ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(64)
第十二章 兇刃迫る(その6)
その間、サクトルバスは襲いかかってきた二人の刺客の剣を必死にかわし続けていた。
相手が並の腕前であれば剣を奪い取ってその剣で反撃することも可能だが、二人ともかなり腕が立つらしく、剣を奪えるような隙がない。じわじわと塀ぎわに追い詰められ、逃げ場を失っていくサクトルバス。
『やられる……!?』
その時、背後からばたばたと足音が迫り、サクトルバスにとどめを刺そうと剣を振りかぶっていた彼らが一瞬手を止めてそちらを振り返る。足音の主はミッテルだった。突然現れた彼に身構えかける二人には構わず、ミッテルは腰から外した自分の剣を鞘のままサクトルバスに向かって放り投げる。「サクトルバス! 剣だ!」
「かたじけない!」投げられた剣を空中で掴みながら叫ぶサクトルバス。その声の響きが消えぬうちに鞘から抜き放たれた剣が一閃し、斬りかかってきた二人は血煙を上げてその場に崩れ落ちる。倒した者たちの方など振り返りもせず、サクトルバスはティルドラスに向かって一直線に駆け寄り、今まさに彼めがけて斬りかかろうとしていたヒルディンとの間に割り込んだ。
「………。」サクトルバスに身構える時間を与えず、無言のまま剣を振るうヒルディン。サクトルバスの左の肩を剣先がかすめ、衣服の左肩に大きな切れ目が口を開ける。それに怯む様子もなく、サクトルバスは逆にヒルディンの胴めがけて横殴りの一刀を浴びせかけた。だが、ヒルディンは素早く後ろに飛びすさってサクトルバスの剣をかわし、次の攻撃の構えを取る。一方のサクトルバスも、ティルドラスを背後にかばう形で油断なく剣を構えた。
『剣が――』サクトルバスは思う。ミッテルに渡された剣は礼装の飾りとして身につける短く華奢なもので、二人斬っただけでもう刃が曲がってしまっている。そもそも自分の最も得意とする得物は槍で、剣は必ずしも得手ではない。これに対して相手の得物は俗に倭刀と呼ばれる斬撃に特化した鋭利な片刃剣で、相手の挙動もその武器を完全に使いこなすような鍛錬を重ねてきているのが見て取れた。『槍があれば――』
一瞬の対峙のあとヒルディンがサクトルバスめがけて踊りかかり、相手を一刀両断にする勢いの鋭い一撃を浴びせてくる。それを受け止めるサクトルバス。二振りの剣が互いの刃を削り合うつばぜり合いがしばし続いたあと、ヒルディンがいったん後ろに退き、再び剣を構えての睨み合いとなる。
『まずい……!』元から曲がっていたサクトルバスの剣は、今の激しいつばぜり合いでさらに大きくねじ曲がってしまった。このままでは戦い続けられない。どうする?
