恫喝とは癖(へき)なのか。


少し前、某有名タレント医師のパワハラが話題になっていた頃、私の職場であるクリニックでも院長が職員を恫喝し、大騒ぎとなっていた。

私の職場はクリニックではあるが、在宅専門となっており、訪問先は高齢者が入居している施設が基本である。
騒ぎの元となった恫喝は、その訪問先である施設の中で行われた。
院長は、診療の最中に同行していた看護師と事務1名を追い返し、訪問先の施設の中で施設職員、入居者、そして面会に来ていた家族にまで聞こえる怒声を、1人残した女性事務へ浴びせたのである。
本来であれば、訪問診療は医師・看護師・事務の3名以上の体制で行うところを、わざわざ1人残しての恫喝である。

看護師は帰りの道中、クリニックへ連絡をよこした際に、「また病気が始まった」と嘆いた。

この院長の職員への恫喝は、大まかに数えればそれで2回目。
細かく数えればもう何回目かも分からないが、まさに今日、3回目の大きな恫喝がクリニック内で繰り広げられた。あまりにもカオスだったので、いつか何らかの形で公表してみたいものである。

院長からの恫喝、と書くとパワハラのようだが、実際に見ていると、ハラスメントの括りであることは間違いないのだが、一般的なパワハラと称するには、どうも違和感があるのだ。

これは、癖(へき)なのではないか。

先述の訪問先施設内での恫喝の後、院長は何事もなかったかのようにけろっとした顔でクリニックまで戻り、次の訪問先の帰りに職員分のハーゲンダッツを買ってきたのである。
ハーゲンダッツを床に叩きつけたくなったのは、後にも先にもこの時だけである。
私情はさておき、このやり方はまるで殴るだけ殴ったらスッキリして適当に優しくしとけば取り繕えると思っているDV男のようではないだろうか。

パワハラ、というよりDVなのだ、この男は。

勿論、相手は全て他人なのでではないから、もはや暴力なのだが。

DV癖とはよく言ったもので、どういう育てられ方したらそんな癖が身に付くのかは知る由もない。
癖だから我慢が効かないし、癖だから自分にとっては当たり前のことであり、それによって誰が傷付こうが、どんな被害が出ようが、それを理解することができない。
癖を満たしたいだけだから、恫喝の理由は何でもいいのである。
前回は普段は言っても聞いていないような情報の共有がなかったこと、今日に関しては休みの取り方である。怒鳴る必要がどこにあるのか。
そして、恫喝のターゲットはいつも自分より若い女性の事務主任である。
彼女に落ち度がないことが気に喰わないのか、他に職員がいても、彼女だけ。周りが参戦しても、彼女一点を集中攻撃である。
さすがに主任も気が強いので、前回は相当やられて仕事に支障が出る程だったが、今回は怒鳴り合いまで発展させた。(2回言うがカオスだった)。
そしてその後は、また何事もなかったかのようにスッキリした顔をして再び訪問診療へ向かったのである。

さて、このクズ野郎に家族はいないの?大丈夫なの?とここまで読んだ下さった方は思われるかも知れないが、彼に妻子はいない。

ここからは、あくまで私個人の考えとなってしまうのだが、この院長から最初に恫喝を受けたのは、若い男性看護師である。
そして、看護主任、そして事務主任と次々と被害に遭っていくわけだが、表現として適切ではないが、妻や子供等のDV欲求を満たす為の身近な人間が存在しない代わりに、この50代の男性は自分の数少ない居場所である職場を家庭のように脳内変換し、男性看護師を子供、女性職員を妻のように身近な者として捉えてしまったのではないだろうか。

勿論、それ意外にも原因と思われる事はたくさんあるのだが、ふと今までの院長のことを考えた時に、胸糞の悪い虐待事件で逮捕されたあの父親と重なってしまい、更に胸糞が悪くなるのである。

このクリニック内での惨状については逐一、東京の本部にいる事務局長へ報告がいっているが、前回の恫喝時の対応は「1月には見ていて下さい」だった。2020年の1月は間もなく終わろうとしているが、事務局長を何を見せてくれるのか。
ちなみに、今日の恫喝の報告に対しては「もう無視して下さい」だった。


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