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短編小説「沼津干物のアジーB」

短編小説「沼津干物のアジーB」オープニングテーマ
opening theme : karappo_no_seikatsu / note-sann

ノートさんの「空っぽの生活」です。
本小説はこの曲を聴きながらお楽しみ下さい。








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短編小説「沼津干物のアジーB」
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2021年8月49日。

僕の事は「小林B」と名乗っておく。1999年生まれ。男だ。
小林Bの素性は秘密だ。君達は小林Bの事など知らなくて良い。君達が知るべき事は他にある。

例えば此処に闇がある。
闇が闇のままでは此処には何も無い事に等しい。
つまり空虚だ。
例えば此処に懐中電灯があって、闇を照らすとそこには林檎がある。
この林檎は懐中電灯が照らされれば実在し、懐中電灯が消えれば実在しない、に等しい。
そんな認識論の思考実験のようにこの僕、つまり小林Bという存在の実在性は懐中電灯のオン-オフにスイッチされる架空論理の域を出ない。小林Bは斯くも曖昧な存在であるから、君達は小林B、即ち僕については刺身のツマ程も関心を払わずに良い。

その代わり君達は小林Bの相棒であるアジーについて知らなければならない。
アジーは沼津港で水揚げされた丸々と肥った真鯵を割腹して内臓切除して良く洗い、四半世紀の長きに渡り受け継がれた秘伝の塩汁(しょしる)に漬けて半日干した所で自我に目覚めた「あじの干物」だ。

腐敗とは微生物の働きによる。その微生物は酸素と水分(水分活性)によって活動するため、人類は食物から水分を抜くことや酸素から遠ざける事で保存食を開発した。水分を抜く事の代表が塩漬け、砂糖漬けや高糖度のジャム、干物や干し肉であり、酸素を遮断するものが瓶詰めや缶詰である。
魚肉を塩汁に漬けて干す事で水分を減らし、腐敗を防ぐ。それと同時にタンパク質は分解されイノシン酸に変わり旨味が増す。干される事で肉質が変化し、弾力に富む独特の食感に変わる。干物の美味はこのような食品科学に成り立っている。

昼下がりの、賑わいを見せる観光漁港の干物屋の店頭に干物職人たちが観光客たちに出来上がったばかりの金目鯛やアカムツの干物を勧めていた。

「新鮮だよ!」と加工職人が言った。
「良いキンメが入ったよ!」

店頭の緑籠に五尾580円で売られていたアジーは、陳列された商品を冷やかしていた小林Bに向かって言った。

「僕を連れ出してくれ!」

小林Bは驚いた。干物が喋ってる!活きが良いにも程がある!

「連れ出してくれよ!」アジーは言った。
「金が無い!」小林Bは言った。
「お金なんか無用だ!持ってけドロボー!」
「お店の人に聞かないと」

と小林Bは言ったが、問答無用でアジーは小林Bの懐に入ってしまった。

「さあ行こう!」
「何処へ?」
「人生は旅だよ!」

小林Bがアジーを額に充てると小林Bの海洋人間の血が目覚め、彼らは合体してひもの人間に変身する。

「くらえ!ひものチョップ!」
ひもの人間は強いのだ。
世の中の欺瞞を暴き革命の嵐を起こせ。

「ひもの正拳二段突き!」

「生き別れた弟を探しているんだ」とアジーは言った。
「一緒に塩汁に浸っていたんだ」

アジーが向かったのは沼津港から港大橋を渡った所にあるスーパーマーケット、マックスバリュ沼津南店(24時間営業)であった。

「ひものは沼津!ひものは沼津だよ!」
赤いハチマキをした店員が威勢よく声を張り上げた。
「弟を探しているんだ」とアジーは言った。
「どれでも美味しいよ!」店員は言った。
「弟を探しているんだ、僕と一緒に塩汁に浸かったアジの干物を」アジーは言った。

沼津港エリアはひもの人間にとって聖地である。沼津港で水揚げされた海産は競られて仲卸されて市内各所の干物工場に運ばれて干物に加工されていく。沼津港は「ひもの」が「ひもの」たる起点であった。

