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映画「アンドロメダ…」レビュー「全てが論理的に説明可能で90分キッカリで終わってサッサと映画館を追い出される為にだけに作られた映画を観る為に僕は映画ファンになったのではないわ」。

ニューメキシコの小さな町に人工衛星が墜落し, 衛星に付着した未知の病原菌で町民の殆どが5リットルある血液が結晶状に変化し絶命する中, 赤ん坊と飲んだくれのジジイただふたりだけが生き残った。
事態を重く見た軍は科学者チームをネバダの地下研究所に緊急招集し,未知の細菌の性質の特定と,生き残りのふたりの共通点の模索を開始する。

地下研究所に精鋭が揃うまでに1時間,後の1時間は地道な研究場面が続き,最後の10分に研究所核自爆装置を止める緊張感のある描写という構成。
延々続く滅菌描写は「エヴァ破」でも引用され,テンポよく1分もかからずコミカルな描写を終えている。
同時に21世紀に本作が作られたなら,どうなったかを考えてみる。
先ず1日の上映回数を増やし,興行収益を上げる為に尺を短縮する事を要請され,スポンサーへのプレゼンで論理的に説明不能な箇所はザクザク切られる。仮に論理的に説明可能であっても,より効率的により短時間で描写出来るのではないかが追求される。
そうして仮に論理的で効率的な映画の尺が現行の131分から90分に短縮したとして,僕が疑問なのは「そんな映画観て楽しいか?」って事。
例えば,あるゾンビ映画に海中でゾンビとサメが戦う場面がある。 論理的に考えたら,そんな場面要らねえし, 効率的に考えたら,さっさと主人公一行を奇怪な疫病が蔓延する島に向かわせた方が話が早い。

でもさ。
ゾンビとサメが海中で格闘したお陰で,このゾンビ映画,未来永劫忘れられない映画になったでしょう?
類例の無い唯一無二の映画になったでしょう?
論理的効率的には要らんかも知れないが切って捨てた尺の中に, その映画を,その映画たらしめるオリジナリティがあるかも知れないって言いたいのだ。
時間をかけて非人道的なやり方で精鋭を招集して「国家の安全保障の為なら個人の基本的人権などクソだ」って描いて来たから, 更に非人道的な滅菌処理の描写を受け入れられたんだ。
時間をかけて地道な研究の模様を描写して来たから,研究者の閃きに説得力が生まれたんだ。
観客を説得するには時間がかかると監督が思って制作したのなら,切って捨てる箇所など無いのである。
全てが論理的に説明可能な描写で占められた90分でサクッと終わって サッサと映画館を追い出される為だけに作られた「規格品」の為に僕は映画ファンになったのではないわ。

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