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初めて知った絵を描くよろこび

子どもの頃から絵を描くのが苦手でした。美術の授業は何をどう描いて良いのか分からず、ただ苦痛な時間でした。教室の後ろに貼られた自分の作品は他の同級生の作品と比べて下手くそで、幼稚なものにしか見えません。これまで僕は自分の絵を良いと思ったことは一度もありませんでした。そんな僕が最近絵画レッスンを受け、絵を描くよろこびを知り、自分の作品をうまいとすら思えるようになりました。

レッスンを受けるきっかけはNVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)を学ぶ仲間の中に、東京芸大を出たプロの絵画講師がいて、その方がNVC仲間向けのレッスンを始めたことです。NVCとは、米国の臨床心理家マーシャル・ローゼンバーグ博士(1934-2015)が提唱し、体系化したコミュニケーション法です。「思いやりのコミュニケーション」とも呼ばれ、私たちが生来持っている優しさや思いやりの気持ちを引き出し、自分自身や他者とのつながりを育んでくれます。

NVCと絵画。一見関係なさそうなこの2つが実は大いにつながっています。NVCでは観察、感情、ニーズ、リクエストの4つが大事な要素となっています。その観察も、ただ単なる観察ではなく、評価をまじえない純粋な観察で、それが自分や他者とのつながりを取り戻すベースとなります。それは絵画も同じで、モチーフをよくよく観察することがすべての始まりです。プロの画家の場合、なんと9割の時間をモチーフの観察に使い、1割程度の時間しか絵を描くのに費やさないそうです。プロレベルではそれほど徹底した観察が行われているのです。

そんなプロレベルの観察を「上下逆さまのデッサン」と「純粋輪郭線画」で少し体験しました。「上下逆さまのデッサン」では有名な画家の絵を上下逆さまにして模写します。なぜ上下逆さまにするかと言うと、上下正しい状態でモチーフを模写すると、モチーフの中にあるパーツ、例えば目や鼻を「目や鼻だ」と認識してしまいます。するとモチーフから意識が離れ、頭の中にある目や鼻をイメージし、それを描いてしまうのです。モチーフの絵を上下逆さまにするのは、ひたすらモチーフに集中し、目や鼻の輪郭線をありのままに模写できるようにするためです。

「純粋輪郭線画」ではもっと純粋な観察をします。右利きの人は左の手のひらをモチーフに描くのですが、描いている時間は左手だけを観察します。ペンを持つ右手には目を向けないようにし、モチーフへの目線を1ミリ動かすたびにペン先を1ミリずつ動かしていきます。右側のペン先が気になりますが、そこをこらえて左手をひたすら見て描きます。

このように描いて気づいたことが3つあります。

1つはそれまで見えなかったものが見えたことです。手のひらであれば微細なしわの線も見えるようになり、新しいものを発見したフレッシュなよろこびを味わえます。嫌いだった自分の手のパーツも、よく観察するとそのうち微笑ましく思えるようになります。「愛の反対は憎しみではない。無関心だ」。これはユダヤ人作家のエリ・ヴィーゼルの言葉です。それが真ならその論理的対偶である「関心を持つことは愛すること」も真です。それまで嫌っていたパーツに愛情が感じられるようになったのも、よく観察したからでしょう。

2つ目はひたすら観察することで意識が集中し、余計なことを考えなくなったことです。描いている間はうまいとか下手とか、人にどう思われるかなど考えません。ただ純粋にモチーフと向き合うようになり、描き終えたときはマインドフルネスをやったのと同じスッキリ感が味わえます。この体験をプロの画家をしている姪っ子に話したら、「絵を描くのは一番の癒しだと思っています。絵が自分のことをたくさん教えてくれます」との返事をくれました。絵を描くことはマインドフルネスにも通じる癒しなのですね。

3つ目は自分の作品をうまいと思えたことです。「純粋輪郭線画」では絵を一切見ずに描くので、実際の左手とは似ても似つかぬものが出来上がります(写真)。でも描いた本人にはどの部分であるのか分かります。そしてなぜか立派なアートに見えて来ます。「上下逆さまデッサン」でも、出来上がった作品がピカソやエゴン・シーレといった巨匠が描いた元の絵に引けを取らないと思えるから不思議です。姪っ子の言葉を借りれば、描いた絵は自分を映し出し、自分のことをたくさん教えてくれます。誰だって自分のことを大切に思いたいものです。それを邪魔するのは良い悪い、正しい間違っているといった評価です。その評価をまじえずに自分自身と向き合えたとき、人は無条件に自分を受け容れ、自分を愛せるようになるのでしょう。「評価をまじえずに観察することは人間の知性として最高の形である」。これはインドの哲学者J・クリシュナムルティの言葉です。絵画レッスンのおかげでJ・クリシュナムルティの世界観を少し垣間見ることができました。

昔、絵を描くことは読み書きと同じ教養の一つだったそうです。誰もが日常的に絵画をたしなみ、そこで人は生きるよろこびを味わっていたそうです。どうやら僕は絵画レッスンやNVCを通じて人生の大切なものを学び始めたようです。

(参考)
香久山雨の絵画教室
https://note.com/ame_artschool

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