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平松伸二先生の「そしてボクは外道マンになる」第1巻レビュー「梶原一騎氏原作の漫画に心酔された平松先生の作劇手法は最早受け入れられないのだろうか。」

1974年(昭和49年),故郷岡山県の高校を卒業し
今や18歳となったひとりの青年が上京した。
青年が16歳のとき少年ジャンプ誌に投稿した漫画が新人賞の佳作を受賞し
その作品が同誌に掲載されている。
その際,編集者が岡山の実家を訪れ青年の祖母にこう言っている。
「(お孫さんが)漫画家として成功するか否かは保証できません」
「漫画家として成功するか否かはあくまでも本人の努力と運次第ですから」
青年の祖母は「言いにくい本音」を最初にズバリと打ち明けた
編集者を信じ自分の孫を権藤という編集者に託したのだった。

実のところ自分が描いた漫画が佳作を受賞し雑誌に掲載された時点で
舞い上がっていた青年は上京して暫くすると自分より話作りが旨い人
画が旨い人が大勢いて2年前に権藤が口にした「努力と運」について
改めて武者震いを覚える。

青年は当時「アストロ球団」を週刊連載していた
中島徳博氏の臨時アシスタントとして漫画に携わってゆく。
中島氏は初対面の青年にこう言う。

「成功するかどうかは本人の努力と運次第じゃけんね!」

また「努力と運」だ。
どうもこの言葉が本作品のキーワードの様だ。
しかし努力はともかく「運」とは一体何なのだろう…。

そんなある日,中島氏が入院したとの報せを受けた青年は病院に急行し
利き手である左手が野球のミットのように腫れ上がった中島氏と
中島氏を取り巻く編集者たちを目撃する。
医師の診察によるとストレスが何らかの影響を左手に与えている
とのことだが「本当のところ」は分からない。
ひとつだけハッキリしているのは左手の腫れが引くまで
中島氏が漫画を描けないということだけだ。
「アストロ球団」は休載せざるを得ないが月刊ジャンプ誌に掲載予定の
読み切り漫画の穴を埋める代理原稿が存在しない。
中島氏は青年に読み切り漫画の大まかな構想を伝え
自分の代わりに漫画を描くよう依頼する。
自分より漫画を描くのが旨い人が沢山いることを
青年は既に思い知らされている。
漫画の構想が決まっているというのなら中島氏の
アシスタントの方々に任すのが最も「無難」であるように思われる。
しかし中島氏は「無難」な道を選択せず青年ひとりにネームを切らせ
それからアシスタントたちに加勢させるという
あえて「困難」な道を選択したのだ。
言い遅れたが青年の名は「平松伸二」。
後に「ドーベルマン刑事」「ブラック・エンジェルズ」
「マーダーライセンス牙」等々,漫画界に無くてはならない作品を
次々と生み出してゆく男である…。

本作品を読んでまず感じたことは
平松氏独特のユーモアに満ち溢れていることだ。
担当編集・権藤は酒の入った一升瓶と木刀とを常時携帯し平松氏が
ほんの少しでも弱音を吐くと木刀を振りかざして襲い掛かってくる。
権藤・副編集長・編集長の人相は極めて悪く「お人好し」には
漫画の編集が務まらないことがユーモラスに伝わってくる。
しかしながらその根っ子に怒号の「行間」に
「俺たちは「面白い漫画」が大好きなんだ」
という「本音」があり本書を読んでいると
何時の間にかニコニコ顔になってしまうのだ。

それから本作品におけるテーマとして
「人が人を選ぶとは「どういうこと」なのか?」
言い換えれば「「運」とは一体何なのか」をずっと描いているんだよね。
自分より素質がある人間も才能がある人間も大勢いる。
なのに何故自分が選ばれるんだ?何故俺なんだ?
齢60となった今でもこうして漫画を描き続けられているのは何故なんだ?
現在でも平松氏は「分からない」と結論されている。
本作品では終始一貫して「それ」を描いているのである。

