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平凡な地方大学生が、親や教授の反対を押し切って、大学4年の夏にインドに飛び出した理由  〜 立ち塞がる壁編 〜

こんにちは!
ムラケン@Catali屋です!

前回の続きをお話しします。

まだみていない方は下記ご覧ください!

第1話 就活開始編
第2話 長期インターンシップ決意編
第3話 ←イマココ


リスクを背負いながらも、海外インターンシップに挑戦することを決意したムラケンは、インドに渡航するための準備を開始しました。

海外に出たことがない両親の説得

まず行ったことは、両親の説得でした。
流石に大きな決断なので、相談しないではいられません。

相談する前から、私は反対されるだろうなという予想はしていました。

特に父親から反対されるだろうなと。

というのも、父親は厳格な家庭で育っており、本人が県庁職員である公務員として、波風立てずに決まったことを誠実にやり抜くということを大切にしていたからです。

父親も母親も海外に行ったことがなく、取り上げられるニュースや世間の常識である「日本は安全、海外は危険」という考えを持っていました。

「インターンシップをするのは構わないが、わざわざ危険を冒して海外に行く必要はないだろう」と言われると想定していました。

実際にはどうだったか??

父親に相談したところ、想定通りの返答でした。

「インドって、危険じゃなかとね。
 別にインドに行かんでよかろうたい。」

母親も同じ意見でした。


・・・まあまあ、ここまでは想定通り。

私はちゃんと対策も練っていました。


それは、母親にまず理解してもらうことです。

母親は、自身が高校生のときに、熊本の田舎を出て名古屋で働き、私たち6人の子供を産んでも看護師として定年を迎えるまで働き続けたスーパーウーマンです。

保守的ではありますが、挑戦することの大切さは知っているのです。
昔聴いたのですが、子どもがやりたい事に対してあまり引き止めず、やりたいようにやらせることを大切にしているとのことでした。

だからこそ、若い頃に知らない世界に飛び出した経験を持つ母親はきっと理解してくれるだろうと、説得をしました。

その狙いは奏功し、母親は比較的に早い段階で、

「そんなにやりたかとね。
 そんならやってごらん」と許してくれました。


しかし、父親は頑なでした。

どうやったら父親を説得できるか、インターン斡旋会社の力も借りて、インターネットのデータで示したり、犯罪に遭わないような対策を伝え、今じゃないといけないという理由を伝え続けました。

ワード資料に落とし込んで、父親に渡した記憶がありますが、どんなデータだったかは正直覚えていません。

ただ、これまで父親に話したことがなかった、自分の夢を伝えた記憶はあります。

人生で成し遂げたい夢とは何か、
どんな目的で海外インターンシップに行くのか、
インドでのインターンシップがどんな意味を持つのか

など、親に語るには照れくさい内容もありました。

それを読んでもらった後、電話して再度お願いしました。

「やりたいことは分かったばってん、やっぱり心配だけんね〜」
と言われました。

しかし、それは最後の気持ちの確認だったのかもしれません。
それでも行かないと後悔する!という気持ちを伝えたら、

「分かったばい。」と言ってくれました。


頑固な父親が許可をくれたときは自分自身の本気が伝わったのだととても嬉しかったです。

就労ビザ取得


私としては、両親に許可を取りさえすれば、いよいよ正式に手続きを進められる!!と思い、さっそくビザなどの手続きに取り掛かりました。

ちなみに、インドに行くのは、7月以降を予定していました。

というのも、大学4年生の5月〜6月にかけて、教育実習を予定していたからです。

なので実際にビザなどの手続きを始めたのは6月ごろでした。

まず行ったことは、パスポートの取得、VISAの取得です。

パスポートは役所に行けば、難なく発行できるので、苦労はしませんでした。


もっと面倒なのが、インドに入国するための就労ビザの取得手続きでした。

旅行用の観光ビザであれば、対して面倒な手続きは不要なのですが、長期間滞在する、かつ、給与を得て就労するということで、たくさんの書類を提出しなければなりません。

加えて、英語で書かなければならないことも多いので、慣れない英語に手間取っていました。

有難いことに、インターン先の担当窓口の方にも書類作成を手伝っていただいたりしながら、少しづつ進められていました。


そして、申請手続きも無事に完了し、2015年7月22日〜2016年1月21日の半年間のビザを得ることができました。

立ちはだかる強敵の登場

いよいよ契約も成立したという段階になって来たので、大学4年生でお世話になる予定の研究室の教授にご報告に伺いました。

直接面倒を見てくださる先生は、
「そうなんだね〜!頑張って〜!」
と応援してくださったので、私は海外に行くワクワクが高まっていました。


インターン系の取りまとめをしていた別の研究室の先生には、

「海外でインターンシップはすごいね!
 帰って来たら話をまた聞かせてよ!」

とおっしゃっていただきました。

だんだんと現実味を帯びてくるインターンシップに胸を躍らせていた矢先、
直属の研究室の先生から担任の先生との面談をしてほしいという連絡がありました。

※学年ごとに担任生で、ある教授が4年間の担任としてつくことが毎年の慣例でした。

いざ話をしに行くと、

「私は許可しないよ」

と一言。

「インドなんて危険な国にいって、犯罪に巻き込まれたり、君の身に危険があったらどうするの?」
「君の所属はうちの学科にあるんだから、何かトラブルがあって君を迎えに行かなければならないのは私なんだよ。」
「どうしても行きたいのなら、ちゃんと目的や危険がないと言う事をちゃんと説明してよ。」

といったご指摘をいただきました。

その時のは私は、刺激即反応で、
「いやいや、海外に行くのは学生の勝手じゃん。そんなこと言ったら旅行している学生にも禁止するの?」
「親も同意しているし、大学が止めたところで、関係ないでしょ」
「もう話進んでいるし、無理でしょ・・・。」
と思っていましたし、感情を抑えきれず反論もしました。

