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七つの幸運ep.利手川来人「悪魔の利き腕」⑧

8.

「これは、きみがやったのか? 来人くん」

 来人の下には、白目を剥いた坊主頭の男が転がっている。

 そして目の前には、所々穴の空いて破れた、スーツ姿の女。

「あぁ、その通りだよ嘶さん」

 硝子張嘶。がらすばりいななき。響の姉。現役大学生。学費全額免除の特待生。

「その元野球部は、俺が沈めた」

 来人は、嘘をついた。

 外野手の特性を利用して一瞬の虚を付き、懐に潜り込んで振り翳した右ストレートは──甘宿粒気には『当たらなかった』

 変則ルールデスマッチ、最大の異点。地の違い。整備されたグラウンドと瓦礫の破片転がる倉庫街では、足元の危険度が桁違いだ。

 フライに上がった球と太陽に意識と視界を奪われたところに不意打ちを喰らいかけた殺戮ピッチャーは、打者のパンチ(なんておかしな表現だ)を無理に避けようとして──剥き出しの石に躓いて、転んでしまった。そのまま、気絶。

 悪魔の右腕はなにもない空に一振り風を起こし、行き場を失った。

 それがバカVSバカのプライドを賭けた試合の、なんとも馬鹿馬鹿しい決着だった。

「だから安心しろよ、嘶さん。こいつを壊したのは響じゃねえ」

 ただ、来人が嘘をついたのは、なにもありもしない自分の戦歴を誇るためではない。

「……そうか。すまないな、愚弟がいつも迷惑をかけて」

「迷惑かけられてるなんてとんでもねえ。俺があいつに、勝手に期待をかけてんだから」

 響がだれかを傷つけることで心を痛めるのは、喧嘩相手だけではない。

 後天性無痛病──痛みを感じないことは、傷を受け付けないことと同義ではないのだ。

 傷ついていることにも気付けないことほど恐いことも、そうそうない。

「しかし……ほんとうに気をつけた方がいい。おそらくきみに降りかかる危険は、これだけでは終わらないぞ」

 元高校球児の外野手に、私怨を向けられる覚えは来人にはない。もちろん、部活動絡みのあれこれも、中学からカラーギャングに入り浸っていた彼には関係のない話だ。

 きっと、裏で手を回し、糸を引いているだれかがいる。

「わざわざ、それを言いに戻ってきてくれたのか」

 いくら弟の友達の為とはいえ、先ほどまで自分が被害者の人質事件が起こっていた現場に戻ってくることができる精神は、痛みを感じない病故か、境遇と家庭環境による生来の性故か。

「……なあ、嘶さん。俺の青春は、あのバカ──硝子張響に出会ってから、始まったんだ」

 坊主頭の横に落ちていた、赤い手袋──それこそが彼がわざわざ終わった喧嘩の跡地に戻ってまで捨て切れなかった、大事な『お守り』だ──が落ちてあるのを発見し、わずかに顔を綻ばせてそらを拾い上げながら、来人は相棒の姉に告げる。

「俺は『スカイレッド』の副総長を名乗れることを、誇りに思ってるよ」

 硝子張響の右隣に立てるだけで幸せ。

 その気持ちに、嘘はない。

「だからこそ。俺は明日、もうひとつの戦いに、ケリをつけようと思ってる」

 古来より、"恋心"の正体はそもそもが"嘘"そのものであると、相場は決まっている。

 ダチを取るか、女を取るか。ヤンキーの悩みっていうのも、色々あるもんだ。

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