そも全国のひもの生産量4割を占める沼津のひもの文化は江戸時代に遡る。美味しい干物を作る条件は新鮮な魚が手に入ること。洗浄の水に臭みが無いこと。干物を乾かす風に恵まれること。の三点が重要だ。駿河湾は湾口が深いため、駿河湾の魚たちは中深層から深海層で活動するものが増える。深海に暮らす魚はその身肉に脂肪分を蓄える事で水圧に抗するため、生息する深度に比例して魚は脂を乗せて美味くなる。つまり日本一の深度を誇る駿河湾の魚は深度に育まれて美味となる。
その魚を捌いて内臓を抜いてよく洗う。富士山の湧き水から上水道を引くこの土地は、水に臭みがなくミネラルに富む。その浄水と沼津特産の戸田塩で作った塩汁に小一時間漬けて、天日と風で数刻乾かす。「沼津ならい」という潮風が一年を通じて吹いている。沼津はこれら干物作りの条件が合致して古くより干物産地であった。江戸時代に東海道が開通し人流と物流が盛んになって保存食である沼津干物は大いに活躍をした。歌川広重の東海道五十三次の「沼津」にもひものが描かれている。「ひものと云えば沼津」である。

だがしかし。

「見て!」
鮮魚コーナーにてアジーは小林Bの懐から言った。

干物聖地の沼津港直近のスーパーマーケットで売られる干物は小田原ひものであった。(※沼津ひものも売っています。)

「小田原ひもの!」

日本で最大深度の湾口を誇る駿河湾で獲れた魚介を使う「沼津ひもの」に対して「小田原ひもの」は日本で二番目に深い相模湾の魚介が使われる。天下の嶮たる箱根山で足柄圏域が両断されるように、ひもの産地として沼津、小田原の両者は国家のひもの勢力を二分するのだ。

「こんな所にまで!」

小田原ひものの勢力が伸びている。

「由々しき問題だぞ!」
アジーは言った。
「少なくともひもの人間にとっては!」


ひもの大国沼津に侵食する小田原ひものを打倒せねばならぬ。そうでなくてはひもの生産量日本一を誇る沼津の名がすたる。
沼津が沼津ひものを売らずして何とする。それではコックが自ら作った料理を仕舞って、客に出前を取らせるようなものではないか。


アジーは憤慨して剥き出しの身肉を紅潮させた。

「ひものは沼津!」赤服の店員が言った。
「さては貴様、マックスバリュの店員では無いな!」


やんぬるかな、やんぬるかな。ひもの人間の雪辱を晴らすべし。アジーが小林Bの額に輝くと彼らはひもの人間に変身するのだ。

「くらえ!干物チョップ!」

干物チョップを寸手で躱したマックスバリュ店員は小田原ひものの化身であった。

「小田原ひものも美味しいよ!」

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僕は携帯端末の録画装置を停止した。

僕の事は「小林B」と名乗っておく。1999年生まれ。男だ。
小林Bの素性は秘密だ。君達は小林Bの事など知らなくて良い。
君達が知るべき事は他にある。

例えば此処に闇がある。この闇に光を照らさなければ映像は撮れない。空虚の闇に照明を当てる必要がある。
闇を照らすと林檎があって、この林檎に高光量の照明を直截当てては不可ない。林檎の凸面は下品に光り、凹面の翳りも下品。被写体が光陰で汚れる。
であるからして光源は直接被写体に当てずにレフ板と呼ばれる白板に当てて、その反射光で被写体を照らす。そうすれば被写体には陰影の少ない柔らかな光が当たる。

懐中電灯を照射すべきは被写体では無い。それと同じく表現は直截では無い。表現とは間接で婉曲だ。
小林Bとは直截の存在であるから、君達は小林Bについて、即ち僕について知らなくて良い。刺身のツマ程も関心を払わずに良い。


その代わり。
君達は小林Bの相棒であるアジーについて知らなければならない。

アジーは沼津港に売られていた朝開きのアジの干物だ。
僕は港内に並んだ干物屋でアジの開きを買って割り箸の先端に固定して、彼を主人公の映画を撮っている。撮影の場面は沼津港から近くのスーパーに変わった。スーパーの正面玄関前で撮影する予定だ。スーパーでひものを買ってアジーと同じように割り箸に固定した。

僕一人でカメラを回し、ひものまで持ち、尚且つ懐中電灯とレフ板で光量を調整するのは無理があった。全く無謀であった。
だがそんな事は最初から分かっていた。
本当は今日参加する撮影スタッフがあと二人いる、筈だった。二人とも今朝になって「今日は来れない」とメールがあった。
若松は小林Bの役で映画に出演する事になっていたし、鈴木は懐中電灯とレフ板担当であった。
更に彼らにはパペッティア、つまり人形使いをお願いしていた。割り箸先のひものを操りて活劇するのだ。
撮影機材はモバイル端末だけ、という低予算映画である。完成したら知人のやっている沼津大手町のBARで上映して貰おうと思っていた。

若松も鈴木も外せない用事があると言うが、僕はその外せない用事すらも外して此処にいるのだ。
撮影中止になった所で僕の本日の予定は空っぽであった。

そう、まるで内蔵が抜き取られたアジのように。彼らから不義理の連絡が来た時に、僕は撮影道具を一人抱え、途方に暮れた。空虚の中に孤独であった。孤独であり、その反動は怒りであった。