しかし、理路整然と語る教授を説得するのは容易ではなく、その場では許しをもらえず、ちゃんと納得いただけるだけの資料を準備して再度面談するという約束をして終了しました。

正直、大学側から止められるのは、予期していなかったまさかの反対でした。

止められる筋合いがないと思っていましたし、すでにインターン斡旋会社やインターン先との契約を交わしており、話が進んでいたので、今更戻れないという状態でした。

とはいえ、ちゃんと説明すれば分かってくれるだろうと考え、斡旋会社の人にも助けを乞い、教授に納得いただけるような情報を集め、資料を準備し、話をしました。


強敵との再戦。勝敗はいかに。

再面談の結果は、


「やっぱり納得できないよ。
 許可できないので、行っちゃダメだからね。
 契約を交わしている?そんなの知らないよ。
 君が勝手に話を進めてしまっただけでしょ。
 今じゃなくていいじゃない。
 大学を卒業したら、自由になるし、その時に行けばいい。
 とにかく、許可できないからね。」


と、惨敗でした。


私は前回でさえ、感情を抑えられなかったのですが、
いよいよ準備しても通らなかったこの状況を理解できず、プッツーンと全ての思考が止まってしまいました。

できる手を尽くしたのに、納得してもらえない意味がわからなかったからです。

教授が許可をしない理由も、何かの論拠で示せるような課題ではありませんでした。


ここで私の心は一度へし折られてしまったのです。

もうインターンに行くことは無理なんだと。

教授にも指摘されたことですが、インターンまでのフローに筋が通っていないことには私も理解していました。

大学に許可をもらうことを軽んじていたのは明らかに私の過失です。

とてつもない悔しさと悲しさと、自分の未熟さに、涙が止まりませんでした。


そして、予定日に渡航できないことが確定してしまったのです。

その状況をインターン斡旋会社、インターン先にもそれぞれ話すと、
その状況を招いたのは私の進め方であるというご指摘をいただきました。


正直ぐうの音もでず、落ち込む日々が続きました。


この時何を考えていたのか、どんなことをしたのか?
正直記憶が抜けてしまっています。

きっと、無気力になって、就活をするわけでもなく、だらだら過ごしてしまったのだと思います。

伝えたいこと


さてさて、想定外の困難にぶつかったムラケンはどうやって乗り越えたのでしょうか。

なんて、表現してみたいですが、現実はそんなものではありませんでした。


恥ずかしながら、この現実から”逃げることを選択した”のです。


今は大変申し訳なく、情けないのですが、1ヶ月以上この状況をひきずっていた私は、

「もういい。
 許可しなくても、先生には関係ないじゃん。
 勝手にいってやる!」

と自分勝手に決断して、9月15日に渡航することを決めました。

飛び立つ直前、

「申し訳ないですが、私は行きます。
 無事に帰って来ますので、ご心配なく。」

といった一本のメールを教授に送って旅立ったのです。


今思えば、身勝手な選択だったと思います。

視座が低く、筋を通さないまま、決断してしまいました。


ただ、それでも後悔はしていません。


それでもやりたいことがあったからです。


どんなリスクを冒してでも、これをやりたい!と強く思い、チャレンジングなことであれば、私は貫いてやった方が良いと思っています。

人との縁を半ば切ってしまうような決断でしたが、自分の人生一度きり。
ここでやらなかったら一生後悔する。
そんな強い気持ちを持って旅立ちました。

結果、4ヶ月ちょっとの期間でしたが、決して日本では味わうことのできない経験ばかりを積むことができました。

自分自身、とても自信がつきましたし、帰ってきてからの行動も見違えるように変わっていました。

終わりに

いかがでしたでしょうか。

これで私のお話は一旦終わりです。

「平凡な地方大学生が、親や教授の反対を押し切って、大学4年の夏にインドに飛び出した理由」
というテーマで3部に渡ってお話ししました。

3つ分のお話は期間にして、1年以内のお話です。

つまり、何が言いたいか。

それだけ短い時間でも、人は考え方が変わり、行動が変わり、得られる結果が変わるということです。

もし、尊敬する内定者に出会っていても、「まあ別に私はいいや〜」と他人事にしたり、
長期インターンシップをやりたいと思っても、「実現するの難しいからいいや〜」と早々に諦めたり、
いざやりたいと思っても、「いろんな大人に止められてるから仕方ない・・・」と投げ出したりしていたら、
インドでの最高の経験はできなかったです。

ぜひ、お読みいただいている貴方がチャンスを掴んでいただけたら心から嬉しいです。

ということで、おしまいです!

もし、インドでのことをもっと知りたい!!と思っていただける方がいらっしゃったら、ぜひハートマークの「スキ」ボタンを押してみてください!

ハートが15個ついたら書いてみようと思います!


おまけ

ちなみに・・・

これは私の帰国後の後日談ですが、
教授としては、「粘ってでも行きたいのか?」ということを見極めていたとのことでした。

何度断られても、何度でも立ち上がって説得してくるなら、許可を出そうと思っていたとのことでした。

大学生の当時は、そんな後出しずるいやんか・・・と思いましたが、
指導者という立場からすると、そこで粘れるか粘れないか?は大切な判断材料になるのだなと、今はでは思います。


今の仕事をしている中でも、どうしてもやりたいことは何度失敗しても、言い続けることの大切さや、
何度も上司に食いつくしつこさが大事であることを感じる場面があります。

論点は逸れますが、何か物事を進めるにはそれくらいの芯を持って進めることが大事なんだと気づかされました。



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