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今を受け取る時間が、この先わたしがわたしでいられる強さになってくれると思うから、書く、よ

わたし、自分、書き始めから何者にもなれないでいる。こんにちは。

一えっと、自分の調子はどうって聞かれて、こんな具合で1年を過ごしました、という感じで書けたらいいと思う。ちょっと間が空いてしまったけど、お便りです。

口が大きくならないように文字を消したり書いたりで2週間立ってしまった。
年末のお終いの雰囲気にいそいそと背中を押されて、一発書きでさらすことにしたぞ(消してしまうかもしれん)


ゆるく生き延びるような自己表現としての方法として、地域の活動をしている。

自己表現をするとすこし息がしやすのだ。言葉の解像度がひくいけど、かねそんな感じ。


なんでかというと、自分こと考えすぎ妖怪(人を頼れなくててんてこまいになってしまう)が、「この人どうやって生きているんだろう」みたいなそんな具合で生き延びていきたい。この妖怪が生息して、存在しているだけで、この世界をすこしだけ良くなる気がするのだ。


そんな具合で銭湯に浸かるみたいにゆるやかな輪に入って、一住民として過ごしている。

この町に潜んだ人の暖かさをそろりそろりと探して歩いているのだ



陸地に銭湯の様な生息地(話しても話さなくても大丈夫でこそっと輪にいる感じのところ)ができてうれしい。


地域の健康マージャンのサロンに顔を出すと、「久しぶり」って声をかけてくれる町のひとがいる。
顔なじみの人たちがつながって、お互いを見守り見守られみたいな関係(社会的処方)が自然とふっとあるのが本当にすてきなところで、みんなの心地よい距離感が、らぶ。


こんな素敵な活動が、いろんな方法でほかの人に手渡しが出来たらいいのにな~と思って、すこしWEBページの作り方とか覗いたりしている。
あと、コミュニティーナース名前の響きがつよすぎてまぶしいけど気になるなあ~来年ひょっこり覗いてみたいなあ(ドキドキして動機がしている)


そんな心地いいところに参加したりして、ちょろっと看護師的な考えが横目にちらつきながら、みんな健康でこの町で生きていきたいのだ。


「この現状仕方がないんじゃないか」じゃなくて仕方がなくない、で踏みとどまって、マイプロに参加できたことが今年一番大きい気がする。きっかけってつよい。本当にこの方々、ありがたや~ありがたや~


そんな今年は、一方でしんどいことが

偉くたくさんあって感染症病棟へ支援したりして、疲労でわけわからなくなってしまった

少しずつ足の方から粉になっていっている感じ、指先から感情が抜けていってしまう感じで、気持ちが少しずつ掃除機みたいにどこかに吸い込まれている感じがあった、なにがしんどいか分からないけど、なんだかしんどいって感じのやつ。


たぶん疲労でコップが一杯の並々になって溺れていて、自分がどうしたい、とか、どこまでは自分の意思とか自己責任なのか、認知が不透明になってしまったのだと思う。

そんなときに「困った」が言えて本当によかった。「困った」を言う練習をたくさんしているのだけど、困ったときほどむずかしいよなあ。よいしょみたいな言うぞ、だ、だ、出すぞ、みたいな覚悟。あとから分かったのだけど、「困った」の伝え方は割とどうでもよくて、人に言うのが大事なのよな。まわりの人に引き上げてもらって本当によかった(こりゃ教訓)

来年もたくさん


考えすぎ妖怪はてんてこまいになると思ると思うので、なにとぞ、素敵なお友達の方々、よろしくお願いしますす

そんな感じで町のひとと、ゆく先々のひとに救われた年でした。

ありがたや~



自分へ、来年もゆるやかにしなやかにこの町で生き延びましょう~~



紅白がはじまってしまう!!
みなさまにも素敵な年がきますように~よいお年を~


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