だが既にその時、僕、即ち小林Bには相棒であるアジーがいたのだ。
割り箸に固定されたアジーは言った。

「一人でも撮れば良いじゃない!」

刺身のツマ程も軽薄な彼らは撮影には無用だ。
憤懣を抱えて僕はアジーと共に撮影を断行する事に決めたのだ。

(音楽カットイン)



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「沼津干物のアジーB」
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監督 小林B

脚本小林B

撮影 小林B
録音 小林B
音響効果 小林B
照明 小林B

小道具 小林B
衣装 小林B

編集 小林B
制作 小林B


出演

主演
アジー(沼津ひもの)

アジー(小田原ひもの1/3)
アジー(小田原ひもの2/3)
アジー(小田原ひもの3/3)

音楽
オープニングテーマ
「空っぽの生活」
作詞作曲うた ノートさん


エンディングテーマ
「何ひとつも」
作詞作曲うた ノートさん


劇中歌
「フラッシュライト」(新曲)
作詞作曲うた ノートさん




ロケ地


沼津港
マックスバリュ沼津南店
我入道渡し
沼津駅桃中軒
狩野川プロムナード
我入道公園野球場
我入道海岸




スペシャルサンクス


若松ペドロ(小林B役、パペッティア)
鈴木ペドロ(助監督、パペッティア)

沼津市のみなさん



(音楽フェードアウト)

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マックスバリュ店員に扮していた小田原ひもの人間は言った。

「私は小田原ひものだ」
「名前はアジーだ」

「名前が被ってる」
アジーは言った。
「由々しき問題だ」

「だってアジの干物人間に他の名前があるものか。」と小田原ひもののアジーは言った。彼は三枚組で売られる干物パッケージの一枚であった。

「その通りだ」
小田原ひもののアジーと同じパッケージで売られる小田原ひものが言った。彼の名前をアジーと言う。他のもう一枚の小田原ひものもアジーである。

アジーは憤慨した。
「味がトゲトゲした奴らめ!」
「なんだと」
アジーは憤慨した。
「トゲトゲなどしていない!」
アジーは言った。
「食べなければ味は分からぬ!」
アジーは言った。
「失敬な口は慎しみ給え!」
アジーが言った。

「そもそも貴様の価格はいくらなのだ」と小田原ひもののアジーは言った。

「五枚で580円。三枚なら390円。そして一枚なら150円だ!」沼津ひもののアジーは言った。

「我らは三枚で298円だ。」小田原アジーは言った。

「トゲトゲの安物め!」
アジーは彼らを面罵した。
「どうせ冷凍ものの機械造りなんだろう」

それを聞いて小田原ひもののアジーは笑った。
「あははァ…」

何を笑うのだ!
アジーの身肉は益々紅潮し、身肉に残った血液が毛細血管から噴血した。

「沼津のアジーは愚物なり!」

そも、単なる鯵の開きに斯くなる価格の開きがあって、コンシューマーは一体どちらを選ぶだろうか。

「美味しい方だ!」
アジーは言った。

「安い方だ!」
アジーは言った。

「現状を見れば結果は明らかだ。」
沼津市民が食卓で小田原ひものを食している。それは小田原ひものの謀略では無い。
安価のアジを求めた消費者主権の結果なのであった。

大資本である量販店には四定と呼ばれる流通原則がある。「定量、定質、定価(低価)、定時」24時間スーパーマーケットにいつ何時行こうとも同じ商品が同じ価格で取り揃えられている事が求められる。四定の商品で無ければ大手スーパーマーケットで取り扱う事は出来ない。

その結果、釣果によって得られた上物や、希少種、地場産品は大流通から排除され、スーパーマーケットには平均的な味の定番商品しか並ばない。家庭の食卓は美食から遠ざかるのだ。

「ア、ア、ア」
アジーは泣いた。
美味しい事が何故悪いのか。
身命に美味を賭して生まれた己が宿命を恨んで泣いた。
悔し涙が絞られてアジーの身肉の塩分が抜ける。涙は一番小さな海です。泣いてアジーは塩気の少ない淡白なひものになってしまう。
小林Bは慌てた。
泣かれてはアジーの風味が落ちる。

「美味しい事は悪い事ではない。僕は何より君に食指が動く。例え君が他のひものより20円高かったとしても。」

市内のスーパーマーケットで沼津ひものが売られない事でひもの消費量が減っている。
ひもの工場は減少の一途を辿り、最盛期は市内に250あった水産加工工場が今や50にまで減った。
沼津ひものは存亡の危機を迎えている。

「僕は大資本に負けたのではない。国民性に負けたのだ。」

ひものチョップが空を切った。

小田原ひもの三兄弟が笑った。

アジーのひものチョップは彼らに届かない。だが、アジーはその届かぬチョップを繰り返す。彼には他に手がない。一本気の空手チョップしか。

彼は孤独に戦っているのだ。例え大流通から笑われても。

ひものチョップを喰らえ!


