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ティルドラス公は本日も多忙④ 都ケーシの宮廷で(22)

第五章 ホーシギン(その3)

 その晩は何事もなく過ぎ、翌朝、ティルドラス一行はホーシギンに案内されて城の前にある船着き場へと向かう。
 ここからケーシまでは船に乗ってピウ湖の湖上をケーシ近くの港まで行く道筋となる。「やれやれ、荷物背負って歩いてかなくていいのか。こりゃ楽でいいや。」荷物を船に積み込む作業をしながらハカンダルが言う。
 「けっこう揺れるぜ。船酔い大丈夫なのかよ。」とケスラー。
 「へん! 船酔いなんて根性のない腑抜け野郎がなるもんだ。俺ぁそんなにやわじゃねえや。」鼻を鳴らすハカンダル。
 「俺ぁ嫌だ。船は苦手だ。」バーズモンがぼやくように言う。「前に船に乗った時にゃ船酔いで死ぬ思いをして、降りてからもふらふらだった。あんな思いはもうたくさんだ。歩いて行く方がいいや。」
 「何言ってやがる。ただ船に乗って水の上をまっすぐ行くだけの話じゃねえか。それに何の文句があるってんだ。」
 「そりゃ、水の上をまっすぐ行きゃいいよ。けど、水の下にまっすぐ行っちまったら――」
 「いい加減にしやがれ。それだから船になんか酔うんだ。この腰抜け野郎が。」
 がやがやと言い交わす間にも荷物の積み込みは終わり、彼らを乗せて桟橋(さんばし)を離れた船は少し沖合で帆を上げ、この季節の南風を受けて北へと走り始める。
 風はかなり強く、船足(ふなあし)は速い一方で揺れも大きい。いくらも経たないうちに、供回りたちの中には船酔いで倒れる者も現れ始めた。
 「ううう、気持ち悪りぃ。これなら荷物背負って歩いてた方がよっぽど楽だった。」身分の低い供の者たちが詰め込まれた船底の大部屋、青白い顔色で壁にもたれかかりながらハカンダルが呻く。
 「だから言ったろうが。さっきの大口はどうしたんだよ。」こちらも気息奄々(きそくえんえん)と床の上に転がるバーズモンがつぶやくように言った。
 そこに思いもかけず、ホーシギンとフォンニタイ(チノーは出航早々船酔いに倒れて動けなくなっていた)を従えたティルドラスが姿を現す「何をしておるか! 伯爵のお越しであるぞ。威儀を正してお迎えせぬか!」フォンニタイが、床の上にごろごろと転がる供の者たちを居丈高に怒鳴りつける。
 「いや、良い。」それを遮るように、穏やかな口調でティルドラスが言う。「そのまま楽にしていて良い。ただ様子を見に来ただけだ。今、水桶を持ってこさせる。苦しい者は飲んで胃を落ち着けよ。」
 そのあとティルドラスを案内して船の中を歩きながら、感心したようにホーシギンが言った。「お情け深いことでございますな。下働きの者たちにも、あのようなお心遣いをなされますとは。」
 「私はあまり船に酔わぬのだが、聞くところでは二日酔いをさらに辛くしたようなものだという。とすれば、相当に苦しいものなのだろう。そのような者たちを無理に立たせて威儀を整えさせる必要もあるまいし、水を飲んで幾分でも楽になるなら水桶を運ばせる程度の手間を惜しむこともないだろう。」ティルドラスは事も無げに言う。
 「ほう。」頷きながら、何やら探るような眼でティルドラスを見つめるホーシギン。
 船が進むうちに揺れはさらに強くなり、倒れた者たちを叱りつけていたフォンニタイ自身も、威儀も何もなく寝台に倒れ込み、呼びかけても返事をしない状態になった。
 ともあれ船を使ったことで日程は二日ほど短縮でき、一行は翌日の午前中にケーシの街から半日少々の距離にあるオーネドゥマルの港に到着する。
 「帰りも船に乗るんだよな。今から気が重いぜ。」ふらつく足元で荷物を船から下ろす作業をしながらハカンダルがぼやく。
 「うう、乗ってる間一回も飯が食えなかった。俺が出された飯を食わないなんてよっぽどの事だぜ。すげえ損した気分だ。」べそをかくような口調でバーズモンも言った。
 桟橋の周囲には物見高い庶民たちが集まり、ティルドラスの姿に好奇の声を上げたり、船酔いで足元の定まらない供の者たちの様子を笑ったりしている。彼らの見守る中、荷下ろしが終わり一行が出発しようとしたところで、ちょっとした騒動が起こる。
 突然、ぼろぼろの服をまとい白髪を振り乱した一人の老婆が見物の人混みの中から飛び出したかと思うと、ティルドラスを指さしながら叫び始めたのである。「そなたがハッシバル伯爵か? 禍(わざわ)いの子じゃ! 黒い太陽の申し子じゃ!」
 「何を言うか! 無礼者!」港の警備に当たる役人たちが慌てて彼女を取り押さえ、両脇を抱えて有無を言わさず向こうへと引きずっていく。しかし老婆は引きずられながらも、なおもティルドラスを指さして叫び続ける。
 「儂(わし)には見える。見えるのじゃ! あの者は呪われた禍いの子、ティンガル王家に、幾多の国々に恐るべき禍いをもたらし、終(つい)には己(おの)が国、己が身まで亡ぼすであろうぞ! 生かしておいてはならぬ! 生かしておいてはならぬのじゃ!」
 「あれは?」彼女を見やりながら、ティルドラスが尋ねる。
 「巫女(みこ)アスンタ……。ケーシでは名の知れた、神がかりの巫女でございます。こちらに来ておったようでございますな。」ホーシギンが言った。「かつてアルイズン家が滅ぶことを予言し、さらに、近くはバグハート家の滅亡も予知したと申します。その評判を聞いて、あの者に助言を求める者も多いと聞き及んでおります。」
 「私を侮辱したということで罰を受けたりせぬだろうか?」ティルドラスは少し心配そうな表情だった。
 「心配はございませぬ。これまでにも似たような事はございましたが、役人たちも、所詮は神がかりの者の申すこと、わざわざ罰して事を荒立てる必要もないと捨て置いております。」
 「そうか。ならば良い。」ホーシギンの言葉にティルドラスは軽く頷き、何事もなかったかのように馬を進め始める。
 「興味を持たれぬのでございますか?」
 「これまでに何人もの巫女や占い師が私の将来を占ってきた。どれも当たると名高い者たちばかりだったが……。」とティルドラス。「ある者は乱世を救う聖人であると言い、ある者はよほど精進せねば国の存続さえも危ういと言った。ある者は私が六十四まで生きると言い、ある者は百三歳の長寿を保つと言い、ある者は三十一で夭折(ようせつ)すると言った。私が一人しかいない以上、ほとんどの者が間違っているか、全員が間違っているかだろう。それが今さら一人増えたところで、何がどうなるとも思えぬ。」
 「ほう。」
 「国に残してきた家臣にアンティルという者がいる。官位こそ軽いが大変に見識があり、教えられることが多い。その者が言っていた。巫女や占い師の語る言葉は、時におどろおどろしく時に耳に心地良いが、子細に考えればその正しさを裏付けるようなものは何一つとしてない。左様な言葉に惑わされず、明らかな事実と確かな論理のみに基づいて物事を見、論を立てるべきであると。」
 「ほほう。」ティルドラスに注ぐホーシギンの視線が一段と鋭くなる。

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