ティルドラス公は本日も多忙⑤ 嵐の年、国滅ぶ時(8)
第二章 帰途の出来事(その3)
船旅は今回も順調で、四日目の朝に船はサッケハウの港に到着する。港では、往路と同様にミストバル家の案内役を務めるペネラ、そしてタスカが一行を出迎える。アシュガル家の案内役からの引き継ぎを済ませ、来客の館へと向かう馬車の中でペネラが言った。「ミレニア公女との縁談が不首尾に終わったことは既に聞き及んでおります。我が国としてはむしろ望ましい結果ではございますが、それでもご心中お察しいたします。ともあれ、滞在中は静かに過ごせるよう手配しておりますので、ごゆるりと旅の疲れをお取り下さい。」
「かたじけない。」彼女の言葉に礼を言うティルドラス。
案内された来客の館は往路と同じ建物で、出迎えた者たちも前回とほぼ同じ顔ぶれだった。「よくぞお越し下さいました。」なぜか出迎えの中に加わっていたツィムロッタが、おそらく精一杯の厳粛な表情を浮かべながら言った。「このたびのご不幸、心よりお悔やみ申し上げます。」
「違うよツィムロッタ。それ、人が死んだときの挨拶だから。」ナガンが小声で彼女をたしなめる。
「いや、お気遣い感謝します。」弱々しい笑顔を浮かべながら会釈するティルドラス。
「ところで――」しかつめらしい表情でいたのはわずかの間で、はじけるような笑顔になってツィムロッタはナガンの方を向く。「ナガンさま、ケーシはいかがでした? お話を聞かせてくださいませ。王陛下にお目通りされたのですか?」
「したよ。」頷くナガン。
「どのような方でした?」目を輝かせながらツィムロッタは続ける。「王宮はどのような所でございましたか? 宮廷の祝宴にも招かれたのでは? 都の音曲や芝居はやはり他とは違うものでしょうか? 最近、あちらの身分の高い女性の間では高く結った髪型が今風と聞いたのですが、私のこの髪型は古めかしくはありませぬか?」
「そう一度にいくつも聞かれても答えられないよ。誰がどんな髪型してたかなんて全然覚えてないし。」
「せっかく来て下さったのだ、ナガン、話し相手になって差し上げなさい。」ティルドラスに促され、はしゃぐツィムロッタと並んで向こうへと歩いて行くナガン。その二人の後ろ姿に何やら鋭い視線を投げかけるペネラに気づき、ティルドラスは声を掛ける。「ノイどの?」
「いや、さしたることではございませぬ。」彼の言葉にかぶりを振るペネラ。「ご案内いたします。こちらへ。」
その日一日はそのまま休み、翌日、早くも侯爵・アブハザーンとの一対一での会談が、往路と同様にサッケハウの宮廷で行われる。「娘が今回も滞在先に押しかけていると聞いた。ご迷惑を掛けておらねばよろしいが。」型通りの挨拶のあと、アブハザーンはそう口を開く。
「いえ、ナガンも喜んでおります。」
「そうか、ナガンがな……。」何やら遠い目をしてしばらく沈黙したあと、アブハザーンは口調を改めて本題に入る。「案内の者を通じてアシュガル家からの書簡が届いた。イスハーク大公と面会されたそうですな。」
「はい。」
「イスハーク大公からの書状には、我が国とハッシバル家については今後大いに誼を深め、互いに助け合う関係を築くが良かろうとありました。」
「それは私も大いに望むところです。」頷くティルドラス。
「ただ、その話には続きがある。――ミレニア公女との婚約を反故にされたことでティルドラス伯爵は天下に面目を失った。内心深くトッツガー家を恨んでいるはず。これを機に、近い将来ハッシバル家とトッツガー家の間に戦端が開かれた折にミストバル家がハッシバル家に加勢する手筈を整えておくように――、とのことでござった。」
「と言われましても――」ティルドラスは困惑する。「確かにミレニアとの縁談が成らなかったことは無念ですが、だからといってトッツガー家との戦を始めるような考えは私にはありません。これはイスハーク大公とお会いした際にも正直に申し上げたのですが……。」
「それは何より。」意外にも、彼の言葉にアブハザーンは安堵したような表情を浮かべる。「実は我が国としてもハッシバル家に与してトッツガー家と事を構えるのは避けたいところでしてな。おそらくイスハーク大公ご自身は、これを機にトッツガー家を叩いて、かの国が執政官の地位を狙う意図を挫いておきたいというお考えなのであろうが、トッツガー家は強大な国、おそらく我が国とハッシバル家が総力を挙げて立ち向かったところで勝てるような相手ではない。伯爵ご自身が戦う意思をお持ちでないなら、そのことを正直に大公にお知らせして戦に逸るお気持ちをそれとなくお諫めしようと考えておるのだが、よろしいか?」
「差し支えありませぬ。」ティルドラスは頷く。同盟関係にあるアシュガル家とミストバル家の間でも、トッツガー家への姿勢についてはかなりの温度差があるらしい。これまでの話を聞く限りでは、やはりアブハザーンの方がはるかに現実に即して冷静に物事を見ているようである。
「それに――」何やら含みのある口調になってアブハザーンは続ける。「失礼ながら、伯爵としても国内の問題を差し置いて他国との戦いにかまけておられるような状況ではありますまい。」
「と仰いますと?」
「実は伯爵の参朝中にネビルクトンのサフィア摂政が密使を派遣して我が国に接触して参った。なかなか立派な進物まで添えてな。」
「え?」呆気に取られるティルドラス。彼自身は全く知らされていない話である。
「やはりご存じなかったか。いや、そもそも話の中身からして、伯爵に明かせるようなものではなかった。」とアブハザーン。使者の口上はおおむね以下のような内容だったという。――我が国の主であるティルドラスは伯爵の位に就いて以来素行修まらず、素性も定かではない卑しき者たちを重用して自身の周囲に置き、妖言の徒に惑わされ、あろうことか、シュマイナスタイの森の奥深く、禁忌の地に棲む化生の者にたぶらかされているとまで聞く。最近では我が国にとっても貴国にとっても仇敵の関係にあるトッツガー家と結んで自身の後ろ盾にすることを考えているらしい。ミレニア公女との縁談に固執するのもそのためであろう。むろんそれは摂政初め伯爵家家臣一同の本意ではない。今後ティルドラスの行いが改まらぬのであれば、暗愚の伯爵を廃して新たな国主を立てることもあり得るが、それは貴国にとっても望ましいことと思われる。その場合も貴国に対するハッシバル家の友誼には何ら変わりはないため、どうかご安心願いたい――。
「それは――」さすがにティルドラスは驚きを隠せない。「伯爵家の内部に私を廃する動きがある、それに対するミストバル家の支持を取り付けたい、そういう話ですか。」
「そういうことでしょうな。」アブハザーンは頷く。
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