内臓取り除かれて捌かれた空っぽの体腔に世知辛き「沼津ならい」の風が吹きすさぶ。
ひもの人間アジーBの心裡は倍々乾くのであった。

マックスバリュ沼津南店には五階建て(屋上階含む)の立体駐車場があって、駐車場の総数は273台とスーパーマーケットにしては不釣り合いに大きい。これはかつてこの建物がダイエーデパート(旧ヤオハン)であった事の名残である。ダイエーデパートは2006年に閉店したものをマックスバリュ東海が買取し、旧店舗を解体新築して2009年に開業している。以来、地域の生活を支えた名店である。

小田原ひもの三兄弟に敗れて、小林Bとアジーはスーパーマーケットに隣接された立体駐車場の屋上に上がった。

眼下に狩野川が流れている。その狩野川に港大橋が架かって、渡った先が沼津港地区である。

地区内の水産加工工場と冷蔵倉庫と飲食店街ビルの向こうには2004年に新造した水門塔が双子のように聳立している。狩野川の上流を見れば沼津市街が広がり、遠景に愛鷹山系とその連峰の向こうに聳える大富士がある。南天にあった太陽は傾ぎ始めて、川を街を黄色に染めるのであった。

廃業したダイエーデパートはスーパーマーケットとして復活したが、そのスーパーマーケットの存する地域も高齢化と人口減少により斜陽の翳りを見せている。
かつて一階テナントには中古本屋が店子入りしていたが、いつの間にかベビー用品の店に変わって、いつの間にか空になった。その向かいのアイスクリームショップもいつの間にか消えて、スーパーマーケットの一階はドーナツ屋と洗濯屋を残して他は灰色のシャッターが区画を隔てている。

沼津港には年間165万人の来訪者があると言うが、そうした活況と裏腹に地域の購買力が少子高齢化の進行と共に低下してスーパーマーケットを支えられないのだ。

「このままでは我らは滅びるしかない」
小田原アジーが言った。
「助けてくれ」
地域経済の衰退により商流の絶たれる危機である。
「来年には田子重がオープンするのだ」
202x年xx月に。
マックスバリュ沼津南店から100メートルの距離に県中部を主たる活動拠点に置くスーパー「田子重」が進出する事が決まっている。田子重の取り扱う干物は静岡市の用宗ひものである。マックスバリュ沼津南店が田子重に抑圧されれば小田原ひものの商圏も狭まるのである。
勃興は万民に平等だ。

2009年生まれのスーパーマーケットの屋上で1999年生まれの小林Bと今朝生まれたばかりの沼津ひものアジーが市政100年を迎える沼津の街並みを眺めている。
彼らを取り巻くのは隆起して1万年の富士山系と、44億年前に生まれた海。

「僕の賞味期限はいつまでなんだろう」

街を、海を見渡しながらアジーは言った。

「3日くらいかな」
小林Bは言った。

「あまりにも短過ぎる。」
アジーは言った。

「冷凍すれば2週間くらいは」
小林Bは言った。

「焼いてくれ、僕を」
アジーは言った。
「僕が金目鯛だったら良かったのに。そうすればもっと」

「もっと?」
「みんなから愛されたのに」

アジーは言った。

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僕はアジーをトレイ容器の上に置いた。小田原アジー達からは少し離した。
沼津アジーと先程スーパーで買った小田原アジーは正直、値段に差はあれど外見に見分けはつかない。味も何処まで差があるのか、僕自身も自信がない。塩汁の調味が店によって異なるので、食べ比べた風味はきっと異なると思うのだが。結果としてどちらも美味しかった、と食べ終えてしまう可能性も大きい。そんな四つ子の如き彼らが撮影途中で入れ替わってしまうと大変だ。沼津ひものを愛好する観客達は僕の失敗を見抜くだろう。僕自身が沼津ひもの愛好会から糾弾されるのだ。
秘密結社「沼津ひものの会」からの糾弾、弾圧。市内で趨勢を誇る彼らから弾劾される事は恐ろしい。彼らはその権力を以て沼津暦の七月朔日を「ひものの日」に制定し、その日は沼津駅 や沼津港、あまつさえ東京駅に於いて干物を無償配布するキャンペーンを張る程の権力を有している。彼らから睨まれれば、夜襲を受けて内臓抜かれて開かれて天日で干されて翌朝に干物市場で陳列されかねない。
失敗は許されない。