この時になってようやく、槍を手にした二人の警吏がばたばたと彼らのところにやって来る。しかし警吏たちが彼らに向かって発した言葉は思いもよらないものだった。「何だ何だ、何をしておる。事もあろうに王宮の門前で剣を抜いての喧嘩沙汰とは何事だ。疾く去ねい!」
「馬鹿者! 何が起きているかが分からぬのか!」あまりに見当違いの言葉に、思わず叫ぶサクトルバス。その間ヒルディンはサクトルバス、そしてティルドラスに斬りかかる隙を窺っていたが、彼も警吏たちが邪魔になって思うような動きが取れない。
「何だと?」サクトルバスの言葉に警吏たちは色をなす。「見れば貴様、奴隷ではないか。奴隷が王宮の門前で剣を振り回すとは何事か。えい、牢に叩き込め。」声と共にサクトルバスにつかみかかる警吏たちだったが、次の瞬間、二人揃って投げ飛ばされ、地面に尻餅をつく。
「槍をお借りする。」地面に座り込む警吏たちに向かって一言かけるサクトルバスの手には彼らから奪った槍が握られていた。その槍を構えたかと思うと、サクトルバスはヒルディンめがけて目にも止まらぬ突きを繰り出す。
「くっ!」間一髪で槍を避けるヒルディン。だが、畳みかけるように鋭い突きを次々に浴びせてくるサクトルバスに戦いの主導権を握られ、たちまち防戦一方となる。
「伯爵!」その時、声と共にメルクオがティルドラスのもとに駆け寄る。彼も襲ってきた刺客と斬り結んでいたが、何とか相手を斬り伏せてティルドラスのもとに戻ってきたのである。続いて、やはり刺客と戦っていたジョーもティルドラスの傍らに馳せ参じてくる。
「………。」サクトルバスの槍から逃げ回りながら背後に目をやるヒルディン。ティルドラスを襲った仲間の者たちは、すでにあらかた倒されてしまったらしい。自分一人でこれ以上戦ってもティルドラスを討ち取れる見込みはない――。
やにわに身を翻し、その場から逃れようと走り出すヒルディン。と、少し走ったところで地面に倒れていた仲間の一人が彼に向かって声をかける。「待て、ヒルディン……。私も連れて行け……。」
ヒルディンは彼のことを見やる。手当をすれば命は助かりそうだが、とても歩けるような状態ではない。彼を連れて逃れようとしても、たちまち追いつかれて二人とも捕まってしまう。かといって彼をこのまま残して警吏の手に落ちるにまかせれば、おそらく彼の口から仲間の情報が漏れ、自分や、さらに命令を下した主のジーセンにも司直の手が及ぶことになる……。
一瞬考え込んだあと、ヒルディンは剣を取り直し、こちらに向かって手を差し伸べる相手の喉元を深々と貫いた。「………?」大きく目を見開いたあと口から血の泡を吹きながらその場に崩れ落ちる相手をその場に残してヒルディンは再び走り出し、やがて角を曲がって姿を消す。サクトルバスを初めとするティルドラスの供回りたちも敢えて深追いせず、油断なく周囲に目を配りながら、彼が逃げていく様子を見守っていた。
街中の入り組んだ路地を抜け、あらかじめ決められた集結の拠点へと出るヒルディン。そこにはジーセンが頭巾で顔を隠したいでたちで待っていた。「旦那さま、申し訳ありませぬ。し損じました。」彼に向かってヒルディンは言う。
「未熟者め!」舌打ちするような口調でジーセンは言う。「しかしまあ良い。先ほど宮中の確かな筋からハッシバル家がルシルヴィーネ王女との縁談を辞退したと知らされた。これでオーモール家への王女の降嫁に支障はなくなった。不忠の侍女も首尾良く討ち果たすことができたという。ハッシバル伯爵は仕留められなかったにせよ、王家の威を軽んじる諸侯どもへの見せしめには十分になっただろう。」
「しかし同志の方々が――。ほとんどが討ち取られたようでございます。」沈痛な表情でヒルディンは顔を伏せる。
「彼らは大義に殉じたのだ。それもまた本望だろう。」冷酷な口調でジーセンは言う。彼の人となりは自身が信ずる世の在り方のみに価値を置き、そのために人を使うことあたかも道具のごとくであり、その命を見ることあたかも塵芥のようであった――と『ミスカムシル史大鑑』は伝えている。
王宮の周辺ではなおも人々が騒ぎ、叫び交わす声が響くのが彼らのところまでかすかに聞こえてくる。その声を遠く聞きながらジーセンとヒルディンは近くの細い路地に足早に入ると、そのまま姿を消す。
刺客の刃をもって自身の望む局面を作り出そうとするこのような行いは、結局のところ世の在り方を何一つ変えることはできず、しかもそれは個々の人々の命運を大きく狂わせるには十分足るものである。なんと愚かしいことだろうか、なんと哀しいことだろうか――。史家ソン=シルバスはのちに「ケーシ宮門外の難」と呼ばれるようになったこの事件について、『ミスカムシル史大鑑』刺客列伝の中でそう述べている――。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?