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ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(5)

第一章 ケーシを後に(その5)

 「と言いますと?」
 「ここにはさまざまな人間がやってくる。」ドゥーカンは続ける。「朝廷の小役人や参朝の諸侯の家臣、時には朝廷の高官や身分の高い貴族がお忍びで訪れることもあると聞く。お前たちの中には街中を歩き回っては芸を見せている者もいる。巡業で他国に旅する者もいるだろう。その中で、何か重要なことを目にしたり、街の噂をいろいろと耳にしたりすることもあるはずだ。そうした話を我々に教えてほしい。むろん、相応の報酬は払う。」
 「なんかよく分からねえ話ですが……、お役に立てるなら喜んでお引き受けしますぜ。」頷くガルマ。
 「伯爵が帰国された後も、私はしばらくケーシに留まって、どのような話を知らせてもらうかをお前たちと話し合うことにしたい。差し当たっては、近くケーシに参朝するというオーモール侯爵の人となりを知りたいのだ。協力してくれぬか。」
 「承知しました。何なら楽士として舞台にも出てみますかい? ドゥーカンさまの腕前ならきっと大評判でさ。どこぞのお偉方のお屋敷あたりからお呼びがかかるかもしれませんぜ。」ガルマはそう言って笑った。
 「なるほど、それも良いかもしれん。ともあれ、今しばらく世話になる。よろしく頼む。」とドゥーカン。
 これは少し後のことになるが、ドゥーカンはその後のケーシ滞在の間に、芸人たちがあちこちで聞き込んできた風聞や目にした出来事の情報をロフトルザム親王宅で整理して定期的にティルドラスに届ける仕組みをまとめ上げる。これによりティルドラスはケーシの世相や政治情勢をかなり正確に把握できるようになり、その情報はハッシバル家の外交にも大いに役立つことになった。
 「いろいろと助けてくれて感謝している。名残なごりは尽きぬが行かねばならぬ。どうか達者でいてほしい。」芸人たちを見回しながら別れの言葉を口にするティルドラス。
 「お屋敷までお見送りいたしましょう。」その彼に傍らからホッホバルが声をかける。
 そのあと彼らは帰りがけにヘルツェンコのもとを訪れて暇乞いをする。ヘルツェンコは以前のように露天で、彼らを送るためのささやかな茶席を設けてくれた。
 「ヒッサーフ侯爵への王の勘気が解けたらしいな。そればかりか侯爵家の公子に王女をめあわせる話まで持ち上がっているというではないか。」茶をれながらヘルツェンコは言う。「侯爵におもねる者たちが早速に動き出して、あちこちで茶会を開いては胸が悪くなるような追従ついしょうの言葉を広めて回っている。へつらい者どもめ。」
 「私のところにも、王に行った取りなしの礼と称してオーモール家の重臣が挨拶に来ましたが、何やら腹に一物ありそうな様子で良い印象は持てませんでした。やはり忠告いただいた通りなのかもしれません。」彼の言葉に頷くティルドラス。
 「残念ながら、世の愚か者どもはそれに気づいておらぬようだがな。良からぬ思惑でまき散らされた空疎な言葉を鵜呑みにして、ヒッサーフ侯爵を乱世を救う聖人のように崇める者たちは多い。朝廷の中にさえ、そうした者が少なくないと聞く。」ため息をつくような口調でヘルツェンコはかぶりを振る。
 「どうしたホッホバル。何やら浮かぬ顔だが。」二人の会話を聞きながら、何やら眉根を寄せて考え込むホッホバルに、ティルドラスが声をかける。
 「実は俺も、お二人がおっしゃるようなことを以前から感じてはいたんです。オーモール領から来た人間と話をしても侯爵家のご政道がうまく行っているとか民が幸せに暮らしているとかの話は何一つ聞かねえのに、ヒッサーフ侯爵さまをまるで世直しの神様か何かみてえに褒めちぎる評判だけがどこからか流れてきて、世間の馬鹿どもがそれをを脳天気に信じ込んで浮かれ騒いでる。確かに胡散臭い話でさ。」ホッホバルは言う。「ただ、ちょっと思うところがありましてね。先ほどのガルマ親方との話じゃ、ティルドラスさまご自身も芸人たちを手なずけてあれこれケーシのことを探ろうとなさってるわけでしょう? 必要とあれば、芸人たちを使ってご自身に都合の良い話を広めさせることだって考えてらっしゃるんじゃありませんか? それじゃ、茶会を開かせては自分に都合の良い話を広めさせてるっていうオーモール侯爵さまと同じ事になりやしませんかね。」
 「それは――。」思いもよらない指摘をされ、考え込むティルドラス。
 「ティルドラスさまやドゥーカンさまが悪いと言いたいわけじゃねえんです。それをやらなきゃならねえ事情は分かるんでさ。」ホッホバルは続ける。「ただ、俺たち芸人がお偉方の手先になってあれこれ嗅ぎ回ったり、金をもらって誰かに都合のいい噂を流したりするようなことが当たり前になれば、それこそ、以前、俺の芝居が不忠だの不敬だのと密告して俺や一座の連中を牢に放り込ませたような奴らが幅をきかせることになりやしませんか? そんなことがまかり通る世の中で民が静かに幸せに暮らせるとは俺には思えねえんです。ガルマ親方の前では言いませんでしたがね。」
 「なるほど、確かにその通りかもしれぬ。」しばらくの沈黙のあとティルドラスは頷いて言った。「利用できるものはやはり利用せざるを得ない。ただ、その中で道を踏み外すことだけはないよう心することとしよう。忠告、感謝する。」
 このホッホバルの懸念はある意味で的中する。芸人や妓女ぎじょを間者に仕立てて情報源とする手法はその後も歴代の為政者たちに断続的に受け継がれ、特に、この時代から八十年あまり後、皇帝の独裁による強権的な政治が続いた桓帝かんていの時代には遊里や見世物小屋に密偵を紛れ込ませて体制に批判的な者たちを摘発するということが広く行われた。そうした中、場末の妓楼ぎろうや芝居小屋で政治への批判めいた言葉を口にした酔客が、直ちに密告され、店を出たところで待ち構えていた警吏に逮捕されるということも頻繁に起きたという。
 戦国乱世の中で芸人たちを自分たちの耳目じもくとして活用できないかと考えたことは決して非難されるものではない、むしろ卓見ですらあったろう。だが、一方でそこに国を危うくする大きな危険も潜んでいることを見抜いたホッホバルもまた慧眼というべきである――。自身も著作が桓帝を誹謗していると密告され、逮捕されて拷問を受けた経験のあるソン=シルバスは『ミスカムシル史大鑑』の中でそう述べている。
 こうして各所への挨拶を済ませ、二日後、ティルドラスはケーシを出発する。まずはホーシギンに付き添われてオーネドゥマルの港から船に乗り、そのままピウ湖の南端、アシュガル領に属するトーサラーの港まで湖上の旅である。

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