見出し画像

ありがとう高校生活

卒業を前にして、小学校・中学校の卒業文集を読みました。
あの頃の感情がよみがえってきて、心が熱くなりました。

そういえば、高校は卒業文集がありません。
いつか読み返したとき、高校時代を鮮明に思い出せるように、高校3年間を文字に残しておきたいと思います。
思っていたことを全てありのままに書いたので、読みにくかったり気に障ったりする部分があると思いますが、大目に見てください。


1.高校受験

中学3年生の夏に志望校を決定した。(文章中ではA高と呼ぼう)
自分の実力よりも下のレベルの学校だ。

中学時代の私は、定期テストにやたらと力を入れていて、いつも合計得点はトップ。成績もオール5だった。
だから、成績だけで言えば、どの高校も目指すことは出来た。

でも、自分の本当の実力は学年トップやオール5に相当するものではないと思っていた。
定期テストに出題されるような、教科書レベルの基礎問題や暗記が得意なだけ。応用問題になると解けなくなる。成績2位の隣のクラスの子の方が頭が良い。
心の中では常にそう思っていた。


A高を目指した理由はもう一つある。
それは完全なる「逃げ」だ。

実力相応や挑戦校に入れたとして、その中で落ちこぼれるのが怖かった。

中学で何事も上位に入っていた私は、挫折ということを経験していなかった。そして、そんな自分を守りたかった。

思い返せば、定期テスト前、前回の得点に浮かれることなく毎回必死に勉強していたのは、挫折するのが怖かったからだ。

そんなA高の受験勉強もまじめに頑張り、合格した。
得点トップでの入学だった。

周りには、受験直前にも受験後にもいろいろ言われた。

他クラスの先生には「あなたはこっちの学校の方が合ってる」
友達の親には「もっと上の学校でも良かったんじゃない」

でも、何事も意志を貫く性格の私は、何を言われても志望校に合格したことが嬉しかった。
高校生活に夢が膨らんでいた。
部活に勉強、行事。すべてに力を入れて、濃い3年間を過ごそう。
そう思っていた。



2.1年生

入学式では、得点トップだったこともあり、新入生代表を務めた。
新しい環境は、想像していなかったことだらけだった。

同じ中学校の人とみんながつるんでいる中、私は1人。
様々な地域からいろんな人が集まるのが高校だと思っていたが、地元の人が多いみたいだ。

オリエンテーション合宿でみんなが友達を作る中、
私は置いていかれていた。

初対面の人には、「入学式で新入生代表やってたよね。頭いいんだ」と
言われ、少し距離を置かれていた。
そこで距離を縮められない私のコミュニケーション力の無さに落胆した。


入学後2・3週間は毎日泣いて帰っていた。
最寄りの駅で同じ中学の人にばれないように、早歩きで帰りながら。

想像していた高校生活が毎日裏切られていくこと。
新しい環境に身を置いて初めて気が付く、自分のコミュニケーション力の
無さ。

「周りに何と言われようと自分を貫く」という自分の強みは、味方でいてくれる人が沢山いるホームの中の強みであり、知り合いのいないアウェーの中の自分は、思っているよりもずっと弱かったということ。

いろんな感情が涙であふれていた。


しかし、入学して1ヶ月後ぐらいに中学の仲間と久しぶりに会い、自分は1人じゃなかったと思い返せた。
友達も同じように1ヶ月間、学校に馴染めず悩んでいた。
同じように悩む仲間がいると分かっただけで、学校生活も少し前向きに
なれた。

勉強面はというと、3年間で唯一想像以上に上手くいった。
初回の定期テストでまさかの学年1位。
平均以上は取りたいと入学前に思っていた私にとって、上出来すぎる結果
だった。


そして、3学期も終わりの頃、新型コロナウイルスが流行した。
突然の休校から、コロナ禍の学校生活がスタートした。



3.2年生

コロナによって急変した学校生活について、周りの人や巷のニュースでは「悲しい」「かわいそう」などマイナスに捉えられているが、
私にとっては心地の良いものだった。逆に、救われた面もある。


