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『七つの前屈』ep伝導寺真実「瓢箪の中で回る駒~捲れ、舌。~」

4.

 捺鍋手愛須は、だれか一人に固執しない。

 彼女が振りまく博愛主義は周囲一帯に浴びせられるものだ。

 四方八方──全方位三百六十度を対象とした、全体的な愛だ。

「あなたが働く薬品会社と同じビルに入った派遣会社で事務員をしている女性だね。ん、あんな男の、どこがいいのか、だって?」

 重想妬未。おもおもいねたみ。【嫉妬】に身を焦がす専務の愛人。狂おしくってごめんなさい。

「まあ、恋は盲目っていうからね。彼女の目にはもう、彼以外のものは、見えなくなっているんだろう」

 愛と恋は、似て非なる。

 どころか、ひょっとすると、もっとも乖離のある概念同士かもしれない。

 自分のために、だれかがいるのが恋。

 だれかのために、自分があるのが愛。

 恋は理由で、愛は言い訳。


「どうしたのさ、そんな怖い顔して。だから言ったでしょ? 僕に嘘はつけないって。信じてよ」

 たったひとつ、確実に同じだといえるものがあるとすれば。

 そのどちらも、自分と相手、その両方がなければ、成立しないということ。

「じゃあ、お詫びにいいことを教えてあげるよ。明日また、あなたの会社の【強欲】な富所外専務と、同じビルで働く【嫉妬】に塗れた重想事務員は、ふたりっきりで会うつもりみたい
だよ、あなたの大好きな薬を、自分たちの欲を満たすためだけに、利用しようとしているんじゃないかな」

 身勝手も、我儘も。それを受ける相手がいるからこそ成り立つ振る舞いだ。

 博愛思想も、己の自意識のみで発生させるのは不可能な姿勢だ。

「ほんとうに、つまらないよね。だれかひとりを愛する恋も、結果だれも愛さない博愛も」

 次の舞台の主役は、彼女。

 博愛に満ち満ちた受付嬢。

 人類が好きすぎてつまらない、八方美人。

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