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朝鮮学校に行ってきた

またあの男にやられてしまった。京都で独演会が決まってすぐ、京都にある朝鮮学校の校長先生から連絡が「京都に来られるんですね、よかったら独演会の前に、朝鮮学校に来ませんか?アントンも中3になりました」と。この最後の「アントンも中3になりました」の罠に俺は気づいた。

この校長先生は何年か前に、たまたま知り合いに紹介され、その時に彼は京都の朝鮮学校の小学校の校長をしていて小学校に来てほしいと言われ、そこに行った時に知り合った少年が当時小学生だったアントンで、アントンはアメリカ人のお父さんと在日コリアンのお母さんの間に生まれた子供だ。その小学校訪問以降、何度かおれのライブに来てくれて、真剣に俺のネタを聞いてくれる優しい目をしたシャイでいいやつで、彼のことは覚えていた。そして校長は今回、「朝鮮学校にきませんか?アントンも中3ですよ」と。このアントンをダシにおれを誘ってきたんだ。

そもそも僕は、子供はあまり好きではない、大人は何を言ったら笑うか怒るか想像がつくけど、子供は何で笑うかもわからないし、なにで傷つくかわからない。だから言葉も大人より選ばないといけない。だから子供と会うたびに、思考停止して、ぎこちない笑顔になってしまう。あと奴らは集団になって興奮すると、暴走する。一度、和歌山に行った時に、和歌山の朝鮮学校の小学校を訪ねることになった。そこで子供達とドッヂボールをやらされ、みんなにボコボコにボールを当てられ、俺のお気に入りのプラダの靴が泥だらけになったトラウマがある。

今ニューヨークに住んでいて、現在、僕を密着したドキュメンタリー映画が日本全国で公開され、その舞台挨拶で一時帰国してる僕はただでさえ、限られた時間で会いたい人たちがたくさんいるのに、また朝鮮学校に訪問してまたドッヂボールを当てられて、子供達にケラケラ笑われている時間などないんだ、と、朝鮮学校に行くかどうか迷ってた。

とは言いながらも、ニューヨークに住んでる僕はよく日本に住んでる在日朝鮮人たちのことを想ってた。ネットで飛び交う在日コリアンの人たちを侮辱する言葉、北朝鮮がミサイル実験をするたびに、国内にいる朝鮮学校の子ども達が、学校の帰りに、日本人のおじさんに暴言を吐かれたと言うニュース。彼らが日本の悪口を言うとだったら祖国に帰れ、と言う人たち。それはアメリカでは立派なヘイトスピーチ、差別的言語なのに、日本の中でそれは放置されている。いつも日本人は海外で受けた自分の差別には「差別されたー」って怒るくせに日本国内にある差別には鈍感で見て見ぬ振り。ニューヨークは多種多様な人種がいて、みんな尊重しあってる、そんなのをみてると、日本の在日コリアンの人たちは、息苦しいだろうな、とか思ってた。大阪のラジオで著名な人が「朝鮮学校はスパイ養成所だ」みたいな嘘を言って番組が炎上し降ろされた、しかしそのデマにたくさんの賞賛の声が上がっててた。こんなの子供が見たらどう思うんだろうと心配になってた。いつか、在日コリアンの子供達の前に行って、言いたかったことがある。「自分自身のルーツを恥ずかしいとか後ろめたいと思ったら、そう思わせた、その国が恥ずかしい国なんだ」と彼らに言いたかった、そして、怒りや恨みに取り憑かれるな、彼らと同じになる、肩の力を抜いて、ユーモアを忘れないで、と言いたかった。そもそも、なんで俺がこんなに朝鮮学校に呼ばれるかと言うと、おれが当時、テレビに出てた時に全国区の番組で漫才の中で朝鮮学校を無償化してあげてほしい、と朝鮮学校のことを話した。在日コリアンのことを、テレビのゴールデンのバラエティ番組で漫才で話した芸人がいなかったことで日本の朝鮮人の人たちから、とても感謝された。だから俺が行くと少なからず喜んでくれる。とにかく、僕なんかでも喜んでもらえるならば、そのアントンのエサに引っかかってみようと思って、朝鮮学校に行くことにした。京都の出町柳駅まで迎えにきてくれた校長の車に乗り、行き先は京都朝鮮中高級学校。

中学生と高校生の学校だ。校長は最近、中学高校の学校の校長になったらしく、そこに案内してもらった。京都の大文字焼きの山を少し登ったところにある学校。創立70周年らしく、学校は古く、エアコンがついてない教室もたくさんある。校長に案内され、学校の中をみせてもらった。教室にはハングル文字が書かれ、途中、先生たちと校長が時折、ハングル語で話してた。そのまま校長について行って、一番奥の教室に入ったら、たくさんの生徒が待ってくれてた。そして、背の高い少年が花束を不器用な持ち方で緊張しながら渡してくれた。アントンだった。あの時小学生だった可愛らしいアントンがいまは中3でしっかりしたいい男になってた。おれはなぜか「アントンいま中3なんやろ?このまま朝鮮の高校に行きたいの?それとも日本の学校?」ってみんなの前でおれが聞いてしまっていた。そんなデリケートなことをよくもみんなの前で、と、俺はなんでガサツな男なんだ、と言った後に我に返った。アントンは「迷ってます」と答えた。

後で校長が僕に「迷ってます」と正直にみんなの前で言ったアントンの言葉が嬉しかった、と言っていた。あのたくさんの大人達、仲間達がいる中で、「迷ってます」と、取り繕わず素直に自分の意見を言えるアントンが立派だと校長は言ってた。校長としては正直、朝鮮学校にいて欲しい気持ちもある、でもアントンの人生だから、と、アントンを一人の人として尊重してる校長もまたかっこよかった。

アントンに花束を渡され、僕は彼らに自分のニューヨークでの体験や、ルーツについての話を喋らせてもらった。終わった後、校長が吹奏楽部を見て欲しいと案内してくれた、そこで、イムジン川を演奏してくれた、イムジン川というのは朝鮮半島がイムジン川を境に、韓国と北朝鮮に分裂させられ、誰が祖国をわけてしまったんだ、と言う悲しみの歌。僕の親友のサン村田さんというおじいちゃんの言葉、手と心は繋がってる、絵描き、音楽家、料理人、手を使う仕事の人は作品に心が映される、と。僕は朝鮮学校の生徒達の奏でる音から彼らの心を感じつい涙が出てしまった。そのあと違う演奏部では、朝鮮の楽器を使って、朝鮮の民謡のアリランと日本の童謡の赤とんぼを合わせた曲を演奏してくれた。朝鮮と日本が仲良くなりますようにと願って自分たちで作ったそうだ。子供達が日本と朝鮮が仲良くなって欲しいと願う姿に、批判し、喧嘩ばかりしてる大人として恥ずかしくなった。合唱部の一人の女性の生徒が演奏する前に挨拶をしてくれたんだけどその挨拶が「どうも、村本さん、スパイ養成学校です」と言って笑いをとってた。ネットの中で朝鮮学校はスパイ養成学校だ、と嘘を流され、彼らは怒ったり悲しんでると思ってた。だから俺が行くことで、すこしは、彼らを励ませれるんじゃないか、と。しかし全く違った、それを逆にジョークにしてしまう彼女たちは強かったしかっこよかった。そして、その日1日、ずっと、「ユーモアを忘れるな!」と彼らに熱く語りかけてたおれが一番ユーモアを忘れてることに気付かされた。ルーツに悩み、考え、怒ったり、泣いたり、笑ったり、とても魅力的な人たちだと僕は思った。










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