僕はこのシーンの撮影で懐中電灯に黄色いセロハンを張った。傾きかけた日差しを黄味がかった照明を当てる事で表現しようとした。

僕は置かれたアジーを懐中電灯で照らした。次に小田原アジーを懐中電灯で照らした。

「やっぱりパイセンの身肉の付き方はヤベエッスよ」
と小田原アジーが言った。
「テカった脂で演技が輝いてるッスよ」

僕は沼津アジーに懐中電灯を当てた。

「そうかな、君達だって良い演技してたよ。色も形も上質で。さすが大手チェーンのバイヤーが目利きした事はある」

僕はまた小田原アジーを照らした

「パイセンには敵わねっス、鮮度が違うッス、美味そうッス、食べちゃいたいッス」

お腹が減った、と僕は思った。
考えてみれば今日は一日、何も食べていない。 
アジーを買った港湾の店は買った干物をその場で焼いて食べられるようにドラム缶製のBBQ台が幾つか設置されている。
そこでは観光客たちが蕩けた魚脂を炭火に滴らせ馨しい白煙を上らせているのだ。熱に炙られた魚肉がふっくらと仕上がっていく。秘伝の塩汁が齎した馥郁の塩加減で。店頭に並んだ魚介とそれらが焦げる野趣ある光景を思い出して僕の胃壁は切なく収縮した。

次の撮影は夕暮れのシーンであった。懐中電灯にアンバー色のセロハンを貼らなければならない。
懐中電灯にセロハンを貼りながら、僕は円谷プロダクション制作のM78星雲宇宙人が地球人に憑依して巨大生物に変化して怪獣と戦う特撮の変身シーンがペンライトの照射(100万ワットのベータカプセル)である事を思い出していた。映画中、ひもの人間の変身は小林Bがアジーを額に充てる事であるが、もっと派手にした方が良いのかもしれない。光源や火を活用するような。
某特撮の製作年は1966年であるから、もしかしたら光源を掲げる事のヒロイズムには1964年の東京オリンピックの聖火が影響していたのかもしれない。
古代宗教に拝火教があって光と陰の二元論が分かれたように、人間は今も二極化された光陰の中に暮らしているのだ。

懐中電灯のスイッチを入れてアジーを照らした。
「未だに君達は善悪二元論の原始宗教から脱却出来ないんだな」
アジーは言った。
「善悪、好悪、快不快、勝負、光と影。懐中電灯のスイッチをオンオフする事の感覚しか無いんだから。」

「その他に何があるんだい」僕は彼に尋ねた。

懐中電灯によってアンバー色に照射された単なる干物たるアジーは何も言わない。

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量販店が擁する大流通から排除されてしまった中小の水産加工業者は、近年になって沼津港をブランド化して、高級干物の開発に力を入れるようになった。

かつてぬまづ干物と云えば真鯵、鯖、カマス、えぼ鯛が主であったが、昨今の港内に並んだひもの屋には高級魚の代表格である金目鯛やアカムツ、笹カレイの他にも北洋サーモン、欧州アジなどの輸入種、マグロの尾部やカマ、キンキ、カサゴ、鯨、イルカなどの希少で流通に乗りにくいもの、海老、烏賊、太刀魚、鯛など通常ひものにしないものが職人の手によって干物にされて並んでいる。
その日に獲れた魚たちが干物加工されるので、店頭に並ぶ品揃えは毎日異なる。季節と天候と旬によって大きく左右される。大流通の「定量・定質・定価・定時」からなる四定原則の真逆を進む事で差異化を図る。
季節の変化を反映しながらバラエティに富んだ店頭の商品は幾度訪れても飽きない。その日、その場所でしか出会えない味がある。

