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遠回りした経験は”強み”になる

私は今年で社会人22年目になる。私が選択した職業は「作業療法士」というリハビリテーションの専門職だ。いま、社会人1年目の私に何か伝えることができるとしたら、「不必要だと思う全ての経験が20年後には強みになっている」と伝えたい。

私が医療人の道を目指し始めたのは高校生の頃。本当に可愛がってもらったお婆ちゃんが入院し、面会に行った時のことだった。仰向けにベッドに横になりながら片手を天井の方に向かって伸ばし、反対の手で軽く手首をつかみながら上下に腕をさすっていた。みんな「何してるんだろうね」といってたけど、私はなんとなくその気持ちがわかっていた。きっとお婆ちゃんは、日に日に痩せていく腕の太さを測っているのだと思った。言葉にしなくても、仕草からその人の気持ちを汲み取って伴走する。そんな仕事がしたくて作業療法士という道を志した。

数年後、国家試験に合格した。そして、作業療法士としての社会人1年目は、今で言う介護老人保健施設だった。

介護老人保健施設には、医師、看護師、鍼灸師、介護福祉士など、さまざまな職種がいた。しかし、リハビリテーションの専門職は自分一人だった。そして、当時はまだ珍しかった作業療法士という専門職と働いたことがある人はそこにはいなかった。だから、作業療法士ってどんな職種なのか、そして、作業療法ってどんな効果があるのか、何度もなんども質問された。

それは、1年目の作業療法士にはうまく伝えることができない酷な質問だった。結局、作業療法士のキャリア・アップに不必要だと感じる仕事ばかりが依頼されるようになった。介護福祉士が行う入浴の介助の手伝いやデイケアの送迎、在宅療養中の方のオムツ交換にも何度も行った。そんな状況は、1年目の作業療法士のアイデンティティを見失わせるのに時間はかからなかった。このままでは全国の大病院で働いている同期に置いていかれる。そんな焦りから、わずか2年で大病院に転職した。

しかし、大病院に転職して感じたのは、自分は同年代の人と少し違う視点を持っているということ。例えば、退院間際の患者さんが家でどのような生活を送るかが具体的に想像できた。だから、患者さんやご家族と安心した自宅生活を送るための具体的なやり取りを交わすことができた。そして、大病院にありがちな縦割の部分最適に違和感を感じた。だから、積極的に多職種に混じって全体最適のための仕組みを考えた。結果、今では100名超の部門のマネジャーの役割を担うようになった。

そんな自分の核は、社会人1年目の時の経験によるものだと思う。つまり、リハビリテーション専門職に”不必要”だと感じていたさまざまな経験が、今の自分の強みとなっているのだ。思い浮かべる限り、その時の経験が”弱み”になったというものはない。

社会人1年目の私に伝えたい「不必要だと思う全ての経験が20年後には強みになっている」ということ。私と同じように、社会人1年目で「こんなはずじゃなかったのに」ともがき苦しんでいる全ての人にも伝わればいいなと思う。

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