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ロバート・ミッチャム&クルト・ユルゲンス主演の映画「眼下の敵」レビュー「ユルゲンスの「理想の上官」ぶりに男泣きし…ミッチャムの…「狩人の夜」仕込みの実に素晴らしいキチガイ演技に震えるのです。」

第二次世界大戦時の南太平洋で米駆逐艦艦長(ロバート・ミッチャム)と
独Uボート指揮官(クルト・ユルゲンス)の一対一の知恵比べが展開される。

「ドイツ」と言うのは愚かな独裁者に扇動されて戦争を起こした
愚かな連中で米国が悪くて卑怯な強姦魔ドイツに天誅を加える…。
なんて作劇に早晩行き詰まりが生じるのは当然で
ドイツを好敵手として描き,
その好敵手と正々堂々と戦って負かす…。
そうした全てのドイツ人がヒトラーに盲従していた訳ではなく
職業軍人としての職責を果たしていた…と描く映画の嚆矢が本作と言える。

クルト・ユルゲンス扮する独Uボート艦長は
ふたりの息子に「軍人は戦って死ぬのが仕事」と教え,
教え通りに戦死した息子達の写真を見て
「これで良かったんだ」と自分に言い聞かせてる男として描かれ
米駆逐艦の爆雷攻撃で取り乱した若い乗組員には
「軍人は戦って死ぬのが仕事…だが死なせはしない…俺を信じられるか?」
と説得し,彼の本音が迸る。

本当はね。

この台詞を戦死した息子達に言ってやろうとずっと胸の中で温めて来たから,
こういう場面で咄嗟に口をついて出たんだろうなあ。
デスラーの「戦って死ね」に痺れてた僕は
高校生になって本作を初めて観て,この台詞に大いに驚いた。

ユルゲンスが若い生真面目な乗組員が
「我が闘争」を読んでいるのを見て首をすくめ,
艦内の「総統の為に生き総統の為に死す」って標語に
首に巻いていたタオルをかける描写で
「命令には絶対服従」を旨とする軍人だから文句は言わんが,
あのチョビ髭の為に戦ってる訳じゃないって本心を垣間見せてて驚いた。

それ迄ドイツ人と言えば「ジークハイル」と思ってたからね。
ステロタイプでないドイツ人描写が新鮮だったのです。
インディジョーンズの頃には,すっかり忘れられて
ナチスドイツが単なる悪者になって忘れられた見地。
ランボーがベトナムの解放軍と意気投合する事は有り得ん事を考えると,
ドイツ人にも人格者がいたって見地の方が特異なのかもね。

対するロバート・ミッチャムの描き方はこうだ。
新艦長の前職は貨物船の航海士で艦長室から出て来ない。
新艦長に批判的な者は船酔い艦長,民間人の腰抜け艦長と呼ぶ。
原語のfeather merchant(兵役忌避者)を
字幕は「民間人」と「腰抜け」を強調して訳し,
吹替は促成栽培のモヤシと訳し,
「急拵え」と「頼りなさ」を強調する。
自分は吹替の味わいを推す。
「促成栽培」なんて言葉,もう誰も知らんだろうからね。

勿論ミッチャムは船酔いでも腰抜けでもなく
艦長室で新婚の妻と共に乗っていた船を沈められ
船が真っ二つに裂け
成す術もなく妻が海底に沈んで行くのを
見詰めていた自分の気持ちの整理をつけていたのだ。

ミッチャムはユルゲンスの魚雷攻撃のタイミングを極めて精確に見切り
彼を「促成栽培のモヤシ」と罵っていた乗組員が他の乗組員に
「なんで艦長には(魚雷が攻撃してくるタイミングが)分かったんだ?」
と尋ねると
「だから艦長やってるんだ」
と答え「艦長に対する不信」が吹っ飛ぶ場面が僕はスキだ。

また米駆逐艦からの爆雷攻撃に
全員で歌う事で対抗するユルゲンスが大スキなんですが
「敵さん歌ってますぜ。爆雷は効果無かったのでは?」
「いや効果はあった」
「コレは…是が非でも伴奏を加えてやらねば♪」
って言って更に激しく爆雷を投下するミッチャムの狂気が…。

ミッチャムは本作の2年前に「狩人の夜」という映画で
実に素晴らしい人殺しのキチガイを演じていて…。
ミッチャムは「狩人の夜」での素晴らしいキチガイぶりを買われて
「眼下の敵」でも実に素晴らしいキチガイぶりを
発揮してるのだと僕は思います。

目の前で妻に死なれたマレル(ミッチャム)は頭がおかしくなっていた…。
そして頭がおかしくないと戦争を完遂出来ない…とする作劇に唸る。

ミッチャムの吹替声優は浦野光!
ウルトラセブンのナレーションで有名ですね。
そのウラノンが嬉々として
キチガイ演技を披露してるのが本作の見所なのです。

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