「干物の楽園だ」
アジーは故郷である干物屋を懐かしんだ。
「あらゆるものが干物であった」
そしてアジーは目を瞑った。

彼をアンバーの夕陽が染めた。

アジーと小林Bは狩野川を河口に向かって歩いた。
彼らを追うように川面には魚が跳ねた。

渡し船の老水夫が高水敷に休んでいた。

「こんにちは」
アジーは挨拶をした。
「こんにちは」
老水夫は言った。

「この舟はどちらに向かうの?」
「川を遡って街場に行けるよ。」

「乗るかい?」

二人は渡し船に乗った。

とっと、とっとと原動機が音立てて小舟は川を遡上した。
二人を追うように、川面に魚が跳ねた。

「アジだ」
「川にアジが?」
「汽水域だからね。海魚が泳いでいるんだ。」

「街には何があるの?」
「鉄道が走っているよ。鉄道は良い。何処にだって行けるんだから。」

渡し船を下りたアジーは大手町を歩いて駅舎に入った。桃中軒の屋台が弁当を売っていた。

「人気があるのは何だい?」
「あじの寿司弁当だね。」
「へえ?」

鯵の押し寿司と山葵寿司、太巻きと酢締めされた三種類のアジ寿司が楽しめるようになっていた。

「美味しそうだ」
小林Bは言った。
「ひものの弁当はないの?」
アジーは言った。
「無いよ」
桃中軒は言った。

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「待った?」と若松は言った。
「待ったよ」と僕は言った。
「ああ、港あじ寿司」
彼は僕が手に提げた袋を指差した。
「夕食に食べようと思ってさ。お前の分も買ったよ。」
「悪いね」

僕が一人で何役もこなしながら撮影をしていると若松から連絡があって、用事が済んだから合流できると言う。
僕達は駅で待ち合わせたのだ。

「鈴木は?」と若松は言った。

「あいつも逃げたよ」と僕は言った。
「俺は逃げてないよ」
と若松は言った。

僕達は渡し舟に乗って川を下り、我入道に向かった。

「良い風だ」舟上で若松が言った。
「そうだね」アジーを操って僕は言った。
「ああ、君は今回の主役だね」若松がアジーに挨拶をした。
「よろしくな」
「よろしく」と僕の操るアジーが言った。
「弟を探してるんだろう?」若松がアジーに尋ねた。
「ああ、それならもう良いんだ」アジーが言った。
「良い?」
「そう、弟の事は」アジーが言った。

(劇中歌 「フラッシュライト」)
カットイン→xx変更→前奏 終了後からカットイン、夕日の中を進む渡し船、小林B(若松)、アジーが交互に映される(曲とカメラワークについて鈴木にも相談!)




僕は橙色のセロハンを貼った懐中電灯で若松を照らした。照明で照らされた彼は役者の顔をしている。器量が優れている訳では無いが役者として華がある。

街は日が暮れ始めていた。
川面がオレンジ色に染まっていた。
オレンジの川面を渡し船はとっと、とっとと原動機の音立てて河口に下る。

若松は煙草に火を付けた。
彼の吐き出す煙が小舟の後方に流れて消える。

堤防の上で子ども達が手を振っている。
彼はそれに手を振り返した。

「この後は何のシーン?」
若松は聞いた。
「海で焚き火をするシーン」
僕は言った。
「そんなシーン絵コンテにあった?」
「君達のお陰で撮影は滅茶苦茶だよ、物語さえも」
僕は言った。

我入道の船着場から八幡様の突端に向かって歩いて、島上寺を正門を回り込み、僕達は海岸の野球場に着いた。
少年達が野球の練習をしていた。少年ピッチャーが投げたボールを少年バッターが打った。打ち上げたボールはフライになった。そのフライを海風が巻き上げた。高く揚がって落ちて来ぬフライを子供たちが口を開けて眺めた。

野球場外に猫たちが連なって歩いた。

狩野川河口から牛臥山に伸延する海岸は我入道海岸と呼ばれる。小粒の石で出来上がった海岸は海流の関係で様々の漂着物が流れ着く。
僕達は海獣の骨のような奇怪な形の流木や卒塔婆や貝類の遺した生体鉱物など、様々の漂着物を楽しみながら浜辺の突き当たりである牛臥山の海蝕岩穴まで歩いた。

「赤いシーグラスだ」
漂着物を拾って若松が言った。
「赤色は高く売れるぜ」

「僕は青色が好きだな」と僕はアジーを操って言った。

海の底のような深い青色が。
深海にうねる海流のような青色が。
青は孤独の色だ。


---------

アジーと小林Bは流木を集めて焚き火を始めた。日が暮れて夜になっていた。

「焼いてくれ」
アジーは言った。
「僕を食べてくれ」

「お別れなのか」
小林Bは言った。
「賞味期限だ」
アジーは言った。

「もし君が僕の事を思い出してくれるなら、いつでも沼津港に来ると良い。僕はいつでもそこにいるから。肥って脂の乗った身肉に染みた絶妙の塩加減で。」

「分かった」

「もし沼津港まで来る事が出来ないなら、君の住処近くのスーパーマーケットでひものを買ってくれ。小田原ひものでも良いから。」

アジーは言った。

「分かった」
小林Bは言った。彼はアジーを抱えて焚き火に炙った。


「僕は産地に拘っていたけれど、ひもの文化が継がれて行くということが大事なんだ。伝播だ。沼津で小田原ひものが売られて沼津市民がそれを食べる。食べる事が習慣となってひもの消費量が増えれば再びひもの工場が活況するだろう。スーパーマーケットから小田原ひものを追い出す事が僕の闘いなのではなく、僕や小田原ひものを君に食べさせる事が僕たちの闘いであったのだ。美味しい干物を君に食べさせるという目的は量販店の小田原ひものも港内の沼津ひものも変わらない。量販店と沼津港は共存ができる。」

