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本を買いました(2020.3.18)

こんばわん。本を読む方のむらりんご🍏です。

色々ともやもやする出来事がありましたので、何の脈絡もないけれど、本を買いました。

ジャレド・ダイアモンド(2012 ※)『銃・病原菌・鉄(上)』草思社文庫
※原著は1997年、日本語訳は2000年、文庫化が2012年。倉骨 彰 訳。
ベストセラーでロングセラーの書籍ですが、タイトルだけ知っていて、読んだことは無かったのです。今回のコロナ騒ぎで、真っ先に思い浮かんだ書籍の一つ。結構重厚な内容なので、とりあえず上巻だけ…。その後、当時は文体が僕と合わないと思って買うのをやめたんだよなあ、なんてことを思い出しました(ダメじゃん)。 Amazon: https://amzn.to/2IYT8Qy

西島 佑(2020)『友と敵の脱構築 感情と偶然性の哲学試論』晃洋書房
詳しいことは分からないのですが、シュミットの友敵理論に最近関心があって(好きという意味ではない)、タイトルが目に入ったので購入。装丁もなかなか好みですね。 Amazon: https://amzn.to/2w91diR

近内 悠太(2020)『世界は贈与でできている 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』株式会社ニューズピックス
まず、NewsPicksという見慣れた?ロゴの出版物があったので目に着いて、中身を見たら大変興味深かったので購入しました。東浩紀 氏の「等価交換の外部」の話とも関連するよなあ、なんてぼんやり考えてたら、同氏の書籍が参考文献に入っていましたね…。 Amazon: https://amzn.to/2vzX7jo

書籍の購入という行動について

この2冊の内容と関連して、「書籍の購入」という行動は、贈与的で、偶然性に満ちたものだなと思うんです。

書籍の購入にはお金がかかるけれど、本の内容の良しあしや程度は、金額によって保障されているわけでは無く、かと言って、中身を全て知っている状態で買うこともまずないので、「等価交換」とは言えないと思うのです。

単純な言い方をすれば、書籍には、当たりはずれがあって、買った後にそれが判明する。

でも僕ら本を買って読むことが好きな人間は、当たりはずれがあることも分かっていながらも、軽く目次やまえがきに目を通す程度で、購入してしまうのです。
これは、自己の欲求を解消する等価交換であるとも言えるし、著者や出版業界に対する贈与とも言えるし、逆に支払った金額以上の価値があれば、贈与されているとも言える。

この行動によって得られる価値には、偶然性があると言えると思います。また、数多く出版される本の中から、その本に出会うこと自体にも、偶然性がある。もしかしたら、バクチやガチャ的な要素もあるかもしれない。
(好きな著者の本や、話題の本を買う場合は、少し偶然性は落ちるかもしれませんが)

正確に表せているかは分かりませんけれども、コストパフォーマンスや「絶対に無駄なものにはお金をかけない」というような考え方とは、やはり何か違う行動だと言えると思うんですよね。

さて、、問題は、読む時間をどうやって確保するか。そして、積ん読を読む時間をどうやって確保するか。さらに、読みかけを読む時間をどうやって確保するか…ですね…(白目)

読んだら感想をnoteに上げたい(欲求)(上げるとは言っていない)


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