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嘘見知り

わたしは非常に人見知りだ。
そして同時に人が大好きだったりする。

普段から「人見知りだ、人見知りだ」と言っておきながら、駅で駅員さんを捕まえて乗り換え方を訊いたりする。

タクシーの運転手さんと談笑し、スーパーの警備員さんに段ボールをもらって良いか訊く。

挙げ句の果てに、困ってそうな外国の方に「大丈夫?」とGoogle翻訳で訊きだす。

それら全てを見ていた母は呆れていた。

「あんた、人見知りっていつもいうけど100%人見知りじゃないわ」

ち、違うんだ。ちょっと聞いてくれ。

「わたしは初めてで、今後人生に関わらないような人には社交的なだけで」

「そんなこと言って、高校生の時に同じ学年の子に片っ端から挨拶して、名前がわからないまま卒業まで仲良く過ごした子もいたじゃない」

ゔ。そんなこともありましたね……。
いやけど、いや……もう完敗です。

わたしの『人見知り』という観念はどこから生まれたんだろう。
それは多分、不登校を体験した中学生の時だと思う。

中学一年生の春、起立性調節障害になったわたしはだんだんと弱りゆっくりと中学校に行けなくなった。
朝も起きることができず昼近くに足元がふらふらしながら、なんとか起き上がれる。そんな生活だった。

それを当時の担任が
「Pascalさんは元気だそうです」
と朝のクラス会で言ったらしい。

その日からわたしは『ズル休み』になった。
次から次へと電話がクラスメイトからかかってきた。

「ズル休みはよくないよ」

「Pascalのせいでクラスダンスが完成しない」

「私も休もうかな」

「Pascalはいいよね」

みんな消えてしまえ、と思ったし、今も思っている。
恨みは何も生まないというけれど、恨む自由もわたしには無いのか。
後日、担任から謝罪があったけれど、わたしは顔も見なかった。

しかし、謝罪程度で中学生は止まらない。
すぐに『ズル休み』へのいじめが始まり、身体がつらい中、もう学校へ行く元気は無くなってしまった。

それからだ。自分を人見知りだと、人が怖いと思うようになったのは。

天真爛漫なPascalは消えて、人の顔を伺うPascalがうまれた。

本当は、人と喋るのが楽しくてしょうがない。
人と交流するのが嬉しくてしょうがない。

だけど。

裏で何を思っているかわからない。
何を言っているかわからない。
本当はわたしなんか嫌いなんじゃないか。
わたしなんて、無視をされる、嫌なことを言われる、そういう存在なんじゃないのだろうか。

わたしの心はバキバキに割られていった。

そのバキバキの心を、新しい形にしてくれたのは進学した高校の友達や先輩や、先生方だった。
丁寧に、時には雑に。わたしが新しく飛び立つように、ぺちぺち滑走路までつくってくれて。

心に傷を抱えながら生きることを、わたしが生きていて良いということを認めてくれたのはその高校だった。

わたしはいまだに人見知りだと思う。
人が怖い。素直な気持ちだ。
それと同じくらい人が好きだ。
笑って泣く、そんな人を愛している。

これからの人生をどう生きようと考える時がある。
躁うつがあるから無理は出来ない。
それでもわたしは人と関わっていたい。

失敗しても、喧嘩してもいいんだ。
だからわたしは人と関わりたい。

この言葉が詰まった場所で、わたしは人を愛したい。

母は言う。
「Pascalは『嘘見知り』だね。本当は社交的なのに、自分で人見知りだと思い込んでる」

ねえ、母。
わたしは人が、誰かが、これから出会う人たちを愛し続けるよ。

嘘見知りなりに、ね。

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