中村彝アトリエ記念館〜平均寿命42歳の時代
中村彝(なかむら つね)は、大正時代に活躍した早逝の画家。
その自宅兼アトリエを復元したものが新宿区下落合にあります。
1887年 茨城県水戸市生まれ 5人兄弟の末っ子
次々に家族を亡くしていき、自身も17歳で結核に罹患し、夢を絶たれます。
1歳:父没(享年49歳)
11歳:母没(享年47歳)
14歳:次兄没(享年17歳)
15歳:長姉没(享年26歳)
17歳:日露戦争で長兄没(享年32歳)
肺結核を発症し軍人になる夢を絶たれる
18歳:療養中の千葉で水彩画を描き画家を志す
23歳:文部省美術展覧会に初入選
24歳ごろの自画像、素朴な感じ。
27歳時の作品「小女」
モデルは、肉まんやカレーなどで現在も有名な新宿中村屋の創業者の娘、相馬俊子さん。俊子さんを描いたものは10枚を超える。
彼女との結婚を強く望むも、病人に娘は託せないなどの理由で反対され叶わず。
29歳:失意の中、アトリエを新築し転居。
佐伯祐三など同時代の画家たちがヨーロッパに留学する中、病弱だったため留学できず、レンブラントやセザンヌなどの画集を入手して学ぶ。
33歳で描いた代表作「エロシェンコ氏の像」は盲人のエロシェンコ氏を描いたもの。重要文化財で、竹橋の東京国立近代美術館にありました。
晩年は体調もすぐれなかったため、アトリエで療養しながら制作活動を行ったそう。
1924年 37歳で肺結核のため逝去。
【感想】
この時代の平均寿命は男性42歳なので、37歳というのはさほど早逝でもないのかもしれませんが、早々に身内を亡くし、20年間病魔と闘いながら海外へも行くことも結婚も叶わなかった人生。
現代に生きる自分と比較し、無念ではなかったのかと考えずにはいられません。
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