休校中は、有り余るぐらいに手に入れた時間を有効に使おうと、いつもよりも気合が入っていた。
毎日ランニングや縄跳びをし、そのあとは中学の友達とビデオ通話で繋ぎながら、勉強。

学校に行っていたときは、「課題見せて」と言われ答えを写され、
自分の努力が無駄になっている気持ちを常に感じていた。

しかし、休校中は学校のことを忘れることができた。
規則正しい生活の上に十分な勉強時間、友達と会話する時間を持てて、
毎日が充実していた。

学校再開後も、制限は続いた。
体育祭や文化祭は縮小。宿泊行事は中止。
しかし私の心は前よりも軽くなった。
クラス替えをして喋れる人が増え、1年生のときよりも良い1年間を
過ごせた。



4.3年生

あっという間に時は流れ、受験が近づいてきた。

1年生のときから、志望校は決まっていた。
成績は3年間ほとんど学年1位だった(2回ほど2位だった)し、評定平均4.9だったので、指定校推薦を利用する手もあった。

しかし、志望校が指定校推薦になかったことに加え、大学受験に対する自分のある気持ちがあったので、その道は辞めることにした。

ある気持ちとは、「高校受験のときのように、挫折から自分を守らない」というものだ。

高校最初の2者面談で担任が言っていた言葉がずっと心に残っている。

「○○は大学卒業後とか、社会に出た時に初めての挫折をしたら、その後に立ち直れるかが心配」


自分も、それは薄々思っていた。
高校では、学校生活で悩むことはあったが、勉強面は好調に進み、挫折は
経験していなかった。

ここでまた、大学受験で自分を守る道を選んでよいのだろうか。
このままでは自分は全く成長できない。

だから、大学受験はあえて大変な道を選ぶことにした。
総合型選抜と一般入試の両立。

総合型の方は、倍率も高く、十分に対策をして臨んでも、救われない可能性が大いにある。
担任には「一般入試対策に専念して成績が伸びたら更に上を目指すというのはどうか」と勧められた。

しかし、自分が納得するのは、「総合型に落ちるという挫折をし、一般入試に急ピッチで間に合わせなければならない、という可能性が大いにある」この入試方法だった。



結果から言うと、私は総合型選抜で合格し、挫折することはなかった。

1年生の時から志していた学校に合格したことはとても嬉しかった。
その反面、「またやってしまった」という気持ちもある。

受験勉強は私なりに頑張った。
総合型と一般の両立をするということで、みんなよりも早く受験勉強を
本格的に始め、3年間の登下校は全て勉強時間に充てた。
受験直前に思うように小論文が書けず、不安と焦りから泣いたことも
あった。

しかし、一般入試に向けて頑張る同級生を見つつ自分の受験を振り返ると、みんなほど頑張れていなかったと思った。
「必死に努力して掴み取った合格!」というものではなかった。


「また、挫折を経験せずに大学へと駒を進めるのか。」
「このままで私は大丈夫だろうか。」
一般入試が終わり、卒業へとみんなが笑顔になる中、なぜか私は晴れやかな気持ちになれなかった。



5.まとめ

私の3年間はモヤモヤした気持ちに常に覆われていた。
一方で、入学直後の毎日泣いていた日々からしたら、確実に良いものになっていた。

完全に気を許して話せるくらいに距離の縮まった人はいなかったが、日々たわいのない話が出来る友達は出来た。
こんな私でも、気にかけてくれるクラスの人がいた。
そして、良い先生に出会うことができた。
コロナ禍であらゆる場面で距離を保つ生活だったが、それが私の気持ちを
楽にさせてくれた。


高校入学前に想像していた高校生活とはまるで違うけれど、
自分を客観視でき、自分自身のあらゆる面をと向き合えた3年間は決して
無駄ではなかった。

高校生活がこうであったから、大学4年間がどうなるか全く想像できない。


しかし、
小学校の卒業文集に書いていたように、友達を大切にし
中学校の卒業文集に書いていたように、将来の夢に向かって自分の道を貫き

そして挫折を恐れず前に進んでいきたい。


数年後、旧友や尊敬する中高の先生に再会したときに、胸を張れるような人になれるように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?