「その通りだ。」
小田原ひもののアジーも隣で炙られながら言った。

「我らは争うべきではなかった。人間が我らを食する事が闘いであったのだ。」

ひもの達が炙られて、熱した脂が身肉から泡となって湧いた。脂が火の中に滴り落ちてじゅうじゅうと燃えた。
香ばしく火炎に焼かれ、白煙を昇らせながら、眼球がま白になる頃にとうとう彼は絶命した。

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「食べて良い?」
若松は言った。
「良いよ」
僕は答えた。

焚き火に当たる若松が赤く光っていた。その向こう側は真っ暗で闇の中に波の音が単調に繰り返される。
僕達はあじ寿司の包み紙を開けた。

「美味しそうだ」
「そうだね」

「誰か一人足りない気がする」
「鈴木のこと?」
「アジーかな」

先程まで喋っていたアジー達は焚き火の上で焼かれている。

僕は彼を手に取って、先程のように操ろうとしたけれど焼かれた彼が喋るのはおかしな気がして止めた。

「観念的な存在だったと言うわけだな」
若松は言った。アジーは活きアジが死して捌かれ塩汁に浸かり数刻干され干物となる事で自我を得た。生まれた時から死体である彼が僕達の中に元気に生きて、焼かれた事で彼は死んだ。観念の生と観念の死。本当の生と本当の死の間に観念の生死があるのだ。

「内臓が取られて空っぽになった存在だ。そうした彼が半日を懸命に生きて、今や食される事で己が使命を果たそうとしている。内臓的に空っぽの彼の人生は決して空虚であった訳ではない。少なくとも経済活動的には。」

「僕達の栄養学的にもね」

「こんな話はどうだろう。焚き火の点る輪の外に死体がある。」と若松は言った。
「何の話?」
「映画の話。死体がある事に気が付かず焚き火に当たる話。見知らぬ女が焚き火に当たらせてくれと声を掛けてきて、実はその女が死体なんだ。」
「死んだ女が声を掛けてくるよりも、死体は動かず、死体に触る事も出来ず焚き火に当たり続ける方が面白いよ。」と僕は言った。
「例えば此処に死体がある?」
「そう、そうした緊張感の中に、平易の日常会話が繰り返される。」
「例えば?」
「何でも良いけれど、観念的な事とかさ。暗闇はどうして怖いんだろう、とか。」
「暗闇は怖いね。足元も見えないくらい暗い時はね。」若松は言った。
「そうやって死体と共に焚き火を囲む二人がいて、本当はどちらかが既に死んで幽霊だったり。女の死体が、少しずつ動いているように見える。男Aが死体が動いている、と指摘すると男Bは気の所為だと言う。実は男Bは死者で、女の死体は男Aにその事を伝えようとしているんだ。」
「こんな話をしていると、本当にその辺に死体があるような気がしてくるな。」
「そして、僕たちの片方が既に死んでいる気になってくるね」
「俺は生きてるよ」
「もちろん僕もね。」
「死体があるかな。」
「あるんだよ。光源が当たらない暗闇には死体だろうが怪獣だろうが、何でも」

僕は焚き火の外縁の暗闇を見た。死体があるのだ。其処には闇に紛れて女の死体が。女の死体が観念の海を漂って現実の岸辺に漂着する。観念の海の引く波が女を攫い、寄せる波がまた戻す。潮汐力によって女の死体はいつまでも現実と観念の波打ち際に揺れている。其処に懐中電灯を当てれば現れるのだ。暗闇の中から女の死体が。赤い林檎が。再び生まれたアジー達が。

女の死体が頭を擡げて指を差した。女の示す指先にいるのは僕なのか、若松であるのか。小林Bの実在は曖昧だ。僕こと小林Bを映画中に演じているのは彼なのだから。小林Bの実在が揺らいでいる。

