「平凡or非凡な生き方」なんて区別自体が不毛である

どうも、私です

ここ数年「会社員として生きていくことは普通」という考え方を前提に、個人で生きている人などが明らかにその「普通の生き方」を馬鹿にしている発言が目立つように感じます。

「普通の人って会社員としてそのまま人生終わるじゃないですか」
「今日も思考停止で働いている人ばかり」

まあ例を挙げればキリないですけど、ソーシャルメディアにはこの手の意識高い系の発言が蔓延しています。一応言っておきますが、別に私は意識高い系の人を揶揄したいわけではないです。

私が言いたいのは、そうやって他者を見下してる時点で「なんか器が小さいな」と思うってだけの話です。

しかしそんな私にも過去にはコロナ期間に思考停止でマスクを着け続ける奴らが一番の害悪だとか、散々自分と考えが違う人達のことをボロクソ言っていた時期がありました。今思えば我ながら本当に器が小さかったなと。

そんな反省がありながらああいった意識高い系の発言を見ると、今となってはこう思うのです。

やたら平凡を嫌いますけど、平凡で何がダメなんですか。
周りと同じ?いや、全員違うでしょう。

何か夢を追ったりするのが平凡ではないと思ってるのか知りませんけど、それは夢を追う集団の中にいれば平凡になるでしょう。
日本で会社員として生きていく、それは世界にいる恵まれない人達から見ればこの上ない幸せでしょう。

誰かにとっての普通が誰かにとっての異常になり逆も然りであれば、そもそも平凡や非凡といった区別自体に不毛さを感じざるを得ないのです。


私はそれぞれの人生に対してリスペクトを持てる人間でありたいです。



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