそい)」(1955年)というフランス映画
(原題:DU RIFIFI CHEZ LES HOMMES)で
米国では「RIFIFI」名義となっている。

「RIFIFI」とはフランスのギャングが使う隠語で
「出入り」「喧嘩」「闘い」という意味を持っており
邦題の「争い」を字引で引くと
「相手を屈服させようとして闘うこと」
とハッキリ書いてある。
つまり
「これからギャング同士の争いが始まるんですよ,覚悟はいいですか?」
と、御丁寧にも念を押してくれているのである。

最近の映画はまこと観客に対して親切だね。

勿論ギャングとはニーマンとフレッチャー(J.K.シモンズ)の
ふたりを指しており,その他の登場人物はニーマンの父親にしても
ニーマンの初めて出来た女友達にしてもバンドのメンバーにしても
「書割」程度の存在意義しかないのだ。

ニーマンが一時演奏から離れ手持ち無沙汰にしている描写が
演奏の魔性を知ってしまったニーマンが
もう二度と「堅気」には戻れないことをよく表現している。

本作品の脚本は実に論理的に考えられていて
無駄な描写が唯の1秒も存在しない。
物語はちゃっちゃと明確に明晰に明瞭に進行し
スポンサーに本作品のプレゼンを行う際,
スポンサーとの質疑応答も何ら問題はなかったであろう。

最初はフレッチャーから一方的に「むち打ち」(本作品の原題:Whiplash)
されていらニーマンが
血みどろになりながらフレッチャーを徐々に圧倒し
最早フレッチャーはニーマンの演奏に頷くことしか出来なくなる。
何とニーマンはフレッチャーまでも「書割」に変えてしまうのだ。
残るのはニーマンと最高の演奏のみ。

ギャング同士の争いの「行く末」なんぞ
堅気さん(観客)が知る必要などない,と言わんばかりに
スパっとエンドロールが流れる「見切りどき」の見極めもいい。

瞬く間に過ぎ去ってゆく夢のような107分。

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