漢詩の言葉「月下独酌」李白/翻案「俺は友達がいない」

漢詩の勉強です。

原文

月下独酌 李白

花間一壼酒
獨酌無相親
舉杯邀明月
對影成三人
月既不解飮
影徒隨我身
暫伴月將影
行樂須及春
我歌月徘徊
我舞影零亂
醒時同交歡
醉後各分散
永結無情遊
相期遥雲漢

(書き下し文)
「月下に独り酌む」 李白
花間(はなあい)に一壷(いちこ)の酒
独酌、相(とも)に親しむもの無し
杯挙げて明月を迎え
影が対すれば三人と成る
月、既に 飲みて不解
影は徒(いたずら)に我身に従う
暫く月と影とを伴えば
行楽は須(すべか)らく春に及ぶ
我歌えば月、徘徊し
我舞えば影、零乱す
醒める時は同(とも)に交歓し
酔うた後は各々分散す
永く結ぶ 無情の遊を
相(とも)に期(き)さん 遥かなる雲漢で

(語句)
不解、徘徊…恐らく李白が飲み過ぎてグルグルに目が回り、月を見ても焦点定まらない様を詠っていると思われます。
徒に我が身に従う…極限まで飲んだ人間はぐったりして隣の人にもたれかかります。自らの影が自分に張り付く様を、酔った人間になぞらえております。明朗快活に酒を飲む、というより極限まで飲んでグダグダになっておりますね。
零乱…揺れ動く
結ぶ…約束する
無情…人でないもの(ここでは月と影)と解釈されます。また無情は「情(=雑念)がない境地」とも解釈できます。
醒時、酔後…常識人は酔った後に仲良く遊び、醒めたあとはバラバラに帰宅する訳ですが、真の酔っぱらいは逆になります。酔いが醒めれば集まって共に酔っぱらい、散々飲んだ後は寝る者もいれば、騒ぐ者も夢遊する者もいる、前後不覚になって分散します。
雲漢…天の川、銀漢。

(訳文、意訳です)
花の下に一壷の酒を置いて
独り酒を飲む。共に飲む者はなし。
杯を掲げればその先に月があり
そこに私の影を加えれば三人となる。
月は既に酩酊して足元おぼつかず。
影もまた酔って私にもたれかかる。
月と影と一緒に味わう、この楽しみは全くもって春である。
私が歌えば、月はぐるぐると回り
私が踊りだせば、影もまたゆらゆら揺れる
少し酔いが醒めれば、酒を飲み合い、
前後不覚になるまで酔えば其処で散会。
これからもずっと、我々は、何もかも忘れて遊び尽くす事を誓い、今度は天の川で会おうと約束する。


(少し補説)
李白は大酒飲みで、酒の失敗も多かったようです。唐の玄宗皇帝に仕えましたが、酔っ払って皇帝に呼び出されても参内しないばかりか「俺は飲酒仙人だ」と喚き散らしたとか、なんとか(杜甫の飲中八仙歌)。最終的に解雇されております。
この詩も静かに酒を飲んでいるのではなく、一人で、勝手に、物凄く、酔っ払っている様子が見て取れます。

(翻案、或いは詩人訳)
漢詩の世界を現代的に解釈し、感覚的に世界観を捉える試みです。翻案なので原作とは全く異なるとご理解下さい。

「俺は友達がいない(翻案 月下独酌)」

俺は友達がいない
桜が咲いても月が出ても
俺はとにかく友達がいない

月の良い晩に居酒屋へ
店員すら近付かないぜ
頭の中の友達としこたま飲んで
いつの間にやら前後不覚
隣の奴に絡んだら
よく見りゃ椅子だよ

嗚呼、酔っちっち
HEBEREKEに
酔っちゅっちゅ
GUDAGUDAに

店を出る頃には足腰立たず
路上に倒れて
友達に 囲まれる夢を見た
一緒に歌おうぜヘイ
踊ろうぜヘイ
皆、俺の事好きかい?
俺も皆が大好きだぜ
俺たちの友情は
不滅だぜ

月がぐるぐる回っていやがる
お前さんも酔っちゅっちゅ

俺に友達ができるのはサ
こうして酔った時だけなんだよな

(現代詩「俺は友達がいない」村崎カイロ 翻案 李白「月下独酌」 )


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