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人間らしいというほめ言葉がなぜ成立するのか考えてみた日

最近「なんで”ぼうまい”なの?」の質問から、本名を名乗ると「かっこいい」「強そう」「羨ましい」などポジティブな反応をしてもらえることが多くて嬉しいぼうまいです。

普段は電話で何回も聞き返されたり、聞き取ってもらえなかったりすることが多いのでちょっと不便だなと思う部分もあるのですが、こうして褒めてもらえたりするとちょっとした不便さなんて一気に吹き飛びます!

自分の名前は苗字含めてお気に入りかつ、わたしのアイデンティティのひとつなので一生貫きたいなと思っております(お察し・・・)

さて、今回のむらじおnoteのテーマは「人間らしさについて」です。

今回のテーマはもうひとりのパーソナリティ、コーキー(仮)さんが提案してくれました。まずは企画の背景から説明します。

「人間らしいね」というほめ言葉

わたしたち人間じゃないですか。なのに、「人間らしいね」とか「人間味があるね」という言葉がほめ言葉として使われているのはなぜだろうって。

例えば犬に対して「犬らしい」というのは別にほめ言葉ではないのに、人間に対して「人間らしい」がほめ言葉になる。そして、犬に対して「人間らしい」というのもほめ言葉になる。・・・このテーマなかなか難しいぞ??

犬に対して使う「人間らしい」というほめ言葉は、犬という動物よりも人間のほうが優れているという共通認識があるからこそほめ言葉として成立しているが、同じ人間に対しての「人間らしい」というほめ言葉はどうして成立するのだろう。

「人間らしい」というほめ言葉はめちゃくちゃ矛盾的。ロボットやAIには完璧を求めているはずなのに、人間のようにミスすることで「人間らしい」とほめられるのはおかしくないか。

完璧の象徴であるAIやロボットに対して「人間らしさ」を求めるのはなぜか。それだったらもう人間でよくないか。完璧を求めているのに、完璧じゃないことに対して「人間らしい」と褒められるのはどう考えても変じゃないか。

というかそもそも人間らしいってなにーーーーーーー!!!!!!
うわあああああああああああああああ(故障)

人間らしさとはなにか

と一旦爆発したところで、そもそも人間らしいとはどういう状態のことを表すのか考えてみた。

・なみだがでること
・感情があること
・ちょっと失敗するところ
・おっちょこちょいなところ
・物忘れをするところ
・どこか欠けていること
・思考すること、考えること
・自ら学ぼうとすること
・人に教えること
・愛があること、愛情があること

やっぱり「人間らしい」ってほめ言葉じゃなくない!!??

と思うわけなんですけど、これがほめ言葉として存在してるということは、それなりの理由があるわけで。考えてみたところ、人間はみな完璧を求めていると表面的なところで思っていたとしても、実はもっと深いところ、深層心理とか本質的なところでは、「人間らしさ」を求めているのかなと、そんな風に思いました。

だから完璧な存在であるはずのAIロボットにあえて人間らしさをだそうとしたりするのではないだろうか。

テクノロジーと人間らしさ、この問いはこれからの時代避けては通れないと思うのでなにか自分の中で考えや答えをもっておくことは非常に大切だなと。いつも考える機会を与えてくれてありがとうございます。

わたしのエネルギーの根源は「知的好奇心」だと思う。これもまた人間らしい。そんな気がする。


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