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Permanent Collection『泣くな、新栄』


泣くな、新栄

カーテンなし 1K 
国道が近いせいか
家賃は意外に安かった
鍵はかけないで
眠るのが普通だった
1人きりじゃ怖いんだ

テレビ 見ているフリでいつも
バイト帰りの君を待っていた

青春時代があった
確かに僕にもあったんだ
思い出はいつも
目がくらむほどに 眩しかった

レジ前に立って
今月のタイムカード
ぼんやりと見つめていたんだ
「社会的底辺」
自覚はあるからどうか
何も言わないでくれないか?

22時上がりになった今日は
打ち上げだけ顔でも出すか

青春時代があった
確かに僕にもあったんだ
思い出はいつも
目がくらむほどに 眩しかった

行き場を無くして
ここまで来たんだろ?
ここまで来たんだよ
泣き声よ、止まれ
ここで終われるかよ
ここまで来たんだろ

応接間で昼寝
休憩時間はいつもどこでも眠たくなってきた
小銭を数えて
「今に見てろ」って啖呵切らなきゃ
くすぶる毎日だ

青春時代があった
確かに僕にもあったんだ
思い出はいつも
目がくらむほどに 眩しかったんだ

カーテンから夕景
生活は悪くないが 家賃は今でも安かった
「社会的底辺」
自覚があるなら
そんな悲観することじゃないさ


【解説】

http://blog.asstellus.com/?eid=1632264

一時期、
自身のブログ『硝子戸の中』で
『泣くな、新栄』と題して、
新栄町でトップウェーブ大須店という
アダルトビデオショップでバイトをしながら
一人暮らしをしていた時のこと思い出して、
エッセイというか、
私的小説風というかそういうのを書いていた。
(自分で始めて自分で終わってるだけなので、
これをエッセイとか私的小説とかいうのは
正直小っ恥ずかしさがあるので風。)
元々、
最初にこれを書きはじめたきっかけは
さよならパリス『I LOVE YOU TILL I DIE』が発売されるにあたって
その告知用に
毎日何かをあげようと思った時に
日記だけだと話が尽きてきて、
何かを連続で書く方が手っ取り早いという事で書き初めたが、
書き進めるにあたり、
最終的にはその告知部分は全て排除して、
ただ書いた文章だけをあげることだけにした。
そして書いてる時に
一回iPhoneが壊れて、
データが全て消えたが、
もう一回その記憶を元に書き直したくらい
時間も根気もいる作業だったけど、
それでも書こうと思った。
告知目的だけならもうとっくにやめている。
それはなぜか。
理由はそれくらいの時期に
当時のトップウェーブの自分と
同じくらいの年下の子と会う機会が増えて、
その年特有の何か得体の知れない
漠然とした不安や
焦り、苛立ち、
そんな話も良く聞くようになった。
そんな話を聞いても
打ち上げや
ちょっとしたライブ前の会話だと
最後の部分まで話し切れなくて、
そんな話をしてくれた彼らや彼女たちに
あの時話しきれなかったことを
あの続きを話したいと思ったから。

カーテンがない1Kでの
初めての一人暮らしをしていた時の曲。
タイトルの由来は
ブログのあとがきにも書いてある通り、
新栄町は行った事がある人は分かるかもしれないけど、
名古屋駅や栄駅のように高いビルや建物がないからか、
あの街は全体の風がとにかく強い。
あの時住んでいたアパートの8階にも
よく風の音が窓ガラスにぶつかっていて、
それが誰かが泣いてるような音に
聴こえる事があった。
ただあれはおそらく幻聴だったと思う。
それくらい毎日が心細くて、
いつも何かにめげそうだった。
「そうか、俺は今、
社会にいてもいなくてもいい存在なんだ。」
と誰かに言われた訳でもないのに
なぜかよくそう思っていた。
友達も彼女も来ないような日は
夜中バイトが終わってから、
ギターを持って鶴舞公園の噴水まで行き、
そこで1人で駅に向かってよく歌ってた。
駅に向かって歌ってたのは、
誰かに気がついて欲しかったからだったと今では分かる。
「俺はここにいるぞ。」
と声をあげていたかっただけで、
ただそれくらい心細くて、
大袈裟にいうと
自分が生きていることを
誰かに知らせたかったんだと思う。

歌詞で
『泣くな、新栄』に書いてなかった話で言うと
プレハブで仕切られただけの大した空間ではなかったけど、
よくメーカーとか流通会社の人との
商談用の応接間で休憩時間に
昼寝をしていて、
お金がない時は
アパートでご飯だけ炊いて持って行って、
休憩の時に小銭を数えて
コンビニでコロッケか、
なんか惣菜が買えそうか計算しては
買えない時はご飯だけ食べて、
とりあえずただ寝ていた。
この歌詞を見たばんから
「なんかここで応接間とかいきなりじゃない?」
とは言われたが、
本来寝るべきじゃないところで
寝てることには
ドラマがあると思ったし、
最悪それが伝わらなくても
自分が分かればそれで良かった。
唯一考慮したというか、
気をつけた部分は
自分で自分のことを
フリーターのバンドマンで
「一般社会では底辺」だとは思っていたけど、
これだと今現役で頑張ってるみんなに
あまりにも救いがない気がして、
「社会的底辺」
という直接的ではない
ニュアンスの言葉には変えた。
お客さんが来ないから22時に急に
店を閉めることにあって、
帰り道、
友達のライブの打ち上げだけ
顔を出したことがあって、
これは多分、
全バンドマンあるあるなんだと思う。
この歌詞は
特にバンドマンによく褒められるし、
個人的にもバンドマンとして
これを書き残せたことは
本当に誇らしく思っている。

歌詞として見た時に
1Kは夕景に変わるが、
家賃が最初と終わりに出てくる。
こうやってある言葉を
変化して使い回すと
めちゃくちゃ多分僕の曲っぽくなる。
言い回しをちょっと変化させて、
言葉を繋げていく。
ギターフレーズもそうで大体、
一回出てきたフレーズが最後か、
また間奏でも出てくる。
3ピースでばんどをやってるからこそ
こういう発想になってるし、
個人的にはそういう曲が好きで、
大体そんな曲の作りになってると思う。

結局、
この曲で言いたかったのは、
20代ってみんなそんなもんだよっていうことで、
「俺は社会の底辺で、
いてもいなくてもいい存在なんだ」
って思えるなら、
大丈夫だよって、
それはただあなたが謙虚なだけだから。
俺はあなたたちよりも
先にちょっと大人になって
周りでたまに見かける
「俺のおかげで世界が回ってる」
とか勘違いして、
お店の人とか、
人に偉そうにしてる奴より全然マシだって
っていうことが言いたかった。
だからきっと大丈夫だから、
そのままでいてねって。

あとこれは蛇足になると思うけど、
30代は30代でまた形を変えて、
日々に不安や焦りが襲いかかってくる。
覚悟はした方がいい。
きっと40代、50代もそうなんだろう。
僕はそれはそれで
また歌に変えるつもりでいるし、
それが『The Drama Summer』へと繋がっていった。

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