たびたび引き合いに出す大場つぐみ氏の「バクマン」の中で
「本当に才能を持って生まれたごく一部の天才」じゃない場合の
漫画家に必要な三大条件を挙げられている。
1.自分は他の奴等より出来ると思い込める自惚れ。
2.努力
3.運
またしても「努力と運」だ。
大場つぐみ氏は10万人の漫画家志望者がいたとして,
実際に漫画を描いて食って行けるのは1人いるかいないかだと言い,
従って描いた漫画が当たるか否かは博打であり,
博打で勝てるか否かは運だと言っているのである。

また平松伸二先生,大場つぐみ氏,荒木飛呂彦先生は梶原一騎氏の「男の条件」を座右の書にされている共通点がある。

凶悪な人相の編集長はこう指摘する。

「(梶原一騎の「男の条件」の様に)アイツ(平松先生)の父親の手は田んぼを
泥まみれになって耕し苗を植え稲を育て米作り打ち込む「男」の手で,
そんな男に育てられたアイツが仕事を投げ出しりはしない」と。

平松先生の梶原一騎氏への心酔ぶりが分かろうというものである。

後年平松先生の元に高橋陽一先生がアシスタントに来たとき
「ボールは友達怖くない」
って価値観に打ちのめされたという。

「巨人の星」や「あしたのジョー」…「柔道一直線」「タイガーマスク」「空手バカ一代」等の梶原一騎原作漫画に熱狂した自分にとって
スポーツ漫画とは常に…根性と努力!!そして勝利だった!!
そこに「ボールは友達」という発想はボクには無かった!!

平松先生の価値観と高橋先生の価値観の違いを
平松先生は「真剣勝負」と梶原一騎的に解釈されたが…。

「明らかにボクのTKO負けだった!!」
と平松先生はあくまでも「勝ち負けで」述懐される。

「そしてボクは外道マンになる」は
アンケートの結果も単行本の売り上げも悪く打ち切りになった漫画である。
そして平松先生のかつての担当編集だった鳥嶋和彦氏は
この漫画が打ち切りになる事を予言していた。

「でもこの「外道マン」つまんないよネ!」
「だいたい伸二がこんないいヤツな訳がない!」
「平松さんがもっと外道にならなきゃ…」
「この漫画は売れないただのゴミで終わるよ!」

鳥嶋氏はかつて平松先生にこう言った。

「だいたいボクはマンガって好きじゃないし殆ど読まないんだよ!」
「それがジャンプ編集部なんかに配属されて…」
「もうカンベンしてって感じだよね」
「友情・努力・勝利の熱血マンガってゆうの…」

そんな鳥嶋氏が「鳥山明」という才能を見出し
「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」を生んで行く。

何時の間にか編集者が「熱血マンガ」を愛してなくとも
「熱血マンガ」に何も思い入れが無くとも
ヒット作が生まれる様になっていた。
熱血マンガ…と言うよりも
そして梶原一騎氏に心酔してない人間が描いたライトでポップな漫画が
平松先生を追い詰め「外道マン」を打ち切り漫画にしたのではないか。

本作は平松先生の画業四十周年記念漫画になる筈だった。
最早そうした主人公が成長し成り上がって行く漫画は
必要とされていないのだろうか。
それとも鳥嶋氏の指摘される様に
平松先生が内面を曝け出せず,綺麗事しか言わず
梶原一騎原作漫画の上っ面だけ真似た結果,
「伸二がいいヤツ過ぎる」のが問題なのだろうか。

星飛雄馬は本当に「嫌な野郎」だったからなあ。
平松先生の漫画で罵詈雑言を吐く登場人物には必ず
「彼は罵詈雑言を吐いてるけど本当は心中に優しさがある」
ってフォローが付く「甘さ」があるのである。
平松先生は恐らく基本に性善説があって,
性悪説を信じまいとされているのではないか。

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