若松は海を見ていた。暗い海上に漁火が点っていた。若松は小さな火点を見つめ、波の音を聴きながら、長く顔を背けた。

「今日、俺は就職面接を受けてきたよ。スーパーマーケットの店舗スタッフ。来月から来てくれってさ。」と若松は言った。

「映画はどうするのさ」
「協力するよ、できる範囲で」

若松の返答はおざなりに軽薄であった。確証の無い無形の口約束であった。無責任の軽い言葉であった。
いや、そうでは無い。彼こそ人生の重荷を背負ったのだ。人生を決断した覚悟の言葉であるのだ。いつまでもモラトリアムに人生を浪費する自分とは異なる。彼はモラトリアムの時代から脱却したのだ。
僕と、若松の間にはいまや明瞭な線引きがされていた。人生の此岸と彼岸に別れている。彼ばかりでは無い。今日現れなかった鈴木は結婚するために彼女の両親に挨拶に行ったのだ。彼女の実家が商う不動産業を継ぐ事になるだろう。彼らの人生は先に先にと段階を追って進んでいく。滔々と流れる川のようだ。僕はその川の淀みから抜け出す事の出来ぬ木の葉だ。流れの尽きた淀みにあって腐葉して泥濘に朽ちるのだ。

「小林B役はどうすれば」
僕はその言葉を飲み込んだ。
「自分でやれよ」
そう言われるのが怖かったのだ。

--------

小林Bは焼かれたアジーの骨を取って湯気の立つその身を噛んだ。
脂が乗っていた。柔らかな肉であった。アジーは干された事で身肉の旨味を増していた。
塩汁の天然塩が彼の旨味を引き立てていた。

だが。アジーを食べながら小林Bは孤独であった。アジーが美味である程、彼は孤独であった。

体腔が空っぽになったアジーは決して空虚な人生を送った訳ではない。だが自分はどうだ。空虚だ。彼と異なって内臓が詰まっている癖に小林Bは空っぽだ。

その時。

アジーを焼いた焚き火が消えた。小林Bは暗闇の中にいて、彼の実在が揺らいだ。小林Bは暗闇の中にいて自らを失認した。
波の音だけが聴こえていた。
暗黒に赤い熾火が明滅した。

--------
「流木を拾ってくるよ」
焚き火に火を点すため若松が立った。
「懐中電灯を持っていけよ」
僕は言った。

「要らないよ」
若松が言った。

僕も立ち上がって流木を探した。
懐中電灯で浜辺を照らすと光の輪ができる。光の輪の中に流木を探した。

懐中電灯を消すと光が消えて、真闇が碧い陰と黒い影に分かれる。流木は懐中電灯を消した方が探しやすかった。

成程、と僕は思った。
二極化した光と陰が視界を狭めてしまう。
まるで僕の視点のようだ。
若松や鈴木の、人生を進めようとする組の広範の視野が僕には無い。

懐中電灯が照らす光輪の狭い視野の中で生きている。

それをこの場で認める事も腹立たしく、僕は意地でも懐中電灯を点して流木を探した。

光輪の中に砂に汚れた素足が立っていた。
それが女の死体に思えて肝が潰れたが、よく見ればすね毛の生えた男の足で骨が太い。其れは裸足になった若松だった。

「海に入らないか」
若松が言った。





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エンドロールに代えて
本小説をご覧の皆様、この度は拙作にお付き合い下さってありがとございます。エンドロールに代えて跋文を少々。エンディングテーマ「何ひとつも」を流しながらもう暫くお付き合い下さい。

本作について

本作はNEMURENU40thのテーマ「懐中電灯」への参加作品です。noteで活動するノートさんの「空っぽの生活」からインスピレーションを受けて書きました。「空っぽの生活」は名作です。オープニングにリンクを貼りましたので是非聴きながら小説を読んでみて下さい。最後には同じくノートさんの「何一つも」のリンクを貼りました。エンディングテーマとして小説を読み終わってから聴いてみて下さい。

ノートさん、この度はコラボレーションに快諾下さってありがとうございました。もしお時間ある時に本小説の挿入歌とか干物の歌とか作ってくれたら嬉しいです。

と、書いたところ、ノートさんが本小説に曲を書き下ろして下さいました。劇中歌として挿入した「フラッシュライト」がそれに当たります。もしまだノートさんの曲を聴いてない方がおりましたら、是非曲と一緒にこの小説を読んでみて下さい!文字だけで読むより、また少し違った印象になると思います!

沼津港について

最近私はマグロの尾部の干物を食べました。赤身肉なのにゼラチン質で脂も乗って大変美味しく頂きました。また買おうと思って次に行った時には売ってませんでした。その日にしか出会えない名物があります。皆さんも沼津港に行ったら是非珍しい干物を探してみて下さい。お店の人に相談するのも楽しいですよ。

参考資料
構造再編下の水産加工業の現状と課題-平成21年度事業報告-(財団法人 東京水産振興会)
調査と情報2006.7「これからの水産物流通を考える」田中一郎
静岡県交通基盤部「沼津港港湾振興ビジョン」
静岡県交通基盤部「令和3年度沼津港みなとまちづくり推進計画」
広報ぬまづ2018年6月1日
沼津市の観光交流客数の推移

(短編小説「沼津干物のアジーB」村